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命の授業考 命を大切にしましょう、自分を大切にしましょうという授業ではあまり意味がないと思う理由 わしならばこう語る [進化心理学、生理学、対人関係学]



先日高等学校で命の授業をしてきました。
皆さん真面目に静かに聞いていただきましたし、多くの生徒さんがこちらを見て聞いていただきました。授業後の感想も的を射たお話をしていただき、授業を担当した側としては、その甲斐のあった素晴らしい時間でした。

さて、今年はもう一件他県の授業があるのですが、今回準備をしたりお話をしたりする過程で強く意識に上ってきたことがあるので、忘れないうちにまとめて次回につなげようと思って、記事にする次第です。

先ず、命の授業というと、命を大切にしましょうとか自分を大切にしましょうという形の授業が多いようです。出産の大変さとか、親の愛情とか、病気を抱えても精いっぱい生きた人の生きざま、そういうことを語っているようです。私はこのスタイルには前々から本能的な違和感がありました。今回この違和感の正体もわかったような気がします。

先ず、何のために命の授業をするかというところがあります。私は、通常以下の目的のもとで行われているように考えています。
・ 自死予防
・ いじめ予防
・ 薬物などの違法行為予防
・ 自傷行為の予防
こういうことだろうと思います。
これ等の目的を持った生徒への働きかけは必要だと思います。

しかし、こういう目的があった場合、「命を大切にしましょう」という呼びかけは効果が無いと思うのです。もちろんただ「命を大切にしましょう」と連呼しているわけではないことはわかります。しかし、命を大切にしなくてはならない理由を延々と述べることもまた、目的に到達するという意味では効果が無いと思います。

この種の話をする人は、前提として
1)自死やいじめなどの問題行動が起きる理由は、命の大切さを理解していないことにある。命の大切さを理解するとそれらの問題行動は起きにくくなる。
と考えているのだと思います。そして
2)命の大切さとは、出産の大変さや親の愛情によって説明ができることだったり、死にたくなくても死ななければならなかった人が精いっぱい生きる話をすることで、認識できることだ
というような考えを持っているからそういう話をするのでしょう。

しかし、
「問題行動を起こす生徒さんは命の大切さを知っていない」という前提は、間違っていると思います。自分を大切にするからこそ、自死をせざるを得ないまで追い詰められるのですし、社会に適応しようと一生懸命のあまりいじめをしたり、自傷行為や引きこもりをしているということこそが授業を受ける生徒さん方の意識なのではないかと思うのです。問題行動は生きようとしてもがいているもがき方だと私は仕事柄感じています。

2についての批判は、そんなことを言われても自分はこのような不遇な思いをしている、どうして人間である自分が大切にされないのだという意識を持つという逆効果になるというもので、多くの方々がお話ししている通りです。

つまり、命を大切にしましょうスタイルの命の授業は、自死やいじめや自傷行為をする危険を背負っている生徒さんに届かないということにはならないでしょうか。

さらに致命的な問題点があると思います。それは命は大切だということがわかっても、ではどうすればよいのか皆目見当がつかないということです。自死してはいけない、いじめをしてはいけない、自傷行為はいけないと言われても、それをする際には、自由意思で興味本位で一つ自死してみようとか、いじめてみようとかリストカットをしてみようとしているわけではないのです。気が付けばそれをやっているし、それをやっていることに気が付かないでやっていることが大半なのではないでしょうか。

では、命の授業では何を話せばよいのでしょうか。

命を大切にするための具体的な、実行可能な行動を提起することこそ必要なのだと思います。
自死をしない方法、いじめをしない方法、自傷行為をしない方法を提起することになるのですが、ここで発想を変える必要があると思います。

自死をする理由や条件は、人それぞれ異なります。すべての人が自死をしない方法をわずかな時間で語ることはできませんし、そもそもわかりません。自称行為をしない方法というのも、その生徒さんが置かれた環境が変わらないのに、自傷行為だけをしないということにあまり意味があるとは思えませんし、実効性もないと思います。いじめも単純に起きているわけではなく、それぞれの生徒さんの置かれた条件の中で、その生徒さんなりの論理があって行動をしているわけです。

自死をゼロにする、いじめをゼロにする、自傷行為をゼロにするということをいくら命じたところで、それは無くならないということを知らなければなりません。また、ゼロを目指すという目標設定が誤りであることに気が付く必要があります。

ゼロの先のプラスを目指さなければ、ゼロには到達しません。目標はもう少し高いところに設定するべきなのです。

目標は現状の生きづらさの原因を理解し、幸せな人生に向かって自分の環境を改善していくというところに持つべきだと私は考えます。

つまり、なぜ自死が起きるのか、なぜいじめが起きるのか、なぜ自傷行為をするのか、その原因をその人なりに考えないとならないということです。それらの問題行動をする主体が人間であることから、人間としてそれをせざるを得ない状態に追い込まれているという理解がどうしても必要だと思います。

詳しくは授業の中でお話しすることなので大事なことを省略して話せば、

一言で言って人間は、他者から尊重されて生きていきたいという本能を持っているということ。他者から尊重されていないことを感じると、自然と危機感を持ってしまうこと、危機感があれば自分を守るために怒りを覚えたり恐れを覚えたりして、反応をしてしまうということです。なぜならば人間だからです。

人間の能力からすると、ただちに世界中の人が世界中の人を尊重するということは望めないかもしれません。そうだとすると、自分の周囲に、自分が尊重されていて、安心できるという環境を構築することならばできることだと思います。

具体的には、家族であり、友人、あるいは同級生という仲間を作っていくということです。これが小学生までの子どもであれば、そうはいっても大人が作ってあげなければならないということになるかもしれません。しかし、大人になるということは、環境を他者に構築してもらうだけでは無く、自分から人間関係を作っていかなければならないということなのだと思います。つまり仲間づくりということなのです。

具体的に何に気を付けて仲間づくりをするか、どうやって仲間づくりをするか、なぜその第一歩が挨拶なのかというようなことを具体的に説明していく。これが人間として生きるという意味での命の授業だと私は思います。



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