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埼玉医師殺人事件報道「母親の治療に不満」という見出し報道に対する疑問 1 死者の名誉 被害者に対する報道によるさらなる加害 [弁護士会 民主主義 人権]


令和4年1月27日にあった医師に対する殺人事件の報道に疑問を感じてモヤモヤしています。今日からはそのお話です。

報道では、30日日曜日あたりまでは、NHKニュースなどでも、「自分の母親に対する医師の治療に不満があったとみて警察は調べている。」等の表現を使っていました。
2月1日になって、共同通信配信の記事を各地の新聞紙は報じていますが、ようやく、細かい字の本文では「一方的に不満を募らせ犯行を計画した。」という表現になりました。
それでも、各地の新聞のデジタル配信では見出しは、「医師ら数人指名し呼び付け 治療に不満、以前から罵声」です。実際の紙面では、新聞によって違うのかどうかわかりませんが、インターネット配信では恐ろしいくらい同じ見出しとなっています。

どうなのでしょうか。

私は、最初、この事件が報道されたとき、被害者である亡くなられた医師に、「何らかの不誠実な対応があったために恨みを買ったのか」という印象をよぎらせてしまいました。しかし、すぐに、その医師が、若くして在宅医療を手掛けていることや患者さん方から厚く信頼されていることなど、様々な報道を目にしました。立派なことをやっている人だということを知って、黒い印象は自然に消えていきました。
その後、30日あたりには、26日に死亡した母親の弔問を医師に要求して丁寧に断ったことから犯行に及んだという報道が入るようになりました。それでも、テレビニュースでは、「治療に不満があったとみて捜査している」という表現を決まり文句として繰り返していたのです。ここで、報道に違和感があるということをはっきりと自覚するようになりました。これは意図的な表現なのだろうかとさえ疑うようになりました。
それらの「治療に不満」報道は、警察発表として報道されています。報道機関は、「自分たちが、犯人が医師の治療に不満を持っていたための犯行だと考えているわけではない。警察がそういう視点で捜査をしているという客観報道だ」と言わんばかりです。戦時中、「大本営発表」と言えば、大本営がこう発表しているという報道であるから、報道機関は真実性には責任を持たないというマスコミの姿勢を連想しました。
2月1日の時点では、犯人が、「以前にも医師に罵声を浴びせていた」、「一方的に不満を募らせた」という表現を報じているわけです。そうであれば、見出しも「医師ら数人指名し呼び付け 治療に不満、以前から罵声」ではなく、
「数人を指名し呼びつけ 医師らに以前から一方的な不満」とするべきなのではないでしょうか。相変わらず見出しは、説明なく「治療に不満」を繰り返していたのです。一斉連呼していたようなものです。細かい字では確かに一方的に不満を募らせていたと書いていますが、見出しは先入観を与えたり、印象を強めたりする役割があり、そのために見出しを付けているのですから、見出しがどういう印象を読み手に与えているかについて、配信元だけではなく、実際に配信した新聞社やテレビ局は責任を持つべきだと思います。
それとも、「治療に不満」という見出しでは、治療者に不満を招く原因があったように印象付けられることはなく、そう考えるのは私だけなのでしょうか。

このようなマスコミの表現に注目するようになったのは、昨年11月に中学生が同学年の生徒を刺殺したという事件で、マスコミは加害者が被害者によっていじめを受けていて、それが原因かのような印象を与える記事に接した時にもありました。
昨年12月の放火殺人事件の際もそうでした。トラブルがあったという報道が一方的になされました。
「マスコミの報道があまりにも被害者に配慮を欠きすぎるのではないか。被害者にもそれ相応の原因があるかのように聞こえる表現は改められないか。 大阪ビル火災事件の報道と中学生刺殺事件の報道に共通する問題」
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2021-12-20

今回マスコミが、あえて中立的表現を使ってきたのは、警察発表はそのまま報道するという不文律もさることながら、「加害者の人権」に配慮した可能性はあります。
今回の医師殺人事件では、「不満が難癖のような一方的なものなのか、不満を抱くことにある程度の正当性があるものなのかわからない。だったら、医師の行為に対して不満があったことは事実であるから、そう見出しを振ろう。」そのような考えがあったのかもしれません。
しかし、あくまでも見出しですから、それで私なんかは事件を知った気になるわけです。両方の可能性があるというならば、被害者である個人の名誉を害する危険のある表現をしなければよいわけです。動悸はわからないとして、わかった事実を記事にして、見出しにすればよいはずです。マスコミは、それをしませんでした。「治療に対する不満との関連性について捜査をしている。」ということは、ミスリードになる危険もあるし、報道しなくてもよかったことではないでしょうか。加害者の人権に配慮することによって、被害者の人権侵害の危険を発生させているというのでは明らかに本末転倒です。対立する一方に配慮することは他方を傷つける可能性があるということを、あまり理解していないのではないでしょうか。被害者やその家族は、加害者によって被害を受けた後に、マスコミによってさらなる被害を受けている危険があるわけです。

中学生の殺人事件や大阪の放火殺人事件は、マスコミではもうほとんど取り上げられていません。人々の記憶からも失われつつあるのかもしれません。最初の報道だけに接して、その後の詳細な報道を知らない人々の少なくない人たちは、中学生の事件はいじめの結果の事件だとか、大阪放火殺人の事件はトラブルから事件につながったと思っている可能性もあるわけです。ご遺族の苦しみだけが、いつまでも続いていく可能性があるのではないでしょうか。

真偽が不明であり、被害者をさらに追い打ちする可能性のあることは、警察が発表しても報道しないというルールを作るべきだと感じました。


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