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思い込みDVなのに、なぜ夫に対して攻撃的感情が生まれて、持続するのか 怒りの原理と確証バイアスの構造 [家事]

 

<思い込みDVと連れ去り別居>

実際はDVというほどの身体的暴力や精神的暴力が無かったのにDVがあったと主張して、警察や役所の支援の下で、妻が子どもを連れて住んでいる場所からいなくなり、父親は子どもと会えないどころか、連絡を取ることもできなくなり、やがて妻は保護命令や離婚手続きに進むという事例が多く見られます。

妻は、多くは自治体や国の配偶者暴力センターで、「あなたは悪くない。それは夫のDVだ。」という決まり文句を聞かされて、「私はDVを受けていたのだ」と思い込むようになるようです。配偶者暴力センターの相談件数に50をかけた数字がほぼ面会交流の申立件数と同期しているということは先日お話ししています。理不尽な親子断絶を感じて、法的手段に出る夫が増加するという構造です。
私の担当事案に現れた男女参画事業の配偶者暴力相談(DV相談)が統一教会時代の信者獲得の技法に酷似していることと家族破壊という共通の問題点
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2022-12-22

<DVの具体的記憶がないにもかかわらず怒りを持つ妻たち>

実際はないのにDVがあると思い込む妻たちも、どうやら夫に対して本気で怒っているようなのです。ただ、通常、裁判上の書類にはどういう心理過程で怒りが出てくるかということは詳細には書かれていません。訴えられた夫でさえも妻が何を怒っているのか十分に理解することができません。

裁判の書類には、「DVがあった」とか、「暴言を受けた」、「人格を否定された」、「長年の積み重ね」とか抽象的な表現だけが書かれて具体性のある出来事が記載されていなかったり、どこかの事例を借用してきたような実際には存在していないことが書かれていたりします。かなり怪しい主張です。「怪しい」というのは、人間の記憶は、自分が体験して怒りの感情や恐怖の感情を持った出来事はリアリティーをもって覚えているようにできているので、離婚の成否を決めるかもしれない大切な主張書面に怒りの根拠となった出来事について何ら具体性のない記載しかないということはあり得ないからです。具体性のない主張は、そのような事実はなかったと考えるほうが合理的である場合が多いと思います。

それでも記憶のメカニズムについて素人である裁判所は、DVがあったという抽象的な妻の言葉によって、勝手に自分がイメージするDV像があったと想像してしまうようです(プロトタイプ理論、ステロタイプ)。裁判官が抱く一般的なDVのイメージの平均的な出来事があったと考えてしまい、①妻がやり直しを強固に拒んでいて、かつ、②同居をしていないという二つのことだけを理由に離婚を認める傾向にあります。

但し、慰謝料を認めるか、認めるにしてもその金額については、リアリティーの有無はとても大きく影響するようです。リアリティーのある主張や客観的事実と整合しない主張しかできない場合は、この点決定的に不利になります。しかし、DVがあると思い込んでいる妻は、もっと早く離婚が成立し、もっと多くの金銭が支払われると思っています。そのように説明されていたのに、そうはならないことでヒステリックになる人もいます。実際は、ことは慎重に進めなければならかったのです。支援者の根拠のない楽観論に振り回されている妻はずいぶん多くいらっしゃるようです。

それにしても、具体的事実の記憶もないのに、どうして夫をそんなに攻撃することができるのでしょうか。考えてみたら不思議なことなのです。
原因を探ってみましょう。

<思い込みDVの原因についてのおさらい>

先ず、これまでのおさらいなのですが、怒りを持つということは、「自分を守らなければならない」と感じているということです。自分が危険な状態にあると思った時の反応としては、「逃げる」、「立ちすくむ」、「怒って攻撃する」の三パターンがあります。いずれにしても危険を感じているときの反応です。

危険を感じれば危険が実現してしまうのではないかと心配になります。これが「不安」です。不安を持つと不安を解消したくなり、あれこれ行動を起こして危険を除去して不安を解消するのが人間をはじめとして動物の生きるためのメカニズムです。(遠くに熊が見えたら襲われるのが怖いからさっさと立ち去るとか、高い場所は落ちるかもしれないと怖くなり安全な場所に戻るとか。)

しかし、不安の原因がわからないのであれば原因を除去することができなくなりますから、いつまでも不安を感じ続けます。そうするとますます不安を除去したいという要求が増大していって、大きなストレスになります。

不安は、「何か悪いことが起きるかもしれない」という抽象的な心配だけで起きてしまいます。

自覚できない不安の原因として、これまで
体調(産後うつ等)、病気(精神疾患だけでなく、精神症状が出る内科疾患、婦人科疾患)、頭部打撲などの外傷、薬の副作用
などを挙げていました。理由はないのに体調の問題を不安感じてしまうということがあるのです。実際の離婚手続きで、具体性のない主張している妻の多くが、これ等の既往があることを自ら主張しています。しかし、本人も支援者も本当の不安の原因である可能性の諸症状についての知識は無いようです。

先に述べたように、不安を感じれば不安を解消したいという気持ちは強くなります。しかし、原因がわかりません。対処の方法が出てきません。不安と不安解消要求はどんどん大きくなってゆきます。

自分では不安を解決できないと自覚すると、人間は自分の一番身近な、一番頼りにしている人に無意識に解決してもらおうとするようです。妻の場合は通常は夫です。連れ去り別居のわずか数か月前には、妻は夫にいろいろな相談をしていることが多く、夫も親身に話を聞いているというエピソードが結構あります。それでも原因がわかりませんので、解決しません。夫が解決するべきだという感情も不安とともに増大していくことになるようです。

自分も夫も不安を解決できないとなると、さらに解決要求が高まりますので、妻は、普段ならばしないであろう行政の相談所に相談に行くわけです。配偶者暴力相談センターや女性の人権相談などは、男女参画事業として潤沢な予算が付きますので、お金をかけてポスターなどを制作し、宣伝をしているので、アクセスしやすくなっています。また、自治体や国の施設ということで、安心して相談に行きます。

<配偶者暴力相談による思い込みDVの完成と怒りの端緒>

相談所では、実は漠然とした不安があるだけだということも、あるいは体調や疾病由来の不安かもしれないという見当は一切行われません。
男女参画事業の不思議な共通性があるところです。事業評価においては、「働きかけによって家族関係を改善して」不安を解消したという評価項目はありません。男女参画局のホームページを見ていただければわかりますが、何件連れ去りをさせた、何件離婚を申立させた、何件保護命令を申立させたということだけが評価対象となっています。つまり家族再生によって女性の不安や生きづらさを取り除くという解決方法は初めから勘定に入っておらず、離婚させてなんぼということが国のホームページからは印象付けられます。

もちろん相談員の意識もそうなってしまいます。「女性の不安の背景には夫のDVがあるのではないか(あるはずだ)」と待ち構えて、夫のDVは見逃さないぞという態度で話を聞きます。だから、本来特に意味のない出来事も夫の虐待だと、相談員が自然に思ってしまうわけです。心理学的に言えば、相談を受ける前から「確証バイアス」に支配されており、DVと言えそうな事象だけを掘り出すように妻に言わせるわけです。DVではないという事情は無意識に捨象されて聞き流されます。相談担当者はいたって真面目で責任感の強い人たちです。初めから家庭を壊して女性を家庭から引っ張り出そうと思っているわけではないと信じたいです。こういう人たちが自ら確証バイアスに陥るようにうまく制度設計がなされているということがリアルだと思います。

妻の側は、役所の人たちにいろいろ尋ねられるので、自分のことを理解しようとしてくれていると感じます。それは妻も嬉しくなり、信頼も厚くなるでしょう。不安の本当の原因は置き去りにされたまま、「あなたは悪くない。夫のDVだ。」と自信たっぷりに断定されます。

<夫への怒りが発生する怒りの原理>

そこまで相談が進み、自分の不安の原因が夫にあると言われたとしても、いかに自治体の関係の相談だとか肩書のある相談担当者から言われたとしても、好きで結婚した夫に対して直ちに怒りが生まれ、離婚調停を行うほどの持続力があるのはどういうことだろうかということを考えなければなりません。

こう考えると、実際は夫のDVと呼べるような虐待があったということかと考えたくなってしまいます。しかし、ある仮説を立てることでこの流れが理解できると思います。この仮説を理解するためには補助線となる知識が必要です。以下説明していきます。

第1に妻の不安が病的であり、不安解消要求も病的なまでに強いということを理解しなくてはなりません。不安の原因に妻も夫も心当たりがありませんので、「とにかく不安が解消されればそれでよい」と、優先度が異常に高くなっているということです。常時、不安が発生していて落ち着かない状態になっているわけです。これは相当苦しい状態です。

第2に、「怒り」という感情の状態のときは「不安」が感じにくくなります。一種の「側部抑制」みたいなものかもしれません。これは、ヒポクラテスのいう「痛みが2つある時は、強い方の痛みしか感じない。」ということで説明できると考えています。妻は怒りを表明しているときは不安から一時的に解放されていることを体験します。

第3に、怒りは基本的には、戦えば自分が勝って相手を倒すことによって危険を解消することができると判断した時にしか起こりません。ここで役所の人たちや警察、さらには弁護士や裁判所まで自分の味方だと思うことによって、「勝てる」という意識になるのでしょう。怒りに向かいやすくなっているわけです。

第4、さらに、自分が悪いわけではなく夫のふるまいは自分に対する虐待だというアイデアは、夫に反撃をするべきだという意識を作り出してしまいます。

そして、自分は悪くなくて夫が悪い、自分の不安の原因は夫だ、自分には味方がいるから勝てるとなると、怒りが沸き上がり夫を攻撃しようという気持ちになるわけです。自治体の相談会では夫はいませんから、夫を攻撃するということで盛り上がることができるわけです。本当は怒りを持てたから苦しさが減っただけなのに、夫に対して攻撃したから自分を取り戻したという錯覚が起こるようです。

そうすると妻は奇妙な学習をしてしまいます。自分が夫に対する怒りを表明すると、自分の不安が感じられなくなり、解放されたような気持になるという体験です。気持ちが楽になり、不安や焦りを感じなくて済むということを覚えてしまいます。「やっぱり夫婦だし協力し合って頑張らなくてはならないかもしれない。」と考えることもあるでしょうが、そう考えるとまた不安に襲われて苦しくなってしまいます。(それほど強い不安に苦しんでいるということなのだとは理解する必要があると思います。)

この点、妻が意識して「自分の不安を感じなくするために夫を攻撃する」と考えるには無理があると思います。むしろ、夫を攻撃することが楽な感覚を得ることができるということで、「攻撃しないことができなくなる。」という感覚に近いのだろうと思います。攻撃依存に陥っているという感じなのでしょう。

<怒りの持続と確証バイアス>

さらにこの怒りが、離婚調停や訴訟などの手続きの間中持続するメカニズムがあるはずです。それが「確証バイアス」から説明できるのではないかと思います。

先ほども確証バイアスという言い方をしましたが、厳密に言えば先入観でしたでしょうか。「確証バイアス」というのは、例えばAを選ぶかBを選ぶかという選択を迫られて、どちらかを選択した場合に、選択後に、自分が選択したことが正しいことを裏付けるような都合の良い事情ばかりを集めてしまい、都合の悪い事情を無視したり、過小評価をしたりするというバイアスです。人間はこのような思考ミスをする傾向にあると言われています。

妻は、別居や離婚、あるいは子どもに会わせないことを「選択」し続ける状態になっています。そして確証バイアスによって自分の選択が正しいということを示す事情をたくさん集めたがるわけです。もともと思い込みDVの場合は不安がありますから、自分の選択が正しいということを常に思える事情を見て安心したいということになるでしょう。そうすると、なんていうこともない事情を虐待だとか、自分を苦しめた事情だと考えるようになります。本当は自分のわがままを夫に注意されたという出来事も一方的に説教された出来事という風な出来事として再構成してしまいます。また、夫婦で子どもに対して注意した出来事も、夫が一人で子どもを虐待したという出来事の記憶になり、子どもはそれを聞いて納得したのに、夫が子どもを力でねじ伏せたというエピソードに変わるわけです。

妻も、自分は間違っていたのではないか、離婚は早計だったのではないかと考えることがあります。あるいはそう考えそうになることがあります。その都度このような確証バイアスによって、自分の選択は間違っていなかったと思い返し、あるいはその思いを改めて強化していると考えると説明ができそうな気がします。

確証バイアスはこのような不安が多い人の思考ミスではなく、人間全般に見られる思考ミスです。もしかすると、確証バイアスというのは、人間は病気や体調にかかわらず、不安を抱きやすい、しょっちゅう不安を抱いている生き物であることがその由来なのかもしれません。選択をするということはもう一つの選択肢を切り捨ててしまうことです。自分の選択が正しかったのか、人間は不安になるのでしょう。そしてその不安を解消しようと、つまり安心するために自分の選択が正しいことを示す事情を強引に集めようとするということが確証バイアスの構造ではないでしょうか。

人間が理由もなく不安を抱く動物だとすれば、思い込みDVの端緒は、もしかすると体調や病気ではなく、通常の状態でも起きる可能性があり、その後の事情で思い込みが強くなるという順番もあるのかもしれません。

裁判所で観られる思い込みDVの事案は、妻に夫に対する持続的な強い怒りが見て取れます。それに見合うDVの具体的な主張はありません。そのギャップを理解するためには、もともと妻に病的な強い不安があり、原因がわからず対処の方法がなく苦しみ続けていた日常であったということを理解する必要があると思います。

単に攻撃をして正義を主張するという方法では解決する方法がないということはこういうことだからだと思います。攻撃をしないということを一歩進めて、積極的に不安を除去していくという手段が最も有効なのだと改めて感じました。


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