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弁護士の自殺対策の歴史 過労自殺 [労災事件]

多くの弁護士が自殺対策という意識を持ちながら
消費者問題を取り上げたというのが
かなり昔からの話だというのは、
消費者問題や中小企業経営で、依頼者や相談者が
自殺するということが珍しいことではなかった
というお話だと思います。

弁護士が、真正面から自殺の原因を探求し、
一定の結論を追及したのが、
過労自殺の問題だと思います。

過労死弁護団、過労死110番が形になったのが、
1988年ということで、昭和63年。
平成8年3月電通の過労自殺が認められた判決がでました。
平成9年高裁の判決も過労自殺を認めました。
平成10年には、岡山地裁倉敷支部、札幌地裁で
自殺と労働を認める判決が出ました。

平成11年7月、人事院、労働省等が精神疾患の労災認定基準の
改定を行いました。

勝利事例は、それほどなくても、
無数の敗訴や行政認定非該当例があり、
自殺であっても、それが、過重労働に原因があるという
労災申請や裁判がありました。

結果として、実を結ばなくても、
それらの敗訴例が力になっていったことは
間違いないと思います。

私も平成9年頃から相談が来るようになり、
平成11年労災申請をした事案が、
確か平成12年に、労災認定されました。
女性の自殺が労災認定されたのは、
全国初ということでした。

平成11年の人事院などの基準変更までは、
極めて不合理な扱いが為されていました。

自殺は、自分の行為、自傷行為だから、
労災ではないというもので、
わずかに、自分が何をやっているかわからない心神喪失の状態で、
その心神喪失も労働が原因のうつ病でなければならず、
うつ病の中でも反応性うつ病でなければならないという
扱いになっていました。

うつ病の素因が本人にあってはだめだという極端なものもありました。
遺書があったら、もう駄目だということもありました。

だから、弁護士は、過労自殺の事例を担当すると、
なんとか、反応性うつ病という診断書をかいてもらいたくて、
そこから始まるということもありました。
当時のうつ病の医学的知見としても、無理があったと思います。

裁判等で勝利したり、
直截に物事をみる労働基準監督官等がやはり存在し、
認定事例が出てくるようになり、
統一基準が求められるようになり、
ICD10という国際的な精神疾患の診断基準ができて、
何らかの精神疾患が存在していればよいという
画期的な改定が為されたわけです。

但し、労働の過重性、心理負荷の程度については、
複雑な操作が必要となっている点に、
基準としての問題も残っています。

過労死というと、脳・心臓疾患が先行したように思われますが、
先人のお話を聞くと、
やはり同時期から自殺事案があり、
取り組んではいたけれど、上述の不合理な決まりごとがあり、
なかなかその壁を破れなかったということらしいです。

過労死弁護団の弁護士だけが過労自殺を取り組んだというわけではありませんが、

複数の弁護士が全国的に事件を意識的に取り組んだことで、
平成11年の認定基準の改定につながったということは、
異論のないところであろうと思われます。
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