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令和元年わが子に会いたい親子の会忘年会やりました。女神の降臨。 [家事]


予告通り、令和元年親子の会の忘年会が開催されました。
大人6人とわりとこじんまりの会でしたが、
お子さんが二名出席するという
初めての出来事もありました。

お子さんのうちのお一人は、
母親に連れられて父親の家から離れされました。
当時幼稚園の年長さんでした。
しかし、次の日けんかして父親の家に帰ってきた英雄です。
残念ながら兄弟は幼かったため母親のもとに残ったので、
今は別々に暮らしています。

もう一人は初めて登場の幼稚園の年中さんです。
事情はよく分からないのですが
何年か前からお母さんとだけ一緒に暮らしていて
お父さんとは時々会うという状態のようです。

母親の都合で父親が預かることになって
急遽泊りになったので
じゃあ連れて行こうかということになったようです。

初めての大人の会合で、しかも今回は男性ばかりだったので
最初はおとなしくしていたのですが、
なにせ幼稚園の年中さんですからかわいらしくて
何を言ってもすべて受け入れ、だれかれとなく世話を焼いたものですから
すぐに安心していろいろお話してくれるようになりました。

突如立ち上がって
「今日はお父さんのところに泊まるんだよ!」
と満面の笑みで誇らしく宣言してくれました。

おじさんたちは、自分が子どもに全く会えない人もみんな
目に涙をためて心の底から喜んでいました。
もうそこからは、女神降臨という感じで
女神を中心として会が盛り上がりました。

不思議なことなのですが、
子どもに会えない父親、母親は、
みんな子どもが大好きで子煩悩なのです。
子どもに優しくしたくて仕方がない人たちばかりなのです。

誰の子どもでも元気で笑っていてほしいと思っていると思います。
でももちろん、一番は自分の子どもの笑顔に
自分の力が貢献できたらと思っているのでしょう。
そう考えると、胸が苦しくなります。

しかし、この時ほど
二人のお子さんを見ながら
子どもが存在すること自体が「希望」なんだなと感じたことはありません。

申し訳ないのですが
子どもを連れて行ったもう一人の親のことなどは
どうでもよいのです。
恨んでも憎んでも、もはやいない。
ただ、子どもを大切にしたいだけなのです。

子どもたちがこんなにも
残されたもう一人の親といることが楽しくてしょうがないのに、
どうして連れて行った親のほうは
子どもを実の親に会わせようとしないのでしょう。

「今日お父さんの家に泊まるんだよ!」と
高らかに宣言したお嬢さんの笑顔をみると
もっと面会交流を充実させなければならないと
切実に思います。それほど説得力があります。

ただ、ここで「待てよ」と考えなければなりません。

この子のお母さんなのですが、
最近、子どもを父親に預けることが多くなったのだそうです。
ここに注目です。
どうしてそうなったのかわからないのが残念です。
でもとても合理的なことです。
子どもは一人で育てることができない。
いろいろと分担して、自由な時間を多く作ることが
まさに女性解放じゃあないですか。

少しずつ合理的な共同養育に向かっているわけです。

一つには、子どもがお父さんと会うことでこんなに喜ぶなら
会わせようと思うという声はよく聞きます。
もう一つは関係の変化によって
母親が父親と接触することに心配を抱かなくなった
そういう事情があるはずです。

多くのケースでは、
漠然とした不安が子どもを連れて別居することの
理由になっているのですが
その不安の正体は自分ではわかりません。
ところがその不安を言語化する過程で
具体的な対象物として夫が標的とされ、
かつ、自分の自由を奪う存在としての意識づけがなされ、
嫌悪感、恐怖感が固定化されて別居に至るわけです。

少しずつ、反復継続して
安心の記憶を一緒に作っていくことで
会わせることの不安が消えて行っていると思います。
別居している親御さんはここを大事にしてもらいたいです。
些細な子どものことで注意することなく
嘘でよいですから、形だけ感謝の気持ちを伝えるべきです。
そうして、さらに安心させていくわけです。

もう一つ
写真でも面会でも
男親と女親に違いがあります。

女親が子どもと同居しているとき、
子どもの写真を送るとき
とってもよく撮れた写真をよりによっているということが
第三者の私からはよくわかります。
絶対に会わせたくないと憎悪をむき出しにしている場合もです。

あるいは子どもを男親に会わせるとき、
良い服を着せて、髪の毛もきれいに編み込んで
おしゃれさせることが多いようです。

人間の気持ちとはかなり複雑なようです。
第三者がこうだと決めることなんてできないと思います。

相手の勇気を引き出す受け入れ力の強化
これが一番大切なんだなと思いました。
今回の会でも徹底して女神を受け入れ
英雄に気を使いながら会が盛り上がっていきました。
子どもたちは、いっぱいいっぱいお話してくれました。

土曜日とはいえ5時から初めて7時過ぎには終わりました。
子どもにとっても優しい時間だったと思います。
令和元年の締めくくりは最高でした。

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コメント 2

はな

お疲れのところ大変ご迷惑をおかけしております。
上記投稿したものですが、名前を誤って入力させていただいてしまいました。
恐縮に存じますが再度投稿させていただくこととし、上記の投稿は削除いただければ幸いです。

(再掲)
素晴らしい忘年会でしたね。私もおばあちゃん役で参加させていただきたいような気持になりました。

先生のブログは息子の離婚騒動の一番落ち込んでいる時から時々拝見し、先生の人権に対するお気持ちと素晴らしさに救われるとともに、これからどう息子をサポートし前向きになってもらうかという問題の有難い導きのひとつとなりました。

息子のケースは子供連れ去り別居から始まり、住所閲覧を禁止され、いきなり偽DVという事を主張され、寧ろ息子や我々にDVをし続けたお相手の方でしたが、ただただ婚費、養育費の戦いとなり、息子のみならず家族全員が翻弄された裁判期間も含めた二年間でした。
面会交流も再度金を出せば会わせてやるというような貪欲さに疲れ果てました。
こちらに非があったという事にして100歩譲っても、お相手の様々な対応には許せない感情が残ってしまいました。
これからはお相手が望んだように離婚できたわけですから、どうか息子も含め二人ともそれぞれの幸せに向かってがんばっていってほしてと願っております。

その中で一番思った事は、犬養毅が亡くなる直前に言い放ったとされる「話せばわかる何事も・・・・」という事です。
人生の一大事に何も話さず、子供とともに姿を消していったという事実は息子や我々を困らせようと考え行動したのでしょうが、あいにくそのようには受け取れず、相手の人格が全く信用できないものであるという判断理由になりました。

我々夫婦はもう少しで金婚式を迎えますが、決して順風満帆ではなく色々ありましたが、唯一母親である私が常に肝に銘じていた事は「子供達の父親は世界中どこを探してもこの父親しかいない。この私が相手を気に入らないからと言って、子供達から父親を奪ってしまう資格を私にはないのだと」という事でした。
現在色々経験し子供達も巣立ち、この年齢になって初めて夫婦として「夫婦の幸せは忍耐により継続することでいぶし銀のような力となる」というものです。
どうかご商売に差し支えない範囲で、あまりに簡単に離婚してしまう若いご夫婦に「ちょっと待て」と伝えていただく事が叶うのであれば、日本の子供さんの為にも地球の未来の為にも有難い事だなと感じている今日この頃です。
三年過ぎてようやく目から自然に涙を流せるようになったおばあさんからのお願いであります。

先生のご発展を心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
by はな (2019-12-16 16:59) 

ドイホー

ご投稿ありがとうござます。お返事遅れてすいません。おばあさまとのこと。現代のいじめとか、引きこもりの問題の少なくない部分に祖父母に無条件に愛された体験が乏しいという事情があるように思われます。家族というのは、現代社会の人間に必要な制度であり、その中には祖父母という重要なメンバーがいると私は思います。離婚をちょっと待てというのが、このブログや対人関係目的でもあります。そのためには家族が快適に、幸せに生活する方法を考えていこうと思っています。どうぞこれからも情報お寄せいただきますようお願い申し上げます。
by ドイホー (2019-12-23 12:22) 

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