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【認定報告】20歳代前半消防士自死事案が、公務災害逆転認定(支部審査会) 死後のパワハラの問題 [労災事件]


消防署に配属されて3年目の若者が、
パワハラを原因としてうつ病に罹患し、自ら命を落としました。
大変痛ましい話です。

地方公務員災害補償基金宮城県支部長が
第1回の判断をするのですが(実質的には基金本部)、
その時は公務が原因ではないと認定されてしまいました。

わざわざ職員が私の事務所に公務外とする決定書を持ってきて、
「おっしゃりたいことはあるでしょうが、
法律の規定に従って判断されたものです。」
と言わなくてもよいことを言っていったことは忘れられません。
「さっさと紙だけ置いて帰りやがれ。」という態度がにじみ出たことと思います。

消防署の勤務は2交代制です。
午前8時に出勤すると翌日の8時まで24時間勤務です。
翌日は一日休みとなり、翌々日はまた24時間勤務となります。
間に公休は挟むのですが、このような調子です。

一応夜の10時ころから朝の5時くらいまでは仮眠時間となるのですが、
119番から出動指令を受けるために、
1時間から2時間、交代で電話番を行います。
この当番が朝の2時から3時だったら、
ご想像の通り眠ることはできません。

また、仮眠ですし、火事があったらすぐ出動しなければなりませんので、
みんな制服を着たまま仮眠しています。
消防署は過酷な勤務です。
昼間も消防、防災活動や、消火器具や消防車の点検、
署内の清掃などを徹底的に行います。
小学校や地域の防災教室を開いたりとかなり忙しくされています。

24時間一緒に行動する上司からパワハラを受けたら、
とてもじゃありませんが、防ぎようがありません。
また、叱責が深夜まで続いても、
上下関係がはっきりしているところですので、
誰も止めることができない状況にあるようです。

宮城県支部審査会(第三者委員会)は、
基金支部長の判断を覆し(実際は基金本部の判断)、
若者の自死は公務災害だと認定しました。

理由は、
遂行困難な仕事を与えて、質問しても全く教えない
家族のこと、個人的な事情を引き合いに出して叱責
机を蹴りながら叱責する等強圧的な態度をとった。
夜中の2時3時まで叱責された。等ということが
指導の範囲を逸脱した嫌がらせ、いじめを受けた等に該当する。
というものでした。

こんな明らかなパワハラなのに、
どうして基金支部長(実際は基金本部)は、
公務災害と認定しなかったのでしょう。

その理由として、まず挙げたいのは、
法律も通達も知らなかったということにあります。
行きあたりばったりの判断で、
なんとなくパワハラではないという
結論だけを持ってきたという感じです。

だから、非該当認定の時に、
「法律に従って適切に判断された」なんてことは言わなければ良いのです。
ニコニコ笑顔で、お帰りを促しましたが、はらわたは煮えくり返っていました。

もう一つの理由として、
消防署で起きた事件でありながら、
その責任の所在がある消防署の調査をなぞり書きしたということもあります。
それでも事実関係はある程度明らかになったのです。
ところが、「一度聞いてわからない方(被災公務員)が悪い」とか、
「2時3時まで机を蹴りながら叱責されても、
怒られるようなことをした方(被災公務員)が悪い」
とか、もうむちゃくちゃな認定でした。

これに対して地方公務員災害補償基金宮城県支部審査会は、
消防署内の調査は、身内をかばう意識があるということを看破して、
独自の調査に乗り出しました。極めて異例なことです。
その結果、上記認定をしてくれました。深く敬意を表します。

その上で、むしろ3カ月という長い期間パワハラを受け続けたことに
心を痛めていただきました。大変ありがたい認定です。

それにしても、山形県酒田市の事案といい、
消防署内のパワハラが明らかになってきています。
私たちの安全図るはずの消防署内で、パワハラが行われ、
うつ病により若い命が奪われているのです。
一度聞いたことを覚えない方が悪いということで、
消火活動をしているわけではないと思いたいです。

当該消防署は、同僚の命が失われていたにも関わらず、真摯に反省していません。
それが、報告書の内容に反映しています。
報告書の中で、各職員のアンケートのようなものが報告されています。
この中では、明らかなパワハラが行われていて
それを見ているにもかかわらずなかったことにしたり、
被災公務員自身に責任があるとか、
パワハラ上司をかばったりする職員が圧倒的多数だったのです。

中には、色々な事実関係を認めた回答をした職員の方もいました。
だから、本当は、パワハラの事実はみんな知っていたことなのです。
一人が見ていて残りは見ていないということはありえません。
それにもかかわらずかばう人が多数だった。
亡くなった原因を隠蔽しようとする力が働いていたことがはっきりしました。
それも一人一人の消防職員の問題です。
これでは、亡くなった後まで同僚から
パワハラを受けているようなものじゃないかと私は感じました。

報告書は消防署の仕事に不案内な市役所から出向してきた方が作成しました。
再発防止を考えるべき責任者が、職場のことを知らない人で、
かつ、うつ病についても自死についても全く知識のない人でした。
典型的なことはうつ病を発症させて3か月後に自死するということは、
当初のうつ病発症理由と自死は関係ないのではないかとか明記しているのです。

この内容は、遺族には事前に明かされませんでした。
手続きの中で突き止めたものです。
うつ病はなかなか治らないことも多いです。
特にパワハラの場合は長引くようです。
そして、うつ病に罹患中であれば自死の危険は高いのです。
これは、厚生労働省も基金も裁判所も全て共通理解です。

客観的な事件分析をしなければならない立場の人間が
このような知識不足による先入観があることを
あらわにした報告書だったわけです。
これも、一人の尊い命が失われたことに対する
緊張感のかけらもないことを示す事情だと思います。

消防署は、私を招いて、人権教室を開催するべきです。
体質を改めなければならないと思います。

本ブログ、および対人関係学の目的 [閑話休題]

昨日の記事は、自分自身の予想を上回る反響がありました。
少々恐縮です。

フェイスブックの方にもご意見いただきました。
フェイスブックのコメント欄というと、
なかなか柱主の意見に賛同しない意見というのは、
抵抗があって書きづらいものです。
(もっとも私の友人の名古屋の方と
 バンダナ親方は別ですが)

敢えてコメントをいただいたということは
こちらとしても、大変ありがたいことだと思っています。
例えば、
昨日の記事がどこまであっているかはともかく、
もう亡くなってしまったのだから、
今更書いても空しいだけではないか
というご意見を多く寄せられました。

そこで、今日の記事を書こうと思った次第です。
こういうきっかけとか、問題の所在については、
確かに書いているときは、なかなかそういうことに
気が付かないため大変ありがたいのです。
そういうところに気が付けば、
もっとわかりやすく書きようがあるので、
今回の記事に反映できなくても
次回以降に反映させていただくことになるし、
今日みたいにそれで一本作ることもあるわけです。

昨日の宇都宮事件については、
真実はわかりません。
DVがあったのかなかったのかについても、
私にはわかりません。

ただ、こういう構造で、こういうことが起きる可能性がある
ということは言えると思うのです。

亡くなった方が、特別な性格、人格で
例えばテレビの司会者のコメントのように
自己顕示欲が強くてこういう事件を起こした
とばかり決めつけてよいものか
という疑問があります。

一つには、子どもから引き離された父親が
自死をするケースが非常に多いということです。
自分の命を大切にできなくなっている状態ですから、
他人の命を大切にできなくなる状態と
隣り合わせにあるということに気が付くべきです。

焼身自殺をした父親に
子どもが巻き込まれて死亡したケースもありました。
報道では父親が子どもを道連れにしたとされていますが、
私の友人の番頭たま氏調べでは、
焼身自殺をしようとしている父親を助けようとして
小学生の子どもが結果として道連れになった
というのが目撃者の話だそうです。

自分の命を大切にできなくなる状態に
人を追い込まない方が良いに決まっています。

親が子から引き離されて自死が頻発するということは、
自死に至らないまでも、追い込まれて苦しんでいる人たちが
無数にいるということです。
死ななければ良いというものでもありません・

誰かの失敗、過ち、損害そういうものが
その人独特の、特殊な事情によって起きているなら
それはそれで終わりでよいでしょう。

しかし、そういうことは滅多にないと思います。
構造的な共通項があるならば、
繰り返される危険があると認識しなければならない
と思うのです。

「彼は誤っている」ということで終わりにしてしまうと
もしかしたら、同じ行動をとる人が出ることを
防ぐことができたのにみすみす許してしまうこともあるでしょう。

法律家は、人間の数々の誤り、損害、失敗に立ち会います。
それは、その人の偶然の事情を超えた共通項があるはずです。
そうだとすると、法律家は、
同じ誤り、損害、失敗を繰り返さないために、
予防を提案するべきだと思います。
二の轍を踏まないようにということです。

このブログ、対人関係学はそのためのものです。

もう一つ目的があるとすれば、
あなたと同じことで苦しんでいる人が多くいるということと
苦しみの原因はここにあるのではないかということを
提起することだと思います。
そうすることで救われたと言ってくれる方も
大勢いらっしゃいます。

そのための自死研究であり、
いじめ、過労死研究であり、
離婚研究であるわけです。
まさに私のテーマの事件だったので、
私しかこういうことは言わないだろうということでした。

蛇足になりますがもう一つ、
方法論として、誰が悪いとか
正しいから仕方がないという思考はとらないということです。

離婚問題であれば、
夫婦というチームの不具合として
チーム状態の修正方法を考える、

いじめ問題も
本質的には、学校というチームの不具合を修正する
きっかけになることを考えます。

犯罪関係についても、
個人に帰責するよりも
社会状態の不具合を修正するという発想に
たつように心がけております。

ご理解いただきますれば幸いです。

コメントをいただいた方々に心より感謝申し上げます。