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家族解体主義という思想 なぜリベラルがそれを受け入れるのか 共同親権制度に反対する人々 [弁護士会 民主主義 人権]


あなたが同調し賛同している主張が
実は、家族解体主義思想にもとづくものであると私が言ったら
もしかしたら、あなたは、
私のことを頭がおかしい人間だ、
あるいは極端な保守的家族主義者だと
このページを閉じてしまい
二度と私の話を聞かなくなるかもしれません。

なるべくそうならないように話を進める必要性は認識しているのですが、
とりあえず、一度、話をまとめる必要性も感じているため
このお話を強行せざるを得ないという心持になっています。

1 家族解体主義者の主張

私が気が付いた家族解体主義について説明させていただきます。
彼女らは、必ずしも
ご自分たちが現状の家族制度を解体しようとしていることを
隠しているわけではありません。
よく読めば、はっきりそのようなことを述べています。


「家族解体主義」とは、
およそ家族という制度は、
女性に対して母や妻という役割を強制するものであり、
女性を解放するためには家族という制度を解体する必要がある
という考え方です。

これに対して、家庭での女性の役割を見直して
家庭の中で対等な人間関係を作る新しい家族制度を構築する
という提案もあります。
しかし、この主張に対して家族解体主義者たちは、
現実不可能な幻想であると切り捨てます。

人間関係は、家族だけでなく、
職場、学校、地域、趣味のサークル等多種多様にあり、
それぞれの人間関係で、
固定的な女性の役割を押し付けられていると思うのですが、
家族制度を最重要の解体目標としているようです。

「正義とは女性を家族から離脱させること」という大前提があります。
このため、
その離脱が不合理であっても、離脱は正義だということになります。
例えば、
妻が夫と離婚したい理由に合理的理由がなくても
家族制度解体に向かうのであればそれでよいわけです。
たとえ不貞を成就するために、DV保護制度を悪用しても
家族制度解体に向かえばそれでよいわけです。
そこで男性が不合理な事態に苦しんだとしても、
歴史上女性は男性たちによって不当に苦しめられてきたわけですから
現代の男性が不合理な思いをしても気にも留めないのです。
女性解放のためには気にしていられないということになります。

一度握ったDV保護制度はどんどん拡張していくわけです。
DVの概念は無限に拡張していきます。
家族の中に女性がいること自体が
彼女らにとっては、男性によるDVなのですから当然のことです。
どんどん警察を家族の中に入れて
家族を解体しようとするわけです。

現代の家族解体論者の最重要課題が家族の解体ですから
その他の人間関係とは喧嘩せず、うまく利用するのも特徴です。
一番は国家や自治体です。
国家とは、総理府(男女参画局)、裁判所、総務省等で
自治体としては、自治体職員特に子ども関連の部局である
児童相談所、学校等です。
そして警察です。

職場や雇用環境、昇進の問題では
おざなりに女性差別反対を口にしますが
具体的な対策の主張はあまりしません。
標的を家族に絞るという戦略は奏功しているようです。

2 アメリカにおける家族解体主義ムーブメント

このような家族解体主義的ムーブメントは、
アメリカでも
1980年から95年にかけて巻き起こりました。
主に成人に達した女性たちが
幼少時代に、父親、兄弟、叔父などから性的な虐待を受けていた
という記憶をよみがえらせ
家族に対する刑事告訴、民事賠償訴訟を提起し、
当初はアメリカの司法は、この記憶が正しいものだとして
父親を刑務所に収監し、巨額の賠償命令を相次いで出したのです。

この訴訟は、概ね、女性たちが不安を抱いてカウンセリングを受けたところ、
催眠療法によって「失われた記憶」を「よみがえらせ」て
司法手続きを起こしていてたという特徴がありました。

このようなカウンセラーは急進的なフェミニストがほとんどでした。

これに対してエリザベス・ロフタスが、
人間は、どこかに正確な記憶が保存されていて
10年以上たって、正確な記憶を想起することができるということは
人間の記憶の仕組みに反している
ということを科学的に主張し、
それが受け入れられ、広まって、
1995年以降はこのような「よみがえった記憶」を正しいものとしては
司法判断が行われなくなりました。
また、このような記憶回復療法は現在では行われなくなったそうです。

「記憶」がよみがえった人たちの多くが、
記憶がよみがえったのちに精神的に治療が必要な重篤な状態に陥るなどの
重大な副作用も生したという事情もあるのでしょう。

「抑圧された記憶の神話」E・F・ロフタス外 ラディカルフェミニスト J・Lハーマンを裏から学ぶ。治療者と弁護士のアプローチの違いと弊害について
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2020-12-02

日本の家族解体主義者は
このアメリカの家族解体主義の敗北が
科学的理由および具体的な患者の精神の悪化という事実に理由があるのではなく、
アメリカの家族擁護主義者の攻撃による政治的なものだと主張しています。

そうだから
カウンセラーが虚偽記憶を誘導して作り上げたということについては
形式的には批判するという枕詞を述べながら
(本来虚偽の記憶が)どのように想起されるかということを検討し
正しい記憶がよみがえったという扱いにすり替わってしまっています。

記憶のメカニズムに反するという批判の核心を
理解していないことがよくわかる一貫しない論旨となっています。

また、家族解体主義者の主張が科学的ではないことを端的に表しています。

そして、自分たちの主張に反対する科学者たちを
「家族擁護主義者」と呼んでいることも印象的です。
この主張があったからこそ
家族解体主義という思想を共有する人たちがいることに
私が確信を持てた理由でもあります。

3 家族解体主義者たちの現在の課題 共同親権の阻止

現在、離婚後の共同親権化が秒読みの段階に入っています。
しかし、これに対して
解体論者を中心として強力な反対運動も起きています。

家族解体主義者の一人は、
共同親権制度に先立つ親子断絶防止法の動きにいち早く反応して
こんなものができてしまうと、
「私たち」が作り上げてきた20年間の成果が失われてしまう
ということを言っていました。

共同親権制度は、他国との関係があるので実現すると思いますが
反対論の陣営によって、どのくらい骨抜きになるかということが
実務的な課題となるわけです。

一昔前の面会交流調停のように
会いたい、会わせたくないという感情論的な切り結びだけでは
骨抜きにされる危険が大いにあるといわざるを得ません。

家族解体論者の面々は非科学的ですが
バカではないので、
戦略や味方作りは見習うべき程巧です。

このため家族解体主義ではない人も
共同親権に反対を掲げているのが現状です。

そのために例外的なDVの存在を理由に共同親権の原則を骨抜きにしようと
主張しています。

問題はここにあります。

4 なぜ家族解体主義が受け入れられるのか リベラルの弱点

家族解体主義者は、
国家政策の形成過程に入り込んでおり、
審議委員などを担当しています。

このため、知名度もあり発言力が強く、
彼女らの主張は大手メディアでもたびたび追随的に取り上げられています。

つまり保守層にも食い込んでいるわけです。
無批判に食い込ませた保守層には責任があります。

その他にリベラルにも賛同者が多くいます。

もっともリベラルの人たちは、
家族解体主義に賛成しているわけではありません。
それどころか、彼女らが家族解体主義者であるという認識も
持てていないのかもしれません。

おそらくそういうリベラルの人たちからすると
私の主張は極めて保守的な政治色が強い主張だと
反感を覚えていることと思われます。

私が家族解体主義者だと主張している人たちを
擁護しようという正義感を発揮しようとしているかもしれません。

家族解体主義の人たちは、通常家族解体主義を前面に出しません。
急進的なフェミニストとしての発言を前面に出しています。
繰り返しますけれど彼女らは頭は良いので、
自らの影響力を減退するような活動には慎重です。

フェミニストの外観というのは、
女性の解放を第一に主張を組み立てるということですし、
女性の置かれている差別的な実情を報告し、
抜本的な社会改革を主張するという外観です。

しかし、これまでお話ししました通り
自分たちが利用する政府批判や
現実に女性を差別している雇用問題については
おざなりな主張に終始しています。

そもそも政府の男女参画局は
雇用機会均等を大きな柱としてスタートしていますが
雇用機会均等は開店休業状態で
もっぱら家庭の中の問題だけの活動になっています。

家族解体主義者たちは、それでよいのです。

しかし、おざなりとはいえ
リベラルな主張を一応しますので
リベラルの人たちは、
主張を同じくする人だという仲間意識を持っているようです。

特に党派的なリベラルな人たちは
自分たちが少数意見者だという意識が強いですから、
人間を、自分たちと、反対者、つまり敵と味方と
二分法によって区別をします。

そしてひとたび仲間だと認識した相手に対しては
批判的にみることをやめてしまいます。
仲間の主張は自分たちの主張だと
気が付かないうちにどっぷり取り込まれています。

逆にひとたび敵だと烙印を押した人に対しては
とことん攻撃をします。
決して冷静に話し合って、修正すべき点の修正を求める
という態度ではありません。
揚げ足取りと人格攻撃という
ネットいじめやネットいじめのような
感情論による批判の集中砲火をするわけです。
その対象者を擁護することが怖くてできなくなるわけです。

これは現実を組織(人間関係)というフィルターを通してしかみれず
自分の頭でものを考えるということを放棄してしまうという
組織や集団、特定の人間関係に依存している考え方の特徴を示しています。
面倒なことは考えないという人間の思考パターンの一つです。
スタンリーミルグラムが服従の心理と言い
私が迎合の心理といった人間に備わった心理です。

このように家族解体主義者は
周到に自分たちのシンパや保護者を形成していますから
決して侮ることはできません。
しつこいですが頭の良い人たちです。
力もあります。

では、どうすることもできないのでしょうか。

そうでもないのではないかと考えています。

彼女らの最大の弱点の一つは
唯一の主張が家族解体主義なのだけれど
家族解体主義を前面に出すことができない
ということなのだろうと思います。

これがために、
本当は家族の中における男性のすべてDVなのですが、
極端なDV事例や、本当はDVとは関係の無い男性の暴力性を強調して
論を進めなければならないという弱点と

統計的な裏付けのほとんどが
確認手段がないような引用方法だということ
科学的な論拠を省略するという様々な弱点があります。

また、党派的なリベラルは
極めて微小な力しかありませんから
保守、体制側の理解を正していく
という手法が有効なのではないかとも思われます。



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