SSブログ

2才の時期 母親である必要性 [家事]

脳科学の文章を読むと、
乳幼児の頃、虐待されたり育児放棄されると、
大脳辺縁体のどこだかの発達が不十分になり、
ストレスに弱くなり、うつになりやすい
というマウスの実験結果が報告され、
人間でも同様の結果になるのではないかと
指摘されていました。

発達心理学からも、
母親の体温や声、なでられたり抱きしめられたりする感覚が、
子供を安心させ、情緒を発達させるという指摘は、
前々からなされていました。

同じことなのかもしれません。

一歩ひねた考え方で、
母親である必要があるのだろうかという
疑問があったわけです。

どうやら母親である必要があるようなのです。

先ず、乳児の時期については、
母親が子供を育てることが合理的であることは、
誰しも気がつくと思います。
生物的に、そのようにできているわけです。

先日、依頼者のことで、
主治医の先生にお手紙を出したことがあるのですが、
お忙しい中、丁寧なお返事をいただき、
産婦人科の観点からも、
同様のご回答をいただきました。
ありがたい話です。

考えてみれば300日も
母親のおなかの中で生きていたわけですから、
離れる方が不自然なのかもしれません。

お腹の中にいた者が、
お腹の外にくっついていて、
ようやく母親のそばから離れてみたくなってゆく、
そういう過程が必要らしいのです。

それが2歳から3歳の時期らしいのです。

歩き始め、物理的にも母親から離れることができ、
探索心、好奇心が芽生え始め、
自立が強まっていくものらしいのです。

ただ、一直線に自立していくものではなく、
好奇心から歩きだすのですが、
戻れば母親がいるという安心感が不可欠とのことです。
離れ、不安になり、戻り、安心し、
いつでも戻ると安心できるという学習が、
より遠くへ歩いていくことの保障となっているようです。

その時必要なのは、
やはり、生まれてから一貫して一緒にいたものということになるので、
乳児期に一緒にいた母親ということになるらしいのです。

家庭の事情、仕事の事情で、
なかなか理屈通りには運ばないのですが、
理念的には、どうもそうらしい。

父親がどんなに手塩にかけても、
母親にかなわないのは、そういうことだったようです。
(悔しい父親の方は小学校入るまで待ちましょう。)

また、この自立の時期については
父親は、頭で考えてしまうので、
つい、甘やかしすぎると母親に文句を言ったり、
もっと母親らしく甘えさせろと文句を言ったり、
とんちんかんな苦労をすることが多いのですが、
母親は本能的に行動できることが多く、
自立が無理な時期にはかわいそうに思い、
自立が必要な時期には、自分も心に余裕ができたり、
子供が少し面倒くさくなったりするようです。

要するに、父親は育児書などで、
とんちんかんな知識を身につけて右往左往しているのですが、
母親は、ゆったりと構えて、自分の思った通りにふるまえばいい、
ということになり、
母親は、あまり育児書や他人と比較してみないで、
そういうことは父親に任せて、
自分の本能を研ぎ澄ませば、そこに答えがある
ということになりそうですね。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0