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うつのかかり始めのサンプル(たとえば、自分が悪いからだと思って安心するとか)過労自死予防研究 Survivor2 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

うつのサンプルがあれば、
ああ、自分もこうだから、うつかもしれない
と改善行動をするきっかけになるかもしれません。


たしかに気持ちがふさぎ込んだり、
なんとなくだるかったり、辛かったりししても、
「ああ自分は今抑うつ状態だな」というようには、
その時に自覚できるわけではないようです。
後で振り返るとあの時から始まっていた
ということはいえるようです。

うつが悪くなることに気が付かないのは、
自分がうつだと気が付かないという理由もありそうです。

対人関係学的にうつを簡単に言うと
生きる意欲が削られている状態
ということになります。
生きるために必要な行為を
積極的にしなくなるわけですね。

食べようとしない。
寝ようとしない。
他人と関わりたくない。
感情を持たない。
これらはすべて生きるために必要な行為です。
人間としていきるということなのですが。

感情を持たないということは、
生きるための必要な行動であるところの
自分のことを大切にする
ということがおろそかになっている証拠です。

どういうことかというと
自分のことを大切にしていれば
自分を守ろうとします。
危険が身近に迫れば「怖い」と思います。
危険がされば「ほっと安心」しますね。
危険が実は危険でなかったということになれば
「なあんだ」という笑顔になるわけです。

これがなくなるということなのですから
食事をしなくなるということと
同じように危険なことなのです。

他人と関わりを持ちたくなく部屋から出ないということや、
弱い者を守ろうとか、可愛いと思う気持ちもなくなる
ということも同じように考えられると思います。

これまでの自死事件を踏まえて
今回の事情聴取によって、
うつの始まりというポイントを上げてみます。

1 前に笑えたポイントで笑えない。泣けたポイントで泣けない。
  テレビで好きだった番組を見ても
  興味を持てないか苦痛になる。

  それっぽい映画をみて、
  「あれ、昔はこういうとこでで泣けたな」
  と思うことも異変に気が付くポイントのようです。

  感情がなくなりかけています。

2 他人をかわいそうとか、可愛いという気持ちが起きない。

  最近の対人関係学が強調していることは
  弱い者、小さい者を可愛いと言って大事にするのは
  人間の遺伝子的に備わっている能力で、
  群れの一番弱い者を保護し、
  群れを弱体化させないための仕組みだというものがあります。

  人間として生きるための行動ということになります。
  
  他人に対する共感力がなくなっている場合、
  それは自分の感情がなくなっていることが
  理由かもしれません。

  「あれ?なんか自分が血が通ってないな」
  ということに気が付けば、
  その他の問題もあることに気が付くかもしれません。

3 苦しんでいることを知られたくなくて、無理にふざけている。
  
  精神医学では常識なのに
  あまり一般に知られていないこととして
  うつ病者はうつを隠そうとするということが、あります。
 
  苦しいのに、抑うつ状態を知られたくないと思う。
  そう思ってわざとふざけて見せたり、
  気が付いたら口の端を上げて笑っているフリをしたり
  ということがあれば、他の症状も振り返ってみた方が良いかもしれません。

4 自分が悪いと思うと楽になったり安心する。
  
  鶏が先か卵が先かという話がありますが、
  何か解決不能な事態に陥られされると
  自分を責めて安心するということがあります。
  こういうことが続くとうつになりますし、
  うつの人は余計こういうことを考えるようです。

  自分が悪いと思うことはうつ病者の救いなのです。
  あるいは、逃げ場所といっても良いのかもしれません。
  それはこういうことです。
  
  こういう方々は、合理的な解決方法を探ってトライしています。
  自分に降りかかった理不尽な事態を解決しようと
  全力を振り絞っています。

  ところが、理不尽なことは、
  そのような努力をあざ笑うかのように次々と起きてしまいます。

  なぜ、自分がこのような目に合うか、
  このような事態を解決するための方法がない
  ということを自覚したくないわけです。

  即ち、絶望をしたくないということです。
  何にも理由が亡く自分が苦しむということになれば、
  苦しまなくなる方法がない
  即ち苦しみが終わらない
  という絶対的恐怖と感じるようです。

  そうだとすると、何らかの理由がほしくなるわけです。
  「ああそうだ。きっと自分が悪いからなんだ。理由はあるんだ。」
  ということで、ほっとした安心感をもつ、
  そういう場合に「自分が悪いからだ」と自分を責めるわけです。
  タコが自分の足を食べるようなもので、
  やがて破綻するのですが、
  単純にあなたは悪くないということは
  逆に絶望に叩き落とすかもしれないということは
  自覚するべきです。


  支援をするというなら、
  そういうことまで理解をする必要があると、私は考えています。

5 いつもやっていることに集中できない


  毎日の習慣ということは
  自分の異変に気が付くことにとても有効です。

  もともと、布団を上げないとか
  掃除をしないというのは論外ですが、
 (もっとも、気にしないということにおいては
  良い側面もあるかも)

  例えば、お茶を立てる習慣とか
  生け花を活ける習慣とか
  ゴルフも良いでしょうし、
  歌も技術的なことを気にしながら歌うなら
  有効かもしれません。

  まあ、読書でもよいでしょう。

  そういうことに集中ができなくなるようです。
 何時もできていたことが集中できなくて
  どうしてもできない。
  そういうことも指標になりそうです。

  茶道とか、華道とか、武道もそうでしょうが、
  道を追及するということは、
  己を客観化するという
  鏡のような役割がありそうです。
 
  何でもよいと思うのですが、
  そのような趣味は自分を助ける
  ということになりそうです。
  (芸は身を助けるは、前に書いていますが
   同じ趣旨です。)
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