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【SNSの危険性の注意喚起】脚本家の投稿への支援的なコメントが凶器になる理由 正義感、同情が第三者を傷つけることの好例 それにしても脚本家の仕事って・・・ [自死(自殺)・不明死、葛藤]



才能あふれる漫画家が、原作のテレビの実写化にあたって、テレビ局が制作した内容が約束に反して原作から逸脱していることから、SNSなどでのいくつかのやり取りの後に、先月自死されるという痛ましい出来事がありました。

そのことについての詳細はわかりません。今回のテーマはそのSNSのやり取りの方です。

その実写化の脚本を担当された方が、全10回の放映のうち、8回は自分が脚本を書き、最後の2回分は原作者が脚本を書いたので、最後の2回が面白くなかったとしても自分の責任ではないということと、このように脚本の担当を外されたことの不満をインスタグラムに投稿したようです。

この投稿に対しても、原作へのリスペクトが足りないなどといった批判がネット上で上がっていましたが、今回はこちらの問題も脇に置いておきます。

問題として取り上げるのは、この脚本家のインスタグラムの投稿に対して、同業者の一人が、その脚本家の苦悩というか外された悔しさというかそういうことに共感して、支持的なコメントを出したことがテーマです。

このコメントを出した人は、おそらく善意でコメントを出した良い人なのだろうと思います。ご自分もそのような悔しい思いをしたこともあるのでしょう。最初の脚本家も、そのようなコメントをもらって、自分の感情は正当であり、自分は尊厳を傷つけられたと承認してもらったことで、少しは気持ちも落ち着いたことと思われます。

ただ、善意の良い人で終わりませんでした。このコメントは、脚本家に対しては暖かい、善意あふれるコメントになりますが、原作者にとっては攻撃を受けていると読めるわけです。原作者が自死されたことによって、このコメントが自死と関連付けられて炎上してしまいました。

原作者は言い分が言い分がもちろんあるわけです。一般論ではなく、自分の作品の大切な部分は改変してもらいたくないという意思表示を事前にはっきり伝えていたとのことです。少なくとも原作者はそう認識していたようです。それにもかかわらず、その大切な部分が改変されているので、脚本に手を入れるようになり、最終的には最後の2話分を自分で手掛けたというところまでいきました。おそらく、事前に「どんな改変でもよいよ。」なんてことであれば、テレビ局も原作者の脚本への口出しや自らの脚本執筆なんて許さなかったと思いますので、そこから考えると原作者の言っていることの方が信用できるのかなという推測は成り立つでしょう。

原作者としては、「最初の約束を守ってもらいたいだけだったのに」という気持ちがあったと思います。また、繊細な作風の原作者としては、キャラクターや話の流れの一つ一つに思い入れがあるのだと思います。

だから、脚本家のインスタグラムの投稿は、原作者にとっては、「自分のわがままで脚本家を侮辱した。」と非難されたと受け止めたのではないでしょうか。

インスタグラムに限らず、SNSの投稿の特徴は一方的であることです。それに対して効果的な反論をすることは大変難しいです。また、字の数が多いと誰も読みませんので、背景事情まで説明して反論することは難しいと思います。かなりのストレスにはなるはずです。

脚本家の投稿にコメントを出した人は、「そこまで考えていなかった」ということでしょう。

コメントを出した人は、善意で
当初のテレビ局と原作者の約束も知らず、
どのような改変がなされたのかも知らず、
「脚本家が役を下ろされた」ことの憤慨に対して共感を示したということになります。

これがインスタグラムではなく、家庭の中の会話や友人同士の会話ならば、コメントを出した人の発言は、善い人ということになったと思います。問題はSNSというツールをつかったコメントだということに問題があったのだと思います。

人間と人間が対立している場合に、SNSというツールを使って一方を支援するコメントをすることに当たって考えなければならないことは、

不特定多数の人が見ること
もめている他方の人も見るということ
その他方の人は、コメントを出した人間が、自分が読むことを気にしないで、あるいは意識して発信していると感じること
もめている人の一方を、その人は擁護していると感じること
それはとりもなおさず、他方の自分に対する非難に加担したという意識が生まれること

また、実態も知らないでのコメントだと分かったとしても、インスタグラムの影響力から、自分の周囲の人にも読まれてしまい、自分の立場が悪くなるということを直感的に感じてしまうこともよくあることです。

そして、元の脚本家の投稿や、それに対する支持的コメントに対して、自分以外の誰も反論してくれなければ、「自分の味方だと思っていた人が自分を助けてくれない」という意識になりやすいということがあるようです。これはいじめを受けた人の心理です。加速度的に孤立感を深めていきます。

コメントをした人は、ただ、考えが足りずに無責任にコメントしただけの人だと思います。われわれとしては、「SNSというツールがこのような危険性を持ったツールだ」ということを意識する必要があると警鐘を鳴らした事例と捉えるべきだと思います。

ただ、とても疑問なことがあります。ある人のセリフによって、そのセリフの相手や、せりふの相手につながる人が反応を示し、またその相手なりがセリフや行動を起こして、元々の人が反応を示して、ドラマは進んでいくのだと思います。そして、それを視聴者が「なるほどそうだね。」とか「そんなこと言えばそうなるの当たり前だろう」、「あれあれ、この続きはどうなるのだろう。」等と制作側が意図した反応を示して、視聴率も上がり、制作側は「してやったり。」と思うのだと思うのです。

自分の発言や投稿に、他人がどう反応するか「そこまで考えなかった」人たちが、一般視聴者に反応を起こさせるテレビドラマを制作することが本当に可能なのでしょうか。プライベートと仕事では意識を切り替えることができるということなのでしょうか。それが私の疑問でした。

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