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SNSでの家族情報拡散と夫婦問題 [家事]


SNSの普及は目覚ましいものがあります。つい10年前は、私にとってもSNSは全くの他人事でした。今でもやらない人はやらないと思いますが、一度始めてしまうと、時間が空いているときは、ついのぞいて見てしまうという人が多いのではないでしょうか。

フェイスブックなどでご家族の様子をアップされている方がいらして、長年継続的に見ていると、お子さん方も知り合いのような情わいてきてしまいます。成長の早さに驚いたり、無邪気な様子に笑顔にさせていただくなど、幸せを願わずにはいられません。

そういうご家族ぐるみで情報発信されている場合は良いのですが、ここ数年位の間で、SNSの情報発信が、離婚理由の一つとしてあげられるケースが増えてきました。SNSは、使用を誤ると人を追い込んだり、誤用をして自分で追い込まれてしまうという危険をはらんでいます。いじめやパワハラの手段にも使われるという情報も耳にします。これまでになかったツールなので、それが持つ危険性や危険回避の方法があまり意識されていないという、ツールとしての成熟度が途上にあるという感じです。

夫婦間のトラブルとしてのSNSトラブルは、主として妻の側からの不満として聞かれます。夫が自分の同意なく、家族の情報を不特定多数の人間にSNSを通じて発信しているというところに不快を感じているというものです。そしてやめてくれと言っても止めないということが不満の中核のようです。

しかし、離婚訴訟などでは、夫のSNS発信を名誉棄損であるとか、誤った情報を流された結果自分の対人関係から追い出されてしまったなどという夫の違法行為としての主張になってしまうようです。こういう主張になってしまうと、夫の側も、名誉棄損には該当しないとか、SNSは限定公開なのでそのような効果は起きていない等と応戦してしまうわけです。

裁判がどうなるかというよりも、こういう夫婦問題が起こりうるということを知ってほしいということと、考え方の選択肢が増えるとよいなということから少し考えてみようと思いました。

夫婦の間で、一方が嫌だということを無条件にしない
ということも一つの選択肢だと思います。

ところが、これがなかなかできない。なぜできないのかをまず考えましょう。

1つは、SNSで情報を公開されることが嫌だという妻の気持ちをあまりよく理解していないということが理由になると思います。妻自体が、どうして自分がその情報発信が嫌なのか説明できないということがあるようなので、ここでは推測してみることにします。
2つ目は、どうして家族が嫌だということが分かったのにも関わらず、情報発信をしたくなるのかということについても考えてみたいと思います。

まず、どうやら理由の1と2は、あまり切り離して考えるべきではなく、根は一つのようです。せっかく分けて問題提起しましたが、一緒に考えてゆきます。

家族のSNS使用をめぐる対立は、実際には色々な心理的要因があると思うのですが、ここではSNSという仮想空間の問題性を中心に考えてみます。フェイスブックを例にお話を進めますが、その他のSNSも同じだと思っています。

フェイスブックの使い方と言えば、タイムラインに投稿したり、タイムラインに上がってきた記事を読んだりするわけです。そこで、自分の投稿に対して、誰かからの反応があったり、コメントが書き込まれたりするわけです。誰かの投稿に対して、自分も反応したり、コメントを書き込んだりするわけです。住んでいる場所も違えば、リアルには面識もない人とやり取りするわけです。

積極的にフェイスブックを活用する人たちは、どうやら、フェイスブックのタイムラインを、自分の人間関係だと感じているようです。表現はなかなか難しいです。友人関係と言っても良いのかもしれません。その人によって、そのとらえ方、程度は違うようですが、われらが夫たちは、なにか悩みがあったら相談できるし、必要な情報があれば提供を求めることができる、その代わりフェイスブックの友達の相談には乗るし、自分の持っている情報は積極的に提供をする。そうやって、感情を共有する仲間のような感覚になっているようです。ある意味、タイムラインは生徒にとっての学校の教室のような場という感じでしょうか。

ひとたび、フェイスブックが、自分のコミュニティーだと感じてしまうと、人間の本能として、仲間のために貢献したいという気持ちや、仲間に承認されたいという気持ちが生まれます。できるだけ、意味があるようなリアリティーのあるような投稿をしたいと思うのでしょうか。投稿の回数も増えるでしょうし、内容も様々なこと、身の回りの出来事も載せていきたくなるのでしょう。また、仲間からの自分の苦境に対する励ましも求めてしまうことになるのも自然な流れだと思います。但し、ここでいうリアクションを期待する相手は、特定の誰かというよりも、仲間の中の誰かということになるのではないかなあと推測しています。敢えて言えば自分のタイムラインという実体のない仮想人間とでもいうのでしょうか。特定の誰かならば、メッセンジャーを使えば良いですからね。そうして、フェイスブックは、自分の都合の良いときに、都合の良い情報を獲得するバーチャルな友達のたまり場みたいになっていくのでしょう。こうなってしまってから、ふいにフェイスブックの投稿や閲覧をやめろと言われても、なかなかできるものではなくなるのです。仮想空間の中に「自分の立場」が生まれているという意識になっていると思います。

フェイスブックを積極的に活用する人は、見ていると、社交的な人で、不特定多数を前にしても動じず、人前で普通に話すことができる人で、リアルな集まりでも堂々と自分の意見を言える人、仲間に対して仲間全体の活動の方向性を提案できる人という性質があるようです。また、他人から自分が攻撃を受けることを想定しない傾向のある人、1人1人の反応をあまり想定しない人、自分の考えに他者も賛同するだろうと漠然と考えている人ということになりそうです。お人好しのお節介ということがあると思います。人懐っこく、しかし、傷つくことが多い人かもしれません。なぜか敵対的な対応をされることがあり、理不尽な思いもするようです。

われらが妻たちは、この点に関しては逆のタイプの人のようです。あまり大勢の中に出ていきたくないタイプであり、人前に出ると何を話せばよいのか分からなくなり、仲間の中にいても数人以上の仲間だと、ただ邪魔にされなければ良いやと感じる人、その代わり二人になれば自分の意見とか希望を持ち、積極的にお話をするようになるようです。でも自分の気持ちなど大事なことはうまく言えないために口に出すことができず、できればそういう気持ちを察してほしいと考えているようです。他人に対しては漠然とした不安があり、自分の意見が通ることはあまりないだろうと考えているようです。他人とコミュニケーションを取りながら争いになることを避ける工夫をすると言うよりも、できるならば争いを避けるという意味合いもあって、コミュニケーションをとらないで済むならばとらないでおきたいという感じでしょうか。
みんなの中にいるよりも、安心して家庭や気のおけないいつもの少人数の友人の中で過ごしたいという感じでしょうか。
こういう人はフェイスブックを活用することは少ないようです。利用したとしても、誰かの投稿を閲覧するくらいなのだと思います。

夫婦の中で一方だけがSNS発信をする場合(に限らずなのですが)の注意事項を3点考えてみました。

先ず第1に気が付かなければならないのは、人には個性があって、フェイスブック一つとっても、アプローチが全く違うということです。そして、おそらくどちらが正しいとか、どうしなければならないということもないのだということです。どうしても、新しい技術などが出現すると、それを取り入れなければならないと思い込む場合がありますが、それは根拠のない洗脳だと思います。
そしてできるならば、お互いの個性を尊重しあう方が良いということです。フェイスブックをするなというよりも、家族の情報は流さないでほしいというならば、それはしないから後の活動はさせてくれというような妥協案が一番理性的なのだろうなと思います。やるかやらないかではなく、譲歩し合うということですね。
フェイスブックをやらない人にとっては、不特定多数人にメッセージを発信することすら本当は恐怖なのです。誰かが家族のフェイスブックに否定的なコメントを書き込まれてしまうと、かなり恐ろしいことが起きていると感じるようです。本当は、そこまで家族を不安にさせてまでフェイスブックをしようという気持ちはないのですが、もはやタイムラインに自分の立場というものが確立されていますから、やめることはなかなか難しい。それもわかります。

次に気を付けなければならないことは、デジタル情報は加工ができるということです。今の中学生は、こういうことが自在にできるようです。スクリーンショットをとって、加工をして拡散してしまう。ただ、その加工は全面的に行われるということは少なく、部分的な加工がなされることが圧倒的に多いです。ここからの結論としては、やはり、誰か他人のことを話題にして投稿してしまうことは大変危険だということになるでしょう。誰かの失敗や落ち度、不十分なことを話題にすることは大変危険です。また他人の情報を発信することも控えた方がよさそうです。公開の範囲が限定的であっても、リアルに信用ができる人ばかりではなく、ほんの出来心で、加工をして一般公開されるという事件は少なくありません。

最後に気を付けなければならないことは、永久保存されるということです。本当は相手方は、その投稿をリアルタイムには見ていないはずなのですが、その投稿のせいで自分の行動が制限されたという主張が結構出てきました。証拠としてその投稿画像が出されることは、画像保存をしておけば手軽にできることです。しかし、その投稿時に、相手のネット環境がどうだったかということを証明することは案外難しいことです。また、おせっかいな人が、その画像を相手に見せているかもしれません(けっこう少なくありません)。一度投稿してしまったら逃げようがなく、確定的に不利になってしまうということがよく見られます。

もちろんこれらのことは、フェイスブックなどSNSに限らず、普通のEメールなどでも起き得ることです。大事なことは、我々は便利なところに着目してインターネットを利用し始めていますが、デメリットをすっかり把握していないということなのだろうと思います。

SNSに手を出さないでくれという人の気持ちはわかります。しかし、なんでやってはだめなのかわからない。理不尽な行動制限だという気持ちもわかります。問題は一緒に暮らしていくという意味をどう把握するかということなのかもしれません。また、本当に大事な人を守るという発想を持って話し合うということなのかもしれません。
私ももう少し考えた方が良いかもしれません。

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