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なぜネアンデルタール人は墓地に花を置いたのか?Why did the Neanderthals put flowers in the cemetery? [進化心理学、生理学、対人関係学]

1960年代にイランのダール洞窟で、
ネアンデルタール人の化石とともに
大量の花粉が発見されました。
自然にある量ではないということで、
これは人為的に墓地に花を持ち込んだのだろう
と解釈されたわけです。
ネアンデルタール人は、
死者を弔うという宗教的行動をしたのか
薬草を運んで死者をいやそうとしていたのではないか
等と議論があります。
遺跡は7万年前のもののようです。

現生人類のホモサピエンスが墓地に花を置いたことが確認できるのは
それから5,6万年後の今から1万2千年くらい前
イスラエルのナトゥーフ人の墓です。
この発見がなされたのは、2013年のことです。

なんでこんなことを言い出したかというと
先日、カサブランカを車で運んでいてふと気が付いたからです。
対人関係学は、200万年前の人類の様子を想像する学問でもあります。
言葉のない時代に人間はどうやって群れを作っていたのだろう
なんていうことを考えているので、
人間とは何かということについて、文明を引き算して考える癖があるわけです。
ネアンデルタール人は数万年前まで存在したサピエンスの仲間ですから、
もちろん考察対象ですし、
花を手向けたのはどうしてかということは
ずうっと気になっていたことでした。

そして、車内のカサブランカの香りにむせながら
唐突にもしかしたらこれが正しい答えなのではないか
というひらめきが起きたので、
どうしても書いてみたくなったというわけです。

そしてその仮説を検証するべく調べていったら
ネアンデルタール人の花については、
あまり詳しい資料がなかったのですが、
ナトゥーフ人の資料に巡り合って
私の仮説が裏付けられているのではないかと
我田引水的に納得してしまいました。

ネアンデルタール人の行動の謎は、
数万年後のホモサピエンスの行動をヒントに考えれば
おそらく正しい結論にたどり着くということを発見し、
また、答え以上の重要で新しい思い付きがわいてきて
少し興奮しています。

そういうわけで答えから先にお話ししていきます。
ネアンデルタール人が死者に花を添えたのはおそらくその通りであろう。
きわめて実務的な、必要性があってそれをしたのである。
それは、死臭を消すためであるということ。

死臭はとてつもないもので、
一度つくとなかなか消えません。
当時は衛生状態も悪く、生きた人間であっても今より大変臭かったはずで
相対的に死臭はそれほどひどくは感じなかったとはいえ
やはり、その匂いにはまいってしまったことでしょう。

現在は、埋葬技術が進んでいます。
死臭ばかりではなく、病気の蔓延の原因にもなりますので、
名残は惜しいとしても、埋葬をする掟が確立されています。

当時はそのような技術はなく、
おそらく、死者が出れば、
死者を放置して移動をしたのだと思います。
(今でいう自然葬)
定住生活を始めたのは、農耕の開始と関わるとされ
今から1万年前くらいからではないかとされ、
それまではホモサピエンスも狩猟採取時代で、
定住せずに群れで移動して生活していたといわれています。

ナトゥーフ人の遺跡は都合がよすぎるくらいこの説を支持します。
先ず、ナトゥーフ人は、移動生活をせず定住生活を始めた人類であったと
遺跡から裏付けられているそうです。
時期的にも1万2千万年前ということで、符合します。
何よりも、この遺跡の草花が、セージやミントという
香りの強いものだったということが報告されているのです。
花は死臭を消すためのものだったという説が
どうしてメジャーにならないのかが不思議なくらいです。

おそらく考古学者たちは
化石ばかりを見ているので、
生身の死体を想像することができないとか、
文明の産物を前提として考えてしまっているのではないかと
マウントをとった気にさえなりました。

では、それより遡るネアンデルタール人がどうして花を置いたのか
どうして死者から立ち去ることをしなかったのか、
どうして、数万年間、花を手向ける遺跡が存在しないのか
という疑問が生じてくるわけです。

ネアンデルタール人は洞窟で暮らしていたとされています。
ホモサピエンスは、洞窟ではなく平地で生活していたようです。
ラスコー洞窟はホモサピエンス(クロマニヨン人)の洞窟ですが、
洞窟では生活していなかったということが定説になっています。

もし洞窟で暮らしていたとするならば
ある程度定住していたことになるのかもしれません。
そうすれば、死臭に対処する必要があったことになります。
洞窟であれば、地盤も固いため土葬も困難だったからです。

だから通常は、死者は
洞窟の最奥の縦穴の下の場所に置かれたか、
洞窟外に置かれ自然葬にしたはずです。

しかし、ダール洞窟のネアンデルタール人は
手元に死体を置いていたかった
それはなぜか。
今回その文献が見つからずあやふやな記憶で申し訳ないのですが、
花が置かれた死体は、子どもだったということを読んだ記憶があるのです。
そうであれば、答えは簡単です。
自分の子どもが死んだので
動物や昆虫に死体を渡すことが忍びなかったのではないか
だから手元に置きたかったのではないか
と思うのです。

親ならば、死体が壊れていっても匂いがしても
それほど気にはならなかったかもしれません。
親の悲嘆を群れの仲間は理解して大目に見たのかもしれません。

だけど、そっと匂いの強く色の鮮やかな花をおいた。

人情の機微を表現するほどの言葉はなかったはずですから、
無言で花を置いたのでしょう。
おかれた花を見て、親は(勘違いをして)
慰めを感じたのだと思います。
花には不思議なほど、人を癒す力があります。
これは文明とはあまり関係のないことなのではないでしょうか。

死者と近い人間には花は慰めになり、
死者と少し離れた関係にある人間にとっては
臭い消しになったというわけです。

その後ホモサピエンスが定住を始めるまで
死体に花を置くということは発見されていません。
何せ花粉ですから、長い間に痕跡が失われている可能性はあります。
もしかしたら、その間も死体に花を置くことはしていたかもしれませんが、
おそらく、
死体は、生活圏から離されていたというか
生活圏を死体の安置場所から移動していたのだと思います。

この間ホモサピエンスは定住を始めていませんので
ナトゥーフ人の遺跡まで花を手向けた跡がないことは当然です。

ダール遺跡のネアンデルタール人も
よほどの事情があって、それを仲間たちも承認するほどの事情があって
遺体を手元に置いていたという
ごく例外的な出来事だったと思います。
だから、花粉が保存されないことと相まって
それほど死体と花の組み合わせが発見されないのでしょう。

ちなみにネアンデルタール人が、そこまで
死者を悼む心があったかということが一応問題とはなりますが、
私は当然あったと思います。
サピエンスに心が形成されていったのは
約200万年前、ホモハピリスの頃の話なので
7万年前のネアンデルタール人が仲間を大切にしたことは
当然のことだと思います。

死者に花を手向けるのはこういう起源があったのだと想像します。
すぐに宗教の存在を考えるのは
文明人の悪い癖だと思います。

「慰められたのは遺族であって死者ではないことになる。」
「死者の実存を信じたからこそ花を手向けたのだから宗教的だ」
という反論もあるかもしれません。

私の考えは、むしろ遺族は、自分と死者との区別が
あまりつかなかったということなのではないかと考えています。
自分の一部が永遠に失われたという感覚ですから
死者が慰められることは自分を慰められることであり、
自分が慰められることによって死者が慰められたと感じるということが
自然の人間の感情ではないかと感じています。

埋葬とは、死者と遺族を切り離す行為ですが
どうしても必要な行為でした。
それを遺族に納得させる必要もあったと思います。
そして、それは遺族を慰める作業がどうしても必要だったはずです。
むしろ、ここから宗教が生まれる必要性があったのだと思います。
無神論者的には宗教が作られる必要性であり、
信仰を持つ者にとっては、啓示に目覚める契機ということになるのでしょう。

ネアンデルタール人は情に厚かったのかもしれません。
優しがあだになり滅亡した可能性もあるのではないかと想像を膨らましています。
洞窟に暮らしていたのであれば3密ですから
あっという間に滅ぶことも今では想像ができてしまいます。

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業病という言葉から差別の本質について考ええる。石原慎太郎氏の謝罪に学ぶ [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

石原慎太郎氏が、ALSという病気を業病と呼んで非難されました。
彼は謝罪をしたとのことです。
人を傷つける言動に修正が求められるのは当然のことですが、
誤りを認めて修正するということも褒められるべきことだと思います。

一連のこのエピソードによって、
差別ということの本質を
改めて考えるきっかけになりました。
そのことをお話ししたいと思います。

業病という言う意味は、広辞苑によると
悪業の報いと考えられていた難病と出てきます。
二版では、これで終わりですが、
報道では、業が前世の行いと解説されていました。
最近の版では載っているのでしょうか。

この考えは、7世紀の日本では既に存在していたようです。
光明子伝説という聖武天皇の皇后の逸話からもうかがい知ることができます。
(光明子は、8世紀の人物)

6世紀に仏教が日本に伝来してきました。
輪廻や因果応報という概念も入っては来たのですが、
いわゆる俗説的な解釈も広まっていきました。
本来は、すべてのものは定まった実体はなく
物事の動きの結果であり、一時的なものだという理論であるにもかかわらず
(方丈記の冒頭に文学的に示されていますね)
因果応報のことだと単純化されてしまいました。
結果が起きている以上、なんらかの原因があったはずだという具合です。

ちなみにこの因果応報は、果報は寝て待てという言葉もあるように、
良い意味でも悪い意味でも使われるというか
あまり価値がこめられない概念が本来の意味だと思いますが、
悪行の報いというネガティブな意味を持たされてしまっています。

自然科学も発達せず、病気のメカニズムもわからない時代です。
体が変形したり崩壊したりする病気で、
進行していって治せない病気は
当時の人たちはとても怖かったと思います。

人間の数も多くない時代ですから、
苦しみや悲しみに対する共感も頻繁に起こったと思います。
自分も同じ苦しみを味わうかもしれないという
不安や恐怖を引き起こしたでしょう。
何とか不安から解放されたいと感じたことでしょう。

そこに仏教の教えが俗物的にゆがめられて、
理由のわからない現世の苦しみは、
前世での悪い行為(悪業)が原因だという観念が生まれたようです。

そうして、難病に苦しむ人は、
前世に悪業を行った人であり、
自分はそうではないから難病で苦しまないから安心して良い
という考えで不安をぬぐっていたようです。

そして、難病の、体が変形したり、壊れたりする人たちは
報いを受けるほど前世で悪業を行ったひどい人間だということで
人間として扱わないという差別をし、
共感を遮断して助けを放棄していたようです。

住む家を追い出されて街をさまよう生活を余儀なくさせられていたようです。

私は、社会的差別の始まりがここにあるのではないかと感じています。
差別の端緒の本質をよく表しているように思います。

共感をするべき人に共感をしても
助けることもできず、自分が苦しむだけだ

いっそのこと、人間ではないとすることによって
共感を遮断してしまえ、
そのためにはむしろ敵だということで攻撃することによって
自分の心を軽くしようという心理が垣間見れます。

つまり、自分の不安を起こさないために
絶望を起こさないために
誰かを攻撃するということです。

いじめの構造にもよく似ています。

しかし、このことが道徳的には是とはされていなかったようです。
それが光明子伝説として語り継がれています。

光明子は聖武天皇の妻で、夫妻は為政者として仏教を広めました。
光明子は、夢の中でお告げがあり、それに基づいて
蒸し風呂のような当時の浴室で千人の垢を流すという願をかけます。
最後の千人目に、重篤な皮膚病の老婆が現れて、
体のあちらこちらにある患部から出てくる膿を吸い出せと命じます。
光明子は意を決して、膿を吸い尽くします。
そうすると老婆が阿しゅく如来の化身だったという伝説です。
もちろん、史実ではないですが、
そこに庶民の価値観が見えて取れます。

この話を支持する国民感情があったからこそ
この話が伝説として残ったのだと思います。

一方で、体が変形する難病者を業病者として排除の論理に立つ国民もいれば
そうはいっても自分の肉親だからかばいたいという国民感情があり
揺れ動く人々の気持ちが見て取れるような気がするのです。

また、伝説は仏教のプロパガンダという側面があるので、
難病者に対する排除をことさら強調して
その中で光明子の善行を際立たせているのかもしれないので
注意は必要ですが、
私は光明子伝説は、いろいろと学ぶべき資料だと感じています。

さて、いずれにしても、
業病という言葉がそのまま使われていたか否かは知識がないのですが、
前世の報いの難病という概念はすでにあったことも間違いなく
業病に対する差別も確かに存在したのだと思います。

苦しんでいる人をさらに差別するということも
差別の本質なのかもしれません。
業病は、差別とともに始まり、
差別の歴史そのものなのかもしれません。

一方でこのような概念がありながら、
近世になると、
業病が性病をさすようになることもあったようです。
梅毒など体が崩壊していき、当時は不治の病、進行性の病
という概念があったことからそう呼ばれたようですし、

前世を信じる人は少なくなり
自分の現世の不道徳の結果の病気だ
という意味合いが強くなっていったのでしょう。
渡辺淳一の「花埋み」ではこういう使い方をされています。

これは、もちろん本来の意味の業病を知らないで使っているのではなく、
当事者が、何の因果でこういう病気になってしまったのかと
嘆く場面で出てくる言葉遣いのようで
あえて誤用をしているという側面があるように感じられます。

病気以外でも
自分の不幸を嘆くときに
業という言葉を出して嘆くことが
文学には見られます。

これはもう、前世という概念を信じているというよりも
嘆き、理不尽な思いを表現する慣用句のように使われているようです。
信じてはいないけれど
知識として業病が前世の報いということは知っていたのだと思います。

つまり、理不尽なことがありその原因がわからない
もうこれは、前世というものがあって
その時に何か悪いことをしたとでもいうのか
みたいなニュアンスなのでしょう。

不合理なこと、理不尽なことが起きると
最終手段として自分に帰責性を求めて
絶望を回避するということは
現代の人間でも起きてしまう心理のようです。
子どもでもこういう思考パターンが見られます。
最終的な自己防衛手段とされています。

人間は理由なくひどい目にあうことに耐えられない動物のようです。
理由なく迫害されるよりも
自分に原因があるということで慰められるようです。
ぎりぎりの心理状態ですが。

差別は常に不合理なものだから
人間に対して絶望を与える大変危険なことになります。
差別を受けた人が自分に原因を求めてしまい、
自尊心をなくしてしまうのはそういうメカニズムのようです。

今回石原氏が業病という言葉を使ったのは、
進行性の病気で、体が変形していくなど外見上も悲惨な症状が伴う
難治性の病気という意味で使っていることは頭では理解できます。

こういう言葉に無神経であることの理由は、
歴代の作家たちが
業病の意味を知っていながらも、
表向きは前世や因果応報という場面ではないところで
業病とか業とかという言葉を用いていたことを
字面通りにしか理解できておらず
書き手が伝えたい理不尽さを表現するにあたって、
前世というありえない話を持ち出さざるを得ない
というニュアンスが伝わっていなかったということ
理解できていなかったということ示していますい。
この点を本人も不徳のいたすところとしているのでしょう。

この点に差別のもう一つの本質があります。

それは悪意がなくても差別なのだということです。
石原氏はALS患者が前世において悪い行為をしたとは
一切考えていないだろうと思います。
悪意はないのだと思います。

それでも、患者本人や患者の家族、知人たちは傷つくのです。
業病の正当な意味を知っている場合だけでなく
日本人として日本語のニュアンスとして
敏感に否定的意味合いを感じ取っているわけです。

そしてそれは、そう感じることが
日本文化の中では、正当な受け取り方だと思います。

大事なことは差別とは、
結果として差別をする側の心理的な不道徳性に本質があるのではなく
差別される側の、心理的ダメージ
排除をされる孤立感、疎外感、恐怖、不安という
自分を守らなくてはならないという強迫観念を引き起こされる側の
心理状態で判断されなくてはならないということです。

差別を受ける人の気持ちや差別される苦しみというのは
しかしながら、その人と接点のない人はなかなか気が付きにくい
ということを障碍者差別を学んでいく中で気が付かされます。

大事なことは弱者が、少数者が、
自分の苦しみや、ハンディキャップを克服するための方法など
声が伝わる仕組みが必要なのだと勉強しています。

恩恵として与えることは
差別解消とならない危険があります。
逆に人を苦しめることもでてきます。

まずは、その人の話を聞く、
その人が安心して話すことができるようにする
ということから始めなければならないようです。

また、人の苦しみから目を背けようとしないこと
これが一番難しいことかもしれません。









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