SSブログ

結論押し付け型の男女平等思想は、現代社会において弊害が大きく、社会を進歩させないし、家庭を幸せにしない仕組みについて [家事]

最近、男性の育児や家事について
ジェンダー思想の立場から、ある非難をよく聞く

その一部には、
要するに、
育児に「協力」している
家事に「参加」している
ということは、
「育児や家事は女性がするもので
男性は女性を手伝っている無責任の表れだ」
というものである。

結局、一部の論者たちは、
男性が精神的に悔い改めて
少しでも自分の損をする割合を減らしたい
という結果を追い求めているのであろう。

ただ、私は
その「結論」自体に反対するわけではない。

しかし
第1に、その結論を求めるのであれば、
論者たちの
「結論を相手に提示して
相手に結論を実現してもらう」という
依存的な体質を改めなければならない。

これは、端的に言えば
パワハラ上司が、
ノルマを部下に与えて、
ノルマ達成しないことを理由に
叱責を行っていることとよく似ている。

要するに、気に入らないから
感情をぶつけているだけだ。
(男性は、日常生活同様
いちいち目くじらを立ててはいけない。)

その結論に至るための戦略がない。
おそらくそう言うと 件の一部の論者の中には
じゃあ、それは女性だけで考えなければならないのか
と批判してくる人もいるだろう。

だから、一緒に考える仕組みを作らなければならないのに、
そのパートナーを非難していたのでは
何も始まらないということなのだが、
堂々巡りだろうか。

要するに、揚げ足取りになっているということ
言葉尻を捉えて批判する場合は、
議論で何かを作り上げる時ではなく、
相手を否定する場合のダーティーな戦略だ。

そもそも、父親は、自分の子供だから手をかけるわけだ。
母親の負担を軽くするために行動しているわけではない。
そんな意識でやっているわけではない。
発言した時の状況から
「協力」とか「参加」という言葉を使っているだけに過ぎない。

母親のために子どもの面倒を見るという発想は、
実は、児童虐待の論理である。
例外的に児童虐待が起きる
母親の新しい彼氏は、
手のかかる子どもが、
母親と自分の共通の敵だと考えている節がある。

これに対して父親は、
厳しすぎる母親の感情から
子どもを守ろうとしてしまう。
子どもに対する叱責でも
自分が責められていると感じるからね。

(女性がこのような意識を持つことは、
子どもに対しての支配欲が強いことに一因がある。
これはこれで大事な生き物の仕組みなので
否定的評価をする必要はない。
要するに子どもが自分の身体の延長線に
いるようなそんな感覚があるらしい。
だから、どうしても子育ては、
自分に対する協力と感じてしまう傾向にはある。)

第2は、およそ男性は、およそ女性はという
単純なものの切り口が問題だ。

あくまでも、家事や育児は自分がメインで行いたい
という意識のある女性はいる。
それが何が悪いのかはわからない。
その人一人ひとりの考えが有り、家庭がある。

この弊害をわかりやすく言えば、
男性がジェンダーの視点のキツイ人の場合、
女性も男性も家事を平等にしなくてはならない。
この食器の洗い方はまずい
料理の裏側に添加物をどうして見落としたんだ
ここは俺が正しくやるから別のことをしていろ
ということで、
家事や育児をやりたい女性にとって
自分を否定された気持ちになる。
わけのわからない離婚原因の一つとなっていることは
幾分知られてきたところである。

また、意識的に家事や育児を「やりたい」と思わない
圧倒的多数の女性にしても、
あまり、あれこれ口を出されることが
心安らぐ状態でない場合が
半ばを過ぎているのではないだろうか。

おかしいなと思うのは
女性だから、男性だからということを
過度に考えすぎているのではないかということ。

男はこのような未熟な考え方に飛びつきやすい。
妻のためにという出発が、
女性はこのように尊重されるべきだということになり、
そういう行動やしそうを取らない妻に対して
説教を始めてしまう。
そんなマニュアルを家庭に求めてしまう。

(若い男性諸君に言っておきたい。
そういう、現実のパートナーを離れた「正しさ」はない。
相手がどう思うかが全てであり、
自分のパートナーが喜ぶことをやり
嫌だと思うことをやらない
それでいいのだ。

パートナーに説教しようということが
最大の間違いと心得ておけば間違わない。)

第3ということにしましょうか。
「およそ男」は、「およそ女性」はという考えの弊害は、
共通の敵に対して無防備な状態を作ってしまう。

現在の男女参画のワークライフバランスはまさにそれ。

およそ女性は働くべし。
そのために男性が子育て、家事をするべし。
そうして、企業は「安い」女性賃金をバネに
全体の賃金コストを抑えるとともに
男性の非正規や失業が誘発されていく。

家計の共通の敵との戦いを放置したまま
家庭の中の居心地が追求されるが、
圧倒的な収入層の家庭では
生活が圧迫されて居心地が悪くなるだけ。

このようにフェミニズムジェンダーが利用されていることは
昭和60年の時に大人だった人間は
誰しも経験している。

過去においてフェミニズムは、
フェミニズムの視点を通じて
世界平和だったり、平等社会だったり
そういうものを目標としていた。

現在の一部のジェンダー活動家は
ジェンダーフリーになれば終点のような印象を受ける。

女性の管理職や大臣は増えました。
しかし、それは男性にとって都合の良い
女性の敵が増えたという側面はないのだろうか。
女性の視点によって世の中を変えていく大臣なら歓迎だ。
男性依存、男性の意見のスピーカーによって
女性につけと責任が回ってくるだけ
という側面はないだろうか。

数字で物事を判断する発想
結論が出れば過程を気にしない発想
すべて男性的な発想として
否定するべきなのではないのだろうか。

第4

現代の厳しい状況の中では、
家族がチームとして結束していることが
様々な観点から求められている。

特に、夫婦という単位での結束が求められている。
共通の敵からの攻撃に対する苦痛を
パートナーに求めてしまったのでは、
全く無防備な状態が出現してしまう。

およそ不満は身近な人に原因を求めてしまうことが多い。
怒りの対象は不合理なことがほとんどだ。

他人はどうあれ、
自分「たち」はこれでいくという意識が大切だ。

「わたしは」、「夫は」、「妻は」という意識を棚上げしよう。
「私たちは」ということで、
家庭を構築しよう。

現代の結論押し付け型の運動は、
現代社会にはなじまない。
人々が平等に裕福になってからの
運動なのではないかと考える。

現実に生きている
子どもの健全な成長に
役に立っているか甚だ疑問である。

nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 1

ドイホー

ナンシーフレイザー女史のお話は

http://thirdfemi.exblog.jp/23471355/

こういうことではないのかなと考えているところでして。
by ドイホー (2015-01-16 13:24) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0