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夫を1から10まで嫌いにならないために 1(生理的嫌悪とそのメカニズム) [家事]

(シリーズ開始にあたって:発表を待っていたのですが、  
 最近イレギュラーな出来事が多く、それに対応していたので、
 ずうっと温めていた状態が続いていました。
 これまで、夫側に向けていろいろ述べてきましたが、
 男はどうしても、自分は悪くない、悪意がないという
 文明かぶれしたようないいわけばかりするので、
 これは、賢明な女性にお願いするしかないかなと
 女性に向けて作ってみました。
 3回くらい続くと思います。
 緑の字は男性に向けています。)


序 夫を一から10まで嫌いになるとは

弁護士は、離婚事件に多く立ち会います。離婚の間際の状態は、とても苦しいものです。暴力がある事例、ない事例にかかわらず、妻は夫を生理的に受け付けなくなります。「同じ場所で同じ空気を吸うのがいや」、「街を歩いていて、夫と同じような背格好の男性を見ただけで、足がすくみ、息ができなくなった。」というすさまじいものです。とにかく逃げたくなります。こういう状態になってしまうと、離婚をして10年過ぎても、元夫が怖く、実際は元夫も元妻に干渉しようとすることなく生活をしているのですが、いつ自分のところに訪ねてくるかという不安が大きく、自分のことを探しているのではないかという恐怖を抱いている人も少なくありません。

これは、妻にとっても不幸な事態です。夫にとっても、訳が分からないうちに、自分の夫として、あるいは子どもの父親としての存在を全否定されていると受け止めてしまいますので、うつ病になったり、精神的混乱が収まらないために仕事を辞めたりして、不幸が拡大してしまいます。

何よりも、このような離婚後の高葛藤の両親のもとで、子どもたちは健全な成長を阻害され、自己評価が低下したり、幸せな結婚が困難になる場合もあります。極端な例では、思春期頃からリストカットや摂食障害を繰り返し、精神病院に入退院を繰り返すということも起こってしまいます。

離婚事例の多くが、最初の段階でのちょっとしたことのボタンの掛け違いではないかと思うことが多くあります。このボタンの掛け違いを防ぎ、ボタンがずれていることに気づくためのテキストというのは、なかなか無いようです。私なりの、長く続くための夫婦の秘訣について考えてみました。但し、理屈はわかっても、それを実践できるかは自分次第だということを、自分自身の経験からも痛切に感じているところではあります。

1 なぜ生理的嫌悪が起きるか

 序で述べた強烈な生理的嫌悪はどうして起きるのでしょうか。好きあって結婚して、子どもまでいるというのにです。おそらく、今幸せなあなたは、そんなことが自分に起きるわけがないと思っていることでしょう。ところが、今大変な状態にいる人たちも、さかのぼればあなたと同じ気持ちだったことと思います。

 生理的嫌悪が起きる理由は、人間として生きる仕組み、動物として生きる仕組みの二つの仕組みが組み合わさって起きています。

<人間として生きる仕組み>
 人間は群れを作る動物です。人間がチンパンジーの祖先と別れて800万年、他の原人と別れて20万年といわれています。実感としては想像ができない古い歴史があります。戦う能力も、逃げる能力も乏しい人間がこの長い歴史を経ても子孫を残すためには、群れを作ることが必要でした。群れを作る仕組みの一つとして、遺伝子の中に、自分が群れから追放されそうになることを感じる能力が受け継がれています。追放されそうになると、不安を感じて、自分の行動を修正して群れから追放されないようにするのです。これは、あたかも、目や耳で危険を感じて、命の不安を抱き、逃げるなどの行動を修正する仕組みとまったく一緒です。

 この群れから追放される不安を感じるきっかけは、夫から大事にされていない、夫婦という仲間として認められていないということを感じる相手方の言動がポイントです。馬鹿にされているように思う言動、乱暴にされていること、いやなことばかり押し付けられること、不平等などがあげられます。

 このようなことは、夫が妻を追放しようとしていなくても起きてしまいます。不安はあくまでも主観的なものですし、人間はちょっぴり心配になりすぎるようにできているようです。

「だから、夫側が、自分の妻を大事にしないという追放の行為がどれなのかということを探してもおそらく見つけることはできないでしょう。妻にこの不安を抱かせない一番の簡単な方法は、その逆を行うことです。つまり、妻を尊重し、こちらに敵意がないということを示し、妻を喜ばせようとする行動に積極的に出ることです。」

 このような不安が続いてしまうと、人間の心は疲れてしまいます。「もういいや」ということになってしまいます。そう思わないと深刻な事態が発生してしまいます。「もういいや」と思い始めると、夫を仲間として認識しなくなります。仲間ではない動物は、敵だと脳は勝手に判断するようになります。自分を応援したり、癒したりする仲間ではなく、自分に害を与える敵だと脳が判断するようになってしまいます。

<動物としての生きる仕組み>
 動物は、自分のことを自分で守ろうとします。草原をかけるシマウマも、近所の子犬も、ネズミもゴキブリも、自分で自分を守ろうとします。
 自分を守るためには、危険を感じるセンサーが働くことと、危険に対処する能力があることが前提となります。

 実際には危険がないにもかかわらず、危険を感じるセンサーが働かないことは、恐怖を産み出します。例えば目隠しされたり、音が聞こえなくなったりするだけで、危険がないにもかかわらず、危険が近づいているのではないかという恐怖を感じます。

 危険がないとしても、危険を回避する手段がないことも、同じように恐怖の対象です。身動きでき
ない状態に縛られたり、土管のような狭いところに閉じ込められたりしたら、それだけで恐怖を感じることでしょう。

 今申し上げたことは、すべて身体生命の不安です。これと同じことが群れから追放される不安にも当てはまります。
 自分のやることがすべて夫から否定されたりしたら、例えば料理を出しても舌打ちされたり、眉間にしわを寄せられたら、そしてどこをどうすればよいとも言わないで手も付けないとしたら、次にどうしたらよいかわからなくなりますよね。何か話していたら、逐一上げ足を取られるとか、注意され続けてもいやな気持になりますよね。こういうことが連続して起きるなら、そもそもパートナーとはならなかったでしょう。結婚したとたんに豹変する人もいますが、むしろ、少しずつ、少しずつ、自分の行動が否定されているという感覚が重なっていくことが危険です。

 だんだん、相手の顔色をうかがいながら行動するようになります。突然怒り出す相手の場合は、気を付けることができるのは相手の機嫌だけになってしまいます。こういう状態が固まると、自分の行動すべてを相手に支配されている感覚になります。ものすごく不自由で苦しい状態です。自分で自分の身を守れないという感覚は、危険がなくても危険を感じ続ける状態となり、慢性的に不安を抱いている状態ということになってしまいます。

<二つの仕組みの組み合わせ>
 二つの仕組みの組み合わせによって、夫が自分を支配する存在、つまり夫の存在が目隠しであり、手足を縛るロープということになります。この感覚が持続することによって、孤立無援感だったり、絶望感だったり、解決不能感を感じるようになります。もうこうなれば、PTSDの状態になってしまっていますから、夫が自分の生きる仕組みを奪う存在となり、恐怖ないし生理的嫌悪を抱かせる存在となります。

 このように暴力がなくても、生理的嫌悪を感じるものです。暴力がないから大丈夫とか、これだけ苦しいんだから暴力があるはずだということは、誤りです。そういう思考をする人たちは夫婦という群れについての理解ができていない何らかの理由があるのだと思います。

 また、この様に妻が支配されていると感じるのは、夫に必ずしも支配の意欲がない場合が多いのです。双方が、このメカニズムを理解して、それぞれの行為や感じ方を修正していく必要が出てきます。しかし、それは、理解が可能になってもなお、解決困難になってしまうことが少なくありません。