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カウンセリング技術と弁護技術の融合 ロジャーズの「来談者中心療法」(「カウンセリングの話」シリーズ3) [進化心理学、生理学、対人関係学]



ロジャーズの理論が、この本を読んだ時から一貫して感銘を受けている場面です。現在においても異論がありません。むしろ、積極的に弁護士業務に取り入れていくために今回も再確認をしたくらいです。

さて、ロジャーズの理論は、来談者(クライアント)中心療法というもので、カウンセラーがあれこれクライアントに指示を出すことを中心にすることをせずに。クライアントの成長を信じて、その力と決断力を中心に進めるカウンセリングのことを言うのだそうです。

これを理解するためには、この反対の理論を知る必要があるでしょう。それが、精神分析だと平木先生はおっしゃります。精神分析は、「人間は本能の塊である」と考えていて、本能は奔放でコントロールが難しい、だから本能をいかにうまくコントロールして人間にふさわしく発揮をさせていくかを教えなければならないという理論だそうです。

この時期の本能の考え方は、現代と異なります。「本能というのは人間に悪さをするもので、本能に従って物事を行動してはならない、人間は理性的に生きなければならない。」というデカルト的な考え方といえるかもしれません。理性が礼賛されていた時代です。(だからこそ、フロイトの無意識による行動決定は理性の及ばない人間の行動の存在を主張したもので、世界を震撼させたわけです。)しかしこの理性礼賛というか、本能は悪であるという考え方は現在は否定されています。対人関係学の親ともいうべき、アントニオ・ダマシオの「デカルトの誤り」に書かれているように、本能(二次の情動)によって人間は対人関係の中で自分の位置を「考える」より早く「感じ取り」、自分の行動を抑制するという側面があるということでした。

だから、この本能をつかさどる前頭前野腹内側部が欠損すると、ギャンブル的な行動をしたり、他者から顰蹙を買う行動が「できるようになって」しまったりということで、本能(二次の情動)が人間が群れを作るうえで、つまり人間らしく生きるためで重要だということになっています。

また人間の意思決定も、理性をつかって思考の結果結論を出すという思考パターンはそれほど多くなく、ほとんどの行動は無意識の、思考をそれほど使わないバイアスがかかった意思決定をしているという二重意思決定モデルも理性のとらえ方を修正するべき方向に向かう理論ではないでしょうか。

このシリーズのこれまでの記事で述べてきた、人間が対人関係で安定した帰属をしたいという欲求があるということも脳科学や認知学的な裏付けのある話だと私は考えます。

まあ、そのような原理問題にかかわらず、弁護士業務を長年やってきて思うのですが、ロジャーズの来談者中心療法は、弁護士業務においても全く正しいと思い当たることが多くあります。

この来談者中心療法の魅力的な部分は、クライアントは、実は問題の所在をよく知っており、問題をどう解決してどのように生きて行こうかということを真剣に考えて育んでいるととらえ、人間の意思の尊重、本人の意思の開発を中心とするという考えです。そしてカウンセラーは、クライアントの実現しようとする意思が何らかの障害にあたっているために実現していないという現実を踏まえて、その障害を取り除いてクライアント本来の力を解放することが仕事だとしています。だから、カウンセラーが偉いわけでなく、クライアントと同等の立場であり、これなくしてカウンセリングは成り立たない。

こういう話です。そしてこれは弁護士においてもぴったり当てはまるように思うのです。

私はこの部分を、過剰に読み込んでしまっていて、クライアントこそが自分の悩みの解決方法を知っているのだというように誤解をしていました。しかし、それは誤解ではなく結果としてはその読み方でよいと思っています。

弁護士の依頼者や相談者も、全く同じです。問題の所在をよく知っていますし、解決方法も考えています。ただ、他者と紛争中ということで、戦闘モードや逃走モードに入っているために、①思考がうまく働かないという事情があります。さらに②紛争を起こしているというストレスが持続することによって、悲観的な思考に陥ったり、自信を失ったり、あるいは過度に攻撃的になったりしたり、あるいは③解決のための知識がないために、自分が考えた方法が選択肢とならなかったり、選択肢にはあるのに選ばなかったり、実行に踏み出せなかったりという事情があることがほとんどではないでしょうか。

だから弁護士は、その意思の実現の障害を取り除いてゆき、法的手続きを代わって行うことによってクライアントの意思を実現するということを心掛けるべきです。カウンセラーとこの点においては全く一緒ではないかと思うのです。

常々思っているのですが、知識や法的思考ができるのは当然として、弁護士に一番価値があるのは第三者として冷静にものを考えることができることだと思うのです。つまり岡目八目が最大の武器ということになると思っています。

平木先生は本の「はじめに」の部分で、カウンセリングの本質を相手の立場に立って援助することだとおっしゃっています。「相手の立場に立つ」ということの意味は、実はいろいろ議論があることで簡単ではないのですが、一つの意味としては対等の立場に立って、クライアントが何を実現したいのかを考え、そのための方法を提起する、それも選択肢を提起して、あくまでもクライアントが自分で決定するということを大切にしていくことだと思います。

つまり、クライアント、通常の民事事件だけではなく、刑事事件の被疑者、被告人であっても、その人の置かれた広い意味での環境に置かれたら自分も同じようなことをやっていたかもしれないという同じ地平線に立つということが、相手の立場に立つための大前提になると思っています。刑事事件も労災事件も離婚事件もそのような立場に立つことができることによって、良い結果を出しているということを実感しています。

例えば、最近、別居した夫婦や離婚した夫婦の再生の結果が出るようになってきました。もしかすると、最も困難な仕事かもしれません。通常は、どちらかが離婚だと言い出したら離婚を受け入れなければならないという考え方をすると思います。しかし、離婚を受け入れられない方と離婚を申し出る方とどちらとも同じ地平に立ち、それぞれの本当に言いたいこと、こうありたいと思ったことを探求していく中で、依頼者と真剣に話し合い、方針を確立して、励まして、再生の方法というものをある程度確立していくことができました。弁護士の頭であれこれ考えているだけではとてもそんなことはできなかったと思います。クライアントと対等の立場で対等に考えることによって切り開いていっている分野です。


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