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ネット誹謗中傷の発信者特定開示と厳罰に関する要求キャンペーンに対する疑問。この国の「リベラル」の形 [自死(自殺)・不明死、葛藤]



これまで2回にわたり、
急逝した木村花選手とネットの誹謗中傷の問題を考えてきました。
政府は、この問題を受けて
ネットの誹謗中傷者の発信元を突き止められるようにし、
誹謗中傷者の刑事処分を設ける動きが報道されています。

スピード感をもって対応するという大臣の発言もありました。

私は、この動きを歓迎しません。
慎重に考えるべきことだと思います。

匿名での誹謗中傷をするべきではないことは賛成です。
そのために、これまでいろいろ考えてきたわけです。

しかし、物事メリットがあれば、必ずデメリットもある
と考えるべきです。
特に全国民に適用される法律は
デメリットを必ず考えなければなりません。

既に成立している法の解釈でさえ、
一つの利益を擁護しようとしての解釈は
思わぬところで不合理を招くことが多いものです。
私は、大学で、
教授から厳しいご指導をいただく幸運に恵まれました。

熱に浮かされて
一つの利益だけを考えて行う法解釈は
不合理な結果を生むということを思い知らされました。

ましてやこれから使われる法律を作る場合ですから、
もっといろいろなことを考えなければなりません。


先ず、すべての匿名発信を事実上禁止するようなやり方は
重要な情報提供が得られなくなるでしょう。
企業の不正を内部から告発する場合
匿名で発信することができなくなれば
解雇を覚悟に情報提供しなければなりません。
一応法律はあるのですが、
内部告発者が守られる運用にはなっていません。

例えば、そういう巨悪の不正をただす場合
匿名の告発投稿から始まるというパターンはなくなるでしょう。

では、発信者を割り出すのは、
誹謗中傷の場合だと限定した場合はどうでしょうか。

「何が誹謗中傷にあたるか」という難しい問題があります。
ネガティブな評価であればすべて誹謗中傷だ
というわけにはゆかないでしょう。
根拠のない否定評価や、人格否定を伴う場合、損害が生じた場合
等の限定をすることが、果たして限定になるのでしょうか。

また、一つ一つの書き込みがそれほどひどいものではないとしても
それがいろいろな人から大量に送られることが
精神的ダメージになるわけです。

特に悪質なものが排除されるのは良いとしても、
それ以外が排除されないのであれば、
結局人が追い込まれることを防げなくなるという心配もあります。

おそらく、企業の正当な信用を害する書き込みは
誹謗中傷として発信者開示の手続きになるだろう
ということを考えなければなりません。

匿名での告発は
おそらく重大な事情の告発ですから
発信者開示の手続きがはじまるでしょう。

また、送られてきた商品に問題があるとか
年寄りをだまして不要な商品を買わせている大企業がある
なんていう書き込みも
発信者開示がなされるでしょう。

法律家であれば誰しも考えることは
国家機関に対する批判が封じられることです。
匿名の書き込みだけが厳罰の対象になるとは考えにくいので
実名を出した書き込みも厳罰の対象になるのでしょう。

政策を批判することはさすがに厳罰の対象とはならないとしても、
政権批判をしている人たちの書き込みは
確かに人格批判のようなものも多いので
個人を批判したものとして厳罰の対象となるでしょう。

名前を出せば、個人攻撃をしても厳罰にならないというならば、
誹謗中傷はなくならないでしょう。
誹謗中傷される方は
知らない人が名前を出して否定評価することは
むしろ、逃げ場が無くなる気持ちになるかもしれません。

SNSの政策提案は、
このような問題の所在を一切述べないで
ただ、情報開示と厳罰を求めるものです。
それを作るのを国家機関にゆだねています。

国家機関がおよそ信用ならないとは言いませんが、
どの政党の政権であっても
およそ権力は自分に都合よく政策を立案するものです。
少なくともそう考えて、国民は権力を監視こそするべきです。

それなのに、国家権力に対して
国民の権利を制限しろ
やり方は任せる
という主張は無責任ではないのでしょうか。

根本の問題は、
問題の解決を自分の頭で考えずに
とりあえず、国に何とかしてもらおうという態度ではないでしょうか。
国に要請すれば何とかしてくれるのではないかと思っているのでしょう。
昭和の年代に法律を学んだ私としてはとても理解ができません。

どうしてもそこには
国民は自分たちと違ってどうしようもない人間たちなのだから
外側から強い力で規律しなければ
弱い者を守ることはできない
という本音があるように感じてならないのです。

児童虐待の問題も
通報の拡大と警察の介入強化ということで
事後的な対応しかなく、予防は議論にすらなりませんでした。

今回も
まったく同じシーンを見ているような気がします。

誹謗中傷する人も虐待をする人も
私は、自分にもそのような要素がある同じような人たちであり、
特別な人ではないと思っています。
色々な環境が変えれば
そのようなことは落ち着いていくと考えています。



警察権や国家機関が
国民の私生活に介入する余地を拡大していくことを
手放しに行う人たちをリベラルと呼ぶのは
この国くらいなのではないでしょうか。




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