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党首公選の意見で除名と表現の自由を関連させることが誤りであること 付録で人間集団のトップの神格化における確証バイアスの働きについて [故事、ことわざ、熟語対人関係学]



先ず、日本国の団体の内部行為においてすべて日本国憲法が及ぶということは単純な誤りです。

代表者の選出についても、例えば宗教団体の教祖を公選制にするべきだということをおそらく誰も言わないようなことと同じです。法人ということになると、会議や機関の設置を義務付けられていますが、これは形式的なことです。

代表者の選出方法について、公で批判をした言論についてのサンクションについても、それが団体内部の行為だというのであれば憲法の及ぶ問題ではありません。団体内部で何をしてよいのか、何をすることを禁じるのかということを団体が自由に決めることが許されないと、同じ憲法21条で定められた結社の自由の保障が崩壊してしまいます。例えば政党の子会社みたいな出版社があった場合、その政党の子会社の出版社が親会社の政党を批判してはならないということを決めることも団体の自由なわけです。それが嫌な人はそのような団体に入らなければよいし、支持をしなければよいだけのことです。

もちろん制裁としてリンチをしたり、財産を強奪すれば刑事事件になりますから、それは国家が介入することが可能となる違法行為になります。団体の内部行為にとどまらないからだと説明されています。そのような違法行為でない場合まで国家である裁判所や行政が介入することが許されてしまうと、事実上国が団体の在り方を決定できることになってしまいます。結社の自由が保障されなくなるわけです。

どうしてこのようなことを書き始めたかというと、国政政党の代表の決定方式を批判した党員が、内部的な定められた手続きで意見を述べないで、公に批判をしたことを理由に除名されたというニュースがありました。問題は、それに対して江川紹子さんが、この除名処分は表現の自由に反するので、直ちに撤回するべきだと述べたというニュースを見たからです。後に毎日新聞や朝日新聞も批判する記事を出したようです。(この両紙よりも私の中では江川さんが上のため表現はそのままで進めます。)

江川さんは、憲法上の表現の自由が政党の規則に適用されないということは熟知しているはずです。ニュース記事の切り取り方が不正確だった可能性もあるのですが、なぜ敢えてそのようにとらえられる表現を江川さんが使ったのかを考えるべきだと思いました。

おそらく政党というものは、次代の内閣を構成する団体であるから、個人的な組織のような宗教団体とは異なって、政党内部にも憲法の定める民主主義や人権が機能するべきだ、それが機能しない政党が作る内閣は民主主義や人権が機能しないものになると国民にアピールしてしまいマイナス効果が生じてしまうという観点からの政党に対する助言だとするのであれば、ある程度は理解できる発言のような気がします。

但し、それは支援者の心理にすぎません。つまり、江川さんは、その政党だけを支持しているのかどうかはわかりませんが、少なくともその政党を支援したいという気持ちがあることになります。その選択をした以上、最近よく出てくる「確証バイアス」が働いてしまいます。つまり、自分が支持をすることにふさわしい政党であるという事情ばかりを集めてしまい、自分が支持するのにふさわしくないと思われる事情は見ないふりをしたり、それほど大したことがないのではないかと過小評価をしたり、無かったことにしたりしてしまうという心理です。

つまり、その政党が「江川さんの考える正しい民主主義」を実践していないという情報は、見ないふりをしたり、それほど大したことが無いと過小評価したり、そのような事情が無かったことにしていたということになります。

私の知る範囲では、その政党は党首の公選制を一貫して否定してきましたし、その理由も分派を作り組織が分裂したり弱体化したりするからだということも一貫していたと思います。

除名が必要なのかはよくわかりませんが、くだんの人の行為が処分の対象となることは、政党にとっては他に選択肢が無かったはずです。また、そのことを江川さんが知らなかったということも考えにくい話です。

つまり江川さんは、ご自分の価値観に合うように政党の実態を頭の中で作り変えてしまっていたようです。除名処分を撤回したところで、くだんの人が自由に意見を述べることができるようになるわけではないですし、組織の外から批判する人物を組織の中にとどめようとしようとはしないはずです。

単純な話、自分の価値観と合わない政党であれば、支持をやめればよいだけの話です。
それなのに、どうして述べても仕方がないことを述べ、マスコミからのその政党攻撃の材料になるような発言をしたのでしょうか。

やはり無理な希望であったとしても、相対的に他の政党ではなくその政党を支持するべきだという発想が前提としてあり、日本国のためにその政党が今よりも国民の支持を集めなければならないという強い意識があったため、思わず言ってしまったということなのだと思います。しかしもしかしたら、確証バイアスによって、その政党を正確に把握していなかったから支持していたという可能性もあるわけです。

ちなみに組織の論理とは、組織を組織外の攻撃から守ろうとするという発想の外に、組織の秩序を形成して維持しようという発想が自然に生まれてしまうものです。人間の集団の組織というのは、実際は、集団のトップに従おうという意識になっている場合がとても強いです。これは特定の集団を批判していっているわけではありません。どの組織、あるいは組織というほどしっかりしていない一時的な仲間感情を持つ人間関係でも同じです。

但し、従おうということであっても、何が何でも従属しようということになるわけではありません。そういうケースによる犯罪は多々あるのですが、それはそういう風に追い詰められる特別な事情があったからです。

そこまで追い詰められていない場合は、トップを守ろう、トップを害されるのは組織全体を害されることだというような意識を自然に(無自覚に)持つということです。もう少し平たく言えば、「トップを中心に組織を一体化させようという意識」ということになるでしょう。例外的にこのような意識にならない人もいます。典型的にはトップの座を狙っている人です。しかし大多数の人は組織秩序の維持をトップを中心に置くことで形成しようとします。

そして、確証バイアスが起きる理由に「自分の選択の正しさについて安心したい」という気持ちがありますので、集団のトップについてもその人で正しかったのだという安心をしたい気持ちから確証バイアスが起こるようになります。その人に関する悪い事情については、知らないふりをする、過小評価をする、無視をするということです。そして、高評価につながる事情は多く集めていくわけです。本来トップの職責にふさわしいことを示す事情だけでなく、なんらかの好ましい評価はすべて収集してしまうわけです。海を挟んだ隣国のトップの人(故人)については、18ホール連続ホールインワンを行ったという逸話があり、ゴルフ関係者ならみんな知っている逸話です。集団トップの神格化は自然に起こりやすいものだと理解しておく必要があります。

公選制と分派の関係についても少しだけ考えてみます。確かに公選制が分派を作りやすくする危険性はあると思います。それがどの程度組織を弱体化させるかについてはなかなか難しい問題もあるように思われます。また、その政党が言う「用意された意見を述べる権利」については、一個人が述べたことが他の仲間に伝わると可能性というものが十分確保できていたのか問題にはなると思います。一方現状トップの意見は、組織における情報伝達方法によって迅速に組織の隅々まで伝達することができのですが、その情報の共有の規模と速度の違いがあることを踏まえても、意見を述べる権利として保障されているといいうる状態と言えるのか検証が必要なのだろうと思います。

いずれにしてもくだんの方も、自己の所属していた組織について、信頼をして、良かれと思う気持ちが強すぎて、現実を踏まえると望んではいけないことを望んでしまったということになると思います。江川さんですらそうですから、ご本人はなおさらだったのでしょう。

しかし、現実は客観的に想定できる結末となりました。初めから別組織を作るなりして活動されればよかったということにしかなりません。

毎日新聞や朝日新聞が、その政党がデメリットを考慮してもメリットがあるからそのようなルールを作っているにもかかわらず、そのルールを批判することも見当はずれの社説ということでよいと思います。それはその政党の勝手であり、外部者が口を出すことではないからです。

おそらく新聞はそのようなルールを作る政党は支持できないということを言いたかったのだと思いますが、さすがにそれではあからさまに中立ではなくなるので、そうは書かなかったのだろうと思います。

そんなことを社説で言うよりも、正しさはみんなで共有して初めて正しいということになるということを助言すればよいのになあとちょっと思いました。

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