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電車やバスの中でなく赤ん坊への非難といじめ、パワハラの傍観者の危険性 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

また、フェイスブックネタです。

最近、電車やバスで泣く赤ん坊に対して、
舌打ちをしたり怒鳴ったりする人に対しての議論がみられます。
私のフェイスブックで、2つの印象に残る記事がありました。

一つは、トルコの電車で旅をしていたら、
乗り合わせたヒゲモジャの男たちが、
代わる代わる子どものお守りを買って出て、
2時間半の旅の間、子どもが泣かなかったtという話

もう一つは、電車で赤ん坊が泣いたことに腹を立てた人に、
高校生たちが反論し、赤ん坊をあやしだしたという話です。

それ自体が良いお話なのですが、
特に印象に残ったコメントがあります。

子育て経験をした女性が、
やはり電車で、赤ちゃんが泣いているということで、
怒鳴られている母親を目撃したというのです。
その時はかばうことはできなかったけれど、
お母さん立ちが降りたとき、一緒に降りて、
「子ども連れの外出は大変ですよね。」
「あの人も子どもの時があったのにね。」
と言ったそうです。

これだ!と思いました。

色々な人が、いろいろな形で助け合う、
その時できる人は、逆に抗議をすれば良いし、

「すいませんね。お疲れのところなんでしょうね。
赤ん坊はどうしても、電車の中は暑いんですよね。」
「あんたなんか関係者か?」
「私も赤ん坊だった時があるもんで。」

とにかく意思表示だけしたい人は、
怒鳴る人が怒鳴ったら、口を隠して、間髪いれず、
「えっ?」とか「マジ?」とか、言い出す。
それが波のように広がっていったら面白いでしょうね。

それでも、なかなか勇気が出ないこともあります。
その時は、さっきの女性のように、
車の外に出てから話しかければ良いのです。

この人の特にすばらしいことが2点あります。

1点目は、同じ目線で話していること、
自分もおんなじだったんだよというニュアンスが
よく伝わっていると思います。
あなたひとりじゃないよということはとても大事です。
上から目線で頑張れと言われるのは重苦しくなるだけです。
同じ状態の人からの頑張れは、
一緒に頑張ろうと聞こえてきます。

2点目は、あなたは悪くないよというメッセージが
みられることです。
辛いことがあると、人間は、ともすると
自分を否定してしまうことが多くなります。
そうではないんだというメッセージは大事です。

このお母さんが、嫌なことはあったけど良いこともあった
と思えるのであればとても素晴らしいです。
そうでなければ、人間に失望してしまっていたかもしれません。

このように、傍観者にならないことはあなたにとっても大事です。

もちろん一番傷ついているのは被害者ですが、
それを見ている人も実は人間性を傷つけています。

他人が人間性を否定される場面を見た場合、
例えばグロテスクにリアルな映画、絵、写真、マンガを見たり、
小説を読んだりしていると、
怖いというよりも、気持ち悪いという不快な感情に
なったことはないでしょうか、

あれは他者の人間性が否定た結果に対して、
無意識にその人間に共鳴を起こしてしまっているのです。
その結果、自分の中の生きる意欲が低下してゆきます。
その自分の心の状況を感じ取って、抵抗をしている状態なのです。
対人関係学の立場からは、これが
「忌み嫌う」の感情の本質だと考えています。

いじめやパワハラの現場でも、
一番の被害者の人間性が削られていくわけですが、
それを見ている傍観者も、無意識の共鳴によって
自分の人間性が削られて言っているのです。

これは生きる意欲を低下させることなので、
ジョイナーの「自殺の対人関係理論」でいうところの
「自殺の潜在能力が」身についていき、
高まっていくことを意味します。

傍観者も自死の危険が高まるわけです。

また、何もできない自分の役割感の喪失、無力感
自己否定感の高まりも無視できません。
自分をいたずらに否定的に見ることによって
対人関係に自信が持てなくなったり、
行動に問題のある人とパートナーを組むようになったり、
投げやりな人生決定をする危険も出てきます。

いじめやパワハラは、
傍観者にとっても、とても危険な状態なのです。

これを回復させる必要があります。
それは、被害者を、あの女性のように助けることです。
いじめやパワハラの起きたコミュニティの中のフォローは
大変有効です。

あなたはひとりじゃない、
あなたは間違っていない
というメッセージは、神の声です。

「私はそれ以上できないけれど、
それは何度でも言うからね」でもいいわけです。

情けは人のためならず
とても良い言葉だと思います。

それはいじめられた人のため(だけ)ではなく、
自分の人間性を回復させる手段でもあるのです。

その人と私と、「私たち」のためということになると思います。

自分たちを守るために、
ちょっとの勇気と知性と、創意工夫を
惜しむべきではありません。





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