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普遍的体制維持派という最大多数の選挙民群が存在する。対人関係的政治学 [家事]

今度の参議院選では、
1人区に、与党も野党も
それぞれ候補者を一本化し、
事実上の一騎打ちが行われるようです。

それぞれ、理念を戦わせて選挙活動が行われることでしょうが、
政権党は気が付いているようなのですが、
現野党はどうも気が付いていないのが、
有権者の投票行動と、棄権行動について、
どこに、モチベーションがあるかという点です。

平和の理念とか、人権とか、民主主義とか
そういうものの具体化で投票先を決める人も
ある程度はいることでしょう。

しかし、そういうことで棄権をする
という人はいても少数派でしょう。

要するに、正しいことをいくら言っても
その人に投票する有権者は少数であり、
政権の行方には、あまり影響しないということです。
これは、これまでの選挙において、
十分証明されているはずです。

203高地のように
これからも、正しいことを言い続けて
負け続ける理由は、
一定の傾向を持った有権者群について
十分理解していないということです。

その有権者群を
普遍的体制維持派と名付けました。

要するに、どんな状況でも
今、政権を担っている人たちを
信任しようとする人たちが
対人関係の中で多数派になる
という仮説です。

今頑張っている人が
「私たち」の代表であり、
その人たちに失礼なことを言うことは
直感的に許されないということです。
人間として許せないのです。

大事なことは、
多くの人のモチベーションは
正しさではなく
優しさだったり、居心地の良さだったりするということです。

この意識の強い人たちは、
現政権を指示するべく投票に行くでしょうし、
それほど強くない人たちは、
消極的信任の気持ちで投票を棄権するわけです。

もし、私の仮説の通り、
多くの有権者群において
このような現状維持、現体制維持
という観点しか行動原理になっていないなら、

あるいは、優しさや居心地の良さだけが行動原理なら、

どんなに正しいことを声をからして訴えても
心に響くわけがないのです。

現政権の批判をすればするほど
その内容を吟味することなく、
批判者に対して生理的嫌悪を抱くということになります。

但し、もともと、その批判者を支持している群は
支持が強まります。
その人たちにとっては、批判という日常こそ
自分の代わりに言ってもらっているという側面もあり
心地よいからです。
批判者相互に優しくしあうわけです。
政治的には結束を固めるということらしいです。

批判をするときこそ
批判をする対象に対して
最大限の敬意を示さなければならない
最大限の配慮を示さなければならない

それをすることによって初めて
消極的信任を行う人たちを
振り向かせることができる可能性が出てきます。

批判の中身が
わずかに違っていても、
多数は、「ほらみたことか。嘘八百ばかりだ」
と胸をなでおろすわけです。
胸をなでおろしたいからです。

批判の表現が、批判により実現しようとすることとそぐわない場合
死ねとか、顔や声やどうでもよいことを揶揄するような場合は、
あからさまに、自分たちとは別の人たちだ
という意識になってきます。

ところが批判グループは、
同じような傾向の人たちとしか意見を交わしませんから、
どんどん、怒りや憎しみばかりが高まっていっているわけです。

そういうことをいっても、たしなめる人もいません。

自ら少数派の穴の中に積極的に入っていっているわけです。

多数は本能的にわかってしまいます。
みんなのためときれいごとを言っているが、
所詮、自分の現状に不満を持ち
自分はこんなものじゃないということをしめすために
体制に八つ当たりしているのだろうということです。

少なくとも、「私」のことを考えてくれてはいない。
この人たちに乗っても、私に利益はない。
ということですね。

何で、非政治的な対人関係学がこんなことを言い、
カテゴリーが家事なのかということですが、

夫婦の中で、あるいは親子の仲で、
相手に変わってほしい、相手に自分の行動を手伝ってほしい
というような場合、

どうしても、相手を攻撃してしまう人がいるわけですわ。
うそでも、相手を立てることができない人ですね。
それでも言っていることは間違っていないようなのです。
でも、その正しさは、居心地が悪そうだし、
少なくとも、優しさとは全く違う。

でも自分で止められないのです。
自分を支持してくれる人に対して
相手の悪口を言い続けるわけです。

家庭の中が良くなるわけがありません。

これを政治に応用すると
今回の記事になります。

しかし、よく考えると
野党の方も、実は与党も
確かに、理念を語らなくなってきました。
とにかく統一することに集中しているようです。

これは、統一という
維持されるべき現状を、
危うい現状を提示するということで、
居心地の良さを自分たちで作ろうというならば
それはそれで当たるかもしれません。

正しいことを言うだけで
批判の方法を吟味しないならば、
むしろ批判しない方が
投票を獲得するということに
実は気が付いたための行動なのかもしれません。





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