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国の自殺対策が、ようやく対人関係学の方向を向き始めた件 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

近似の国の自死対策には大きな変化が見られるという。
一言で言って、
うつ病が悪化して自死に至るというモデル
(疾病モデル)には限界があり、
この疾病モデルから、
総合的・包括的な対策として自死対策を再構築する方向へ
転換するのだという。

10年間かけて自死対策の理念と方法の大きなパラダイムシフトが起きた
とのことである。

ようやく、国が対人関係学に近づいてきた
ということである。
最近、どや顔の記事が多いので恐縮だが、
これはまさに、この通りである。

平成24年の自殺対策大綱見直しの時の
パブリックコメントを末尾に掲載する。
但し、これは、字数制限があるほか、
募集期間が数日しかなく、
慌てて記載したために、
文書としてあまり洗練されていないことを
お断りしておく。
まあ、いつものブログ記事とおんなじなので
実力通りかもしれない。

但し、まだ、対人関係学に近づいただけで、
具体的な方向は見えてこない。

「自殺問題の解決には、医学の領域を超えた
 公衆衛生学の考えや手法を活用する必要がある
 と認識されるようになった。」
と述べるだけである。

そもそも医学の領域を超えた公衆衛生
という言葉はおかしい。

結局、うつ病ということで精神科医に丸投げするのをやめて
科学的な原因の分析を始めましょうと言っているにすぎないと
感じてしまう。

例えば、仙台市などでは、
既に数年前から、
行政と民間と中間機関の
ソーシャルネットワークの構築を
自死予防対策に位置づけて
進めている。

まだ手探り状態の段階だが、
自死未遂者の多層的な支援等
いくつかの先進的な実績が上がっている。

自治体における自死対策、
あるいは国の自死対策も同様なのだが、
結局は、健全な行政行為、
特に福祉行政の充実が特効薬だ。

国についても、福祉だが、
失業率の低下が自死対策に有効であることは
ずうっと前から定説になっている。

そうだとすると特に自治体における自死対策は
不要なのだろうか、
そうではないだろうことは言うまでもない。

一つにソーシャルワークという
個別的な対応が有効になると思う。

縦割り行政の横糸を這わせる仕事になるだろう。

もう一つは、自死予防の観点の導入
自死予防の観点からの行政内容の修正ということになると思われる。

現在の行政は、
本来、行政であることのうまみを放棄して
無駄に競争原理や、効率を取り入れて
行政の質を落としている。

それぞれ、費用の問題などがあり、
その結果として現状があるわけだ。
この無意味な方向への力の傾注を是正し、
行政のアドバンテージを発揮させるような
政策の修正が求められる。

修正の契機として、自死予防の観点からの見直し
ということが有効になるだろう。

自死予防の観点とは、
人が尊重されるということに価値を置くことである。
その人の弱点、欠点、不十分点を
批判されず、笑われず、価値否定されないことである。

お金がない人、
病院や学校へ向かう手段のない人、
住居に問題がある人
体調などに問題がある人
働けない人
友達がいない人
こういう人たちが
生きていてよかったと思える行政こそが
自死対策の基本である。

予算の観点、効率の観点、その他もろもろの従来の行政の観点の外に
自死予防の観点をもうけていただくことになるだろう。

その中で、
家族や、学校、職場の関係についての
相談を受けたり、
解決方法を提言したりと
対人関係を改善していくということが
さらなる発展形であると思われる。

端的に言えば、
夫婦関係の不具合、特に妻からの相談を
それは精神的虐待だから離婚をするように
という切り捨て行政から、

夫側に働きかけて、改善の方法を
選択肢として提示して、
将来にしこりを残さない方法や、

子育てにご苦労されている人たちの
積極的な支援をクリエイティブに進めていくこと。

使用者団体と労働者団体等と
積極的に職場の改善方法について
公開でディスカッションをするということも
あり得ることではないかと考えている。

極端なことを言えば
自死予防対策とは
自死者をなくすことが目標ではないと考えている。

尊重される人間関係を進めていくことだと思っている。

この意見が受け入れられるまで、
さらに10年くらいかかるのかもしれないが、
10年で追いついてきたならば
それは歓迎するべきことなのだろう。

後退することもあるかもしれないのだからね。



 この項目において、職場、学校、地域という、人の集まりの単位に着目して、体制整備を進めるという点に、積極的に賛同します。
 私の意見の結論は、この体制整備の内容について、第1に、集まりの単位毎の、人と人とのあり方についての現状を分析した上で、あるべき姿を議論するべきだということと、第2に、この人の集まりの中に家族を含めていただきたいということです。
 私は、弁護士として、自殺事件、自殺対策に積極的に関与しています。その経験からの感想ですが、現在の人の集まりは、職場のパワーハラスメント、学校のいじめ、家庭でのドメスティックバイオレンスや虐待等、人が人を追い込む関係になっていしまっており、これが、自殺の高止まりの本質的問題ではないかと感じています。
 また、一度蓄積され始めたストレスや、うつ病は、実際は、その影響が解消されることが容易ではないことも感じています。
 自殺予防のもうひとつの視点として、ストレスを作らない、うつ病を作らないという視点をもっと強調することが有効ではないかと考えています。
これは、一言で言えば、人を追い込む人間関係から、人と人とが助け合う人間関係への転換を追求するということです。
 私は、仙台市で東日本大震災を経験しました。悲惨な出来事もありました。しかし、一方、ライフラインが途絶した中で、見ず知らずの人と人とが、言葉を交わし、励ましあい、自分ができることを積極的に行って相手を助けるということを何度も経験しました。この時は、人が近くにいるということで、無条件に、安らぎや癒し、活力を感じることができました。本来人と人の集まりには、このようなコミュニティの力というものあるはずだと思うのです。
 その最も大切な人の集まりが家族ではないでしょうか。家族を中心としたいくつもの人間の集まりが、人と人とが助け合う関係になれば、気づきやストレスへの対応、治療へのつなぎももっと効果を発揮すると思います。
 また、自殺対策が、人間らしい社会を追求するということになれば、もっと楽しく、もっと多くの人が参加できる夢のある活動になるのではないかと考えています。


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