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3月11日午後3時ころ。私は海辺の町に自宅のある職員に帰宅の指示を出しました。 [災害等]

2011年3月14日にアップしたこのブログの記事です。
3月11日の午後3時ころの裁判所付近の様子がレポートされています。

http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2011-03-14
「3月11日2時45分その時仙台市青葉区一番町では。震度6はこんな感じでした」という記事

電気が通じて、まず記録を残さなければならないということで、
この記事を書いた記憶があります。
何かに利用しようという目的はなく、
ただ、事実を残そうという気持ちで書きました。

記載してあるとおり、
裁判所も法律事務所も
しばらくは、全くなすすべなく
激しい余震が続く寒空の中
職員を待機させたままでした。

合理的に考えれば、
小さいお子さんのいる職員は
直ちに子どものもとに返すべきだったと思うのですが、
それすら出来ていないようでした。

私の事務所の職員は、
海辺の町に自宅があります。
私は躊躇なく帰宅を指示しました。

幸い交通機関がなかったために
途中津波に巻き込まれることがありませんでした。
私は、使用者で、職員に対する安全配慮義務があったのですが、
自分が早く帰りたい一心で、
職員も同じだろうと思い帰宅を命じたのです。

冷静な判断なんてできず、
今日は仕事終わりと、
裁判所や他の法律事務所に先駆けて
業務終了を宣言したのでさえ、
誇らしい気持ちでした。

もし、自分のパーソナリティに「障害」があり、
全く冷静な思考が可能だったとしましょう。
帰宅途中職員が津波に巻き込まれるということを
果たして考えたでしょうか。

まず、津波が来るという発想は全くありませんでした。
では、たまたま津波の知識があって、
地震のあとに津波が来るぞというところまで
考えが行き着いたとして、
まさか、海から1km離れた道路に
津波が到達するかもしれない
とまで考えたでしょうか。

ありえません。

南三陸のリアス式に津波が来たことは
経験者である祖母から聞いていました。

しかし、仙台湾の中に
大規模な津波が来るということは
一切念頭にありませんでした。
津波といっても
せいぜいいつもよりも波打ち際が
陸地に食い込む程度の
ニュース映像を思い出すのがせいぜいだったと思います。

仮に職員が帰宅途中に津波に巻き込まれて死亡し
両親から訴えられたら
私はどう対処していたでしょうか。

震度6の地震で呆然として思考力が落ちていることを
言い訳にすることはできないのでしょうか。
1000年に一度の津波を想定しなかったことで
職員の全損害を私だけが引き受けなければならないのでしょうか。

民事裁判は、損害の公平な分担を目的とします。
私が全損害を賠償するのは公平なのでしょうか。

国も自治体も1000年に一度の津波を想定した訓練も
情報提供もしていませんでした。
名取市閖上では、消防署の近くに住んでいる人も
津波が来ることを知らず、
親戚が通りかかったためにようやく気がついた
ということをその人から聞いています。

それでも、その国の機関である裁判所から
国の責任を棚上げにして
私が全損害を賠償することを命じられるのでしょうか。

地域でも、誰も1000年に一度の津波が来ることを
震災前は話題にもしなかったと思います。
少なくともうちの職員は言っていませんでした。
それでも、全責任が
使用者である私に課せられるのでしょうか。

リアリティとは
必ず誰かに責任がある
ということを意味するわけではないと思います。


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