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共鳴力、共感力は、人の振り見て我が振り直せシステム。後天的に学習できる。 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

対人関係学(左上にリンクがあります)

共鳴力、共感力というのがあり、
ああ、悲しいんだなとかああ楽しそうだなと
他人と感情を共有する能力が
本来人間にはあるようです。

そもそもは、教えられるのではなく、
2歳過ぎから自然と身についているようです。
「まねが育むヒトの心」明和牧子著(岩波ジュニア新書)

但し、赤ちゃんの時から、
不快感や不快感が取れた状態など
親が共感を示しながら接していくことも
もしかしたら、
大切なことかもしれないとは思います。
泣き声に反応してくれた喜びというのが
あるのかもしれません。

んで、共感する力がないと
なんだか障害とかいわれるようです。

共鳴力、共感力とは何なのでしょう。
どうしてそれを人間は持っているのでしょう。

対人関係学的に言えば、
これらは、集団的な危機回避の方法だ
ということになります。

原始時代を想定するとわかりやすいのですが
(最近あちこちでこういう手法がはやりだし
 勝手にしてやったりという気持ちになっています)

集団で、動物の猟に出たとします。
誰かが、天敵のオオカミの群れに出合い、
恐怖を感じるとします。
その恐怖をみて、何も反応しなければ
みんなオオカミに殺されてしまうでしょう。
待っている子どもたちも飢えて死ぬわけです。

一人が恐怖を感じて、
その恐怖を同じ群れの人間が共有し、
逃げるなり戦うことで、
危険を乗り切るわけです。

穴に落ちてしまった場合、
ああ、苦しそうだな、痛そうだな、不安そうだなという
他人の不幸を感じ取る能力があるから、
自分が穴に落ちなくても
穴に落ちることを回避しようとするわけです。

このような物理的な危険に対する反応だけでなく、
対人関係的な危険に対しても同じです。
誰かが、仲間のルールを破って、
群れに致命的な損害を与えようとしているとき、
被害を受ける人たちが、共鳴しあって、
その行為をやめさせる。

加害者は、仲間の敵意に共鳴して、
加害行為をやめることによって、
仲間を維持しようとする。

このように、共鳴力、共感力は、
群れを作るヒトに必須な能力であり、
そのような能力をもった遺伝子だけが、
代々反映してきたということなのです。

ひらったくいえば
「人の振り見て我が振り直せ」
のシステムということができると思います。

なぜ、共感、共鳴で感動するかというと
おそらく感動というのは、
命を長らえる方向での現象に対しての
賞賛、共鳴なのではないかと考えているところです。

だから、感動には、その人その人のバックボーンがあり、
問題意識に対応する必要があるのでしょう。
なければ、作品として、問題意識を植え付けるわけです。

それはともかく、
共感力、共鳴力は、
自分の感情(不快感、孤独感、あるいは喜び等々)
が肯定的に受け入れられる経験が必要だと思います。
その時の喜びを追体験するわけです。

赤ん坊は、親や家族に大事にされることにより、
感情が肯定される経験をするわけです。
そういう経験をしないで、あるいは乏しくて
成長してしまった場合、
共鳴力、共感力を抱くことは難しいでしょう。

しかし、もともと備わっている能力なのです。
言葉を話すことができれば、
大抵は能力が鍛えられていないだけです。

まずは、周りをまねしましょう。
信頼できる人をみつけて、
その人のまねをするのです。

その人にこびへつらう必要はありませんが、
自分の生命線ですから、
大事にしましょう。

同じように笑ったり、同じように泣いたり
同じように怒ったりしていくうちに、
なんとなく感覚がつかめるようになります。
やってはいけないことを覚えていけばいいのです。

そうするうちに、時を重ねていけば、
生きていく(動物としてというよりも
対人関係の中で生きていく)ことに
不自由しなくなります。

要は、理性的に
人の振り見て我が振り直せ
のシステムを構築していけばよいのです。

薬を飲んでよくなる話ではないと思います。



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