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共同親権反対の某弁護士会の意見書に落胆した理由 結論についての落胆というより法律家の意見として成り立っているのかということについての私の考え [弁護士会 民主主義 人権]


共同親権反対の意見を単位弁護士会(都道府県の弁護士会)で上げるところがいくつかありました。共同親権のような微妙だと思われる問題について、単位弁護士会が単一の意見を上げることにも、弁護士会の役割、性質に照らして疑問もあります。

最大の問題だと思うことは、その意見の理由の構造についてです。これは少し説明が必要だと思います。

我々法律家は、法律を現実の人間関係に適用して、紛争を解決することを実践しています。法律の条文というものはご存じのとおりとても短い文章です。抽象的に定められていることが多いと言っても良いでしょう。その中で、一方の利益だけを考えているのではなく、双方の利益を考慮に入れて、法律ですから誰に対してでも適応され、しかし、個別事件で適切妥当な解決を図らなくてはなりません。法律家は、勉強をしているときも、実務についてもそのような法律の特質について叩き込まれているはずです。

だから共同親権というこれから法律を作る場合の議論にあたっても、様々な利益を考慮して、制度の実現によって得られる利益をなるべく確保しながら、その制度の弊害をなるべく小さくしていくように議論をしていくことが求められると思います。このような作業が法科学としての手法であり、法律家としての命であると私は思っています。

このような法科学の手法を使った意見表明をすることによって、弁護士会の意見が、意見を異にする人たちに対しても一目置かれて、無視できないものとして価値を承認されてきていたと私は思います。

いくつかの比較的大きな単位会で、共同親権について強く反対するという極端な意見が出されています。

例えばこれが、これから作る法律が一部の人にだけ利益が生まれる一方、多くの人に対して人権侵害に該当するということであれば、注意喚起と法律の制定を慎重に行う観点から意見を述べるということが理解できます。例えば、残業時間の割増賃金制度の撤廃などという法律を作るとしたら反対するということもまだわかります。その場合でも制度廃止の目的をよく検討して、その目的に合理性があるのか否か、そもそもその目的を掲げて法律の廃止をする必要があるか無いか等の議論をすることが普通です。そして、廃止の目的によって得られる利益と、廃止をしないことによって得られる利益を比較して、最終的な意見を述べるということがこれまでの弁護士会のあるべき意見提出だったと思います。

さて、離婚後の共同親権について、それらの弁護士会は立法の目的についてきちんと検討しているのでしょうか。最新の単位会から出た意見書を見ると、立法目的は、離婚後も父母が子どもの養育にかかわることが子どもの利益に合致するという「理念」があり、この理念によって離婚後の共同親権が導入される傾向があるという難解な一言で、目的の検討が終わっています。

先ず、今回の共同親権の目的について、きちんと検討していないということが指摘できると思います。
次に、離婚後の共同親権制度が「導入される傾向」とは何を言っているのでしょうか。どこの傾向なのでしょうか。確かに離婚後の共同親権制度は、令和2年の法務省の調査では、24か国を調査して離婚後の共同親権制度にしていない国は、トルコとインドだけだったそうです。世界の趨勢は、離婚後も共同親権制度をとっていることになります。もちろんG7等のいわゆる先進国と呼ばれている国や、中国や韓国などの隣国も離婚後も共同親権制度をとっています。この各国の制度が具体性のない理念で決められる傾向にあるというのでしょうか。そうであるならば、その具体性のない理念だけで制度導入がされているとする根拠こそ示すべきではないでしょうか。ところが何も示されていません。単なる決めつけで述べているだけにすぎないと受け取られても仕方が無いと私は思います。

この点については、立法化を検討している法務省が、具体的な離婚後の共同親権制度の立法目的を明示しないという行政府としての立法作業として不可解な態度をしていることにも原因があるように感じられているところです。

また、政府などの説明を報道する報道機関によって、具体的内容を割愛して「子どもの利益のために離婚後の共同親権は必要」という言葉しか出てこないので、我が国の立法論においても子どもの利益のためという抽象的議論をする傾向があるということなのでしょうか。そうすると「導入する傾向がある」という表現は間違いだということになります。きちんとした日本語の読み方をすれば、意見書が正しく記載されているとすれば、「海外では離婚後の共同親権を導入しているが、それは抽象的な理念から導入している」としか読めないことになりますが、本当にそうなのでしょうか。弁護士会の意見ですから、そこは責任をもって述べてもらわないといけないと思います。国際問題になりかねないことを述べていると思います。

弁護士たるもの、法律家であり、また、離婚事件が日常的な業務になっていることからも、海外であっという間に広がった共同親権制度の目的を調べ、あるいは離婚後の子どもの養育の実態をみて、離婚後の共同親権制度の目的や必要性についても検討をするべきだと思います。

先ず、離婚後も父母が子どもの養育にかかわることが子どもの利益に合致するという「理念」は、具体的な意味を持って存在します。これは、家庭裁判所の研究雑誌や子どもの権利の実現のために書かれた法律書籍などで、十分に記載されています。いろいろな調査があるのですが、アメイトという研究者が行った統計的研究によって、実父母の離婚を経験した子どもは、離婚を経験していない子どもと比べて、自己評価が低下するということが示されています。これはその他の研究でも裏付けられています。離婚後の共同親権制度に反対する論者で、これらの研究結果に対する科学的批判を私は見たことがありません。

子の親であれば、自分の子どもが将来自己評価の低い子どもになる危険があるなら、その危険を排除したいと思うのではないでしょうか。もし離婚後の共同親権制度が、そのために子どもにとって有効ならば、賛成の大きな力になるはずです。

真の問題は、離婚後の別居親の子どもとのかかわり方はいろいろあると思うのですが、共同親権という方法が必要かどうかという点にあるはずです。ここでは、世界の国々は、共同親権制度が必要だと判断したからこそ制度を導入したということだけを述べておきます。

さて、某弁護士会の意見書は、後は、離婚後の共同親権制度ができた場合の弊害についてだけが述べられています。いくつか考慮しなくてはならないうちの一方の利益だけを根拠に立法反対の意見を述べていることになります。これでは立法論ということについての説得力はなく、一方の問題の所在を述べただけの議論で終わっていることになります。また、その中でも、これも法務省の問題提起がいかに曖昧化を物語っているのですが、共同親権制度の具体的な提案の中身を明らかにしないで、単に離婚後の共同親権制度の是非を問うている問題提起になっていることに非常に問題があります。その結果、こういう悪い事態も想定できる、もし具体的にはこういう制度になればこういう悪い事態が想定されるという意見に終始してしまうわけです。物事全てにメリットデメリットがあることは当然です。また、離婚後の共同親権制度の在り方についてはJ.ワラスティン(ウォーラースタインと表記される場合も多いです)も警告を発しています。形式的な共同が、子どもの便宜を考慮されないで具体化されてしまうことで子どもの成長に負担が生じるということが指摘されています。

但し、法律家の議論であるならば、「離婚後の共同親権制度は子どもにとってこのような利益がある、しかし、先発国家の具体的な制度運用を見るとこのような弊害が生じているという実態がある。より子どもの利益にそった制度とするためにはこういうことを考慮して具体化するべきだ」という意見になるはずだと私は思っています。

反対意見であっても、「これこれの弊害が必然的に伴うために目的とした利益を考慮してもなお、制度化するべきではない。」というならば襟を正して意見を伺うという気持ちになるのです。しかし、実態は、先ずは反対だという結論をだして、その理由付けとして考えられる弊害を上げているように読めてしまうのです。だから大きく言えば論理学的用語でいうところの「感情論」になってしまっているとしか思えません。

ここで意見書の反対理由をメモ代わりに記載しておきます。
1 離婚を選択した夫婦は葛藤が強く、子の監護などについて話し合いをしなくてはならないと葛藤が高くなり、子への悪影響が生じる、また、葛藤が残っている夫婦の一方が、子に関する重大な決定について拒否権を発動して支配を試みる危険がある。また、裁判所の調整は裁判所の能力から困難がある。(この点の指摘は一理あって、子どもにとって本当に有害なのは、離婚や別居自体ではなく、離婚をした後でもまだ相手に対して葛藤が続いている場合だとされています。ただ、それは他方の親が子どもにかかわりが無い場合であってもという意味です。)
2 DVがある場合は単独親権となったとしても、裁判所がDVを見抜けず単独親権を主張できないケースが不適当だ。(裁判所でDVが無いと判断するのは、見抜けなかっただけでなく、DVの主張はあったけれど実際にはないケースももちろんありますけれど。)
3 どうやら共同監護になりそうなのがけしからんと言っているようです。表題だけ読めば、共同親権と共同監護は別物であるから共同監護を義務づけなければ共同親権でもよいと読んでしまいそうなのです。これは離婚後の共同親権制度に対する反対理由ではなく、共同監護制度に関する意見のようです。
4 共同親権になっても養育費が支払われる保証はない。(だから共同親権反対?)
5 立法によらずとも共同監護は可能(だから共同親権反対?)
3,4,5の理由は、仮想敵に対する反論のようなものなのかもしれません。

結局離婚後の共同親権制度に反対する理由は、共同親権になると、子どもの養育を理由に子と別居することになった親が子と同居する親に対して干渉をし、同居親の精神的安定を害するとともに、離婚後もDVが継続するからということに尽きているようです。そこに子どもたちの利益を最優先に考慮した形にはなっていないと私は感じます。

いくつかの利益を考慮して調整して立法するという態度ではなく、特殊の立場の人の利益だけを一方的に優先して考慮して反対意見を述べている形になっていると私は思います。反対意見を出すとしても、もう少し法律家らしい体裁の意見書を出すべきだったのではないかと落胆したわけです。

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