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自衛隊を憲法に明記する以上に自衛官の労苦に報いるために必要なことは自衛官の生活の保障だと思う [労災事件]



私にご依頼いただく方々の中で、自衛官の方、元自衛官の方、自衛官のご家族という人たちが割合としてかなり高いのです。自衛官のご遺族の代理人として国と裁判をやったということも一度ではありません。本当はいろいろな観点から自衛隊ということは論議しなくてはならないと思うのですが、「中途半端な身内意識」から議論をさせていただきたいと思います。

自民党の憲法改正の4つのポイントの第1に自衛隊の憲法への記載というものがあります。自衛官の労苦に報いるためだそうです。そういう目的であれば反対もできないかと思うのですが、「なんか違うのでないだろうか」という気持ちがあるのです。

まず、自衛隊が違憲だなどと主張する国民がどれくらいいるのかということです。おそらく圧倒的多数の国民は違憲だなどと思っていないのではないでしょうか。共産党ですら、「他国が攻め込んできたなら自衛隊とともに戦う。」ということを昔から言っているのだそうです。

本当に違憲だというならば、国家意思のもとに活用することはできません。例えば、刑事訴訟法上は保釈制度が定められています。保釈制度は違憲だというのならば保釈制度を直ちに廃止しろという主張になるはずです。「違憲=憲法違反」という評価は重みのある評価です。「違憲だけれど活用しよう」などという主張は法律論としては成り立たないことです。

つまり保守も革新も自衛隊は、「本当は自衛隊は違憲ではない。」ということで認識は共通しているのだから、いまさら憲法改正をしてまで憲法に明記することは必要がないと考えてしまうのです。「もしかすると、自民党が自衛隊は法的には違憲の疑いがあると考えているのかもしれません。」

また、自衛官に報いるという目的は尊いのですが、自衛官のご努力に報いるならば、もっと実のある報い方を行うべきです。

一つは、自衛官の賃金が安すぎるということです。国防ということで24時間体制で働いている割には、それに見合う給料になっていると言えるのか国民的な議論が必要でしょう。寝ずの番をしたり、深夜の演習や早朝の起床など、過酷な勤務状況です。国を守るという善意でもって働いていただいているということが実情ではないでしょうか。労働に見合う報酬を支払うことこそ、労苦に報いることのど真ん中だと私は思います。
しかしながら現在は、人事院勧告を反映して、賃金が年々減額されているようです。

二つは、定年が早すぎる割には、定年後の仕事に恵まれていないことです。自衛官は階級にはよるのでしょうけれど、大体が55歳定年です。私ならとっくに定年を迎えています。多くの国民は、自衛官は定年後にいろいろな職業が待っていると誤解していると思います。私は自衛官の遺族の代理人として公務災害の裁判を国相手に行ったのですが、被告であった日本という国家は、自衛官の定年後の収入統計を証拠で出してきて、自衛官の定年後は年齢別の平均的賃金を大きく下回ると主張してきました。国の主張立証によれば、定年後の収入は低く、それに対して対応がなされていないということでした。確かに共済制度は評価されるべきですが、働いて収入を得たいという気持ちをもっと尊重するべきではないでしょうか。

三つ目は、災害補償が辛すぎるということがあります。上で述べた公務災害は、再審査請求が長期間防衛相で放置されて、村井知事さんに防衛省まで行っていただいてようやく動き出したのですが公務災害ではないと認定されました。仙台地方裁判所でも理解不能な理屈で棄却され、ようやく仙台高等裁判所で公務災害であると認定されました。月間100時間残業の証拠を自衛隊で提出していながらのことなのでどうして不認定や棄却になったのか、法律論では説明ができません。被災から認定までに9年以上がかかりました。
このように労災補償がなかなか認められないという問題があります。外国に派兵された自衛官の自死がやたらと多いということが随分前に指摘されていましたが、これは公務災害だと認定され、遺族は正当な補償を受けたのでしょうか。

こういう実のあるところで、まさに労苦に報いるべきです。こういう肝心なところで報いていないのではないかという憤りが私にはあります。こんな私としては、憲法に自衛隊を明記しからといって、「それで報いになったと思わないでほしい。」という激しい感情があるわけです。そんな金のかからない対策ではなく、生身の人間が自衛官になることを躊躇しないような当たり前の報酬を出してから言ってほしいとそう思うわけです。

専門的な話をもう一つだけします。
それはメンタル問題です。自衛隊の中には、残念なことながらいじめがあることが報道されます。学校以外のいじめの判例を作ってきたのは自衛隊であるというくらい多くの事件があります。いじめがあるということは、それだけではなく、日常的にいたわりあうという風潮がないということなのです。

風潮がないと言うと語弊があるかもしれません。意識的に風潮を作らない限り、いじめが起きやすい職場環境だということが正確だと思います。

いじめがあったからと言って、いじめた自衛官が特殊だったとばかり考えたのであればいじめはなくなりませんし、実際続いているわけです。私は、過酷な労働環境や、平時であっても一人の怠慢が部隊全体や国民の命に直結するという高度な緊張感を維持し続けなければならないという職場環境に原因を求めなければ、対策が立てられないと思っています。もちろん様々な研究がなされているようですが、この研究を強力に推進する必要があると思っています。

日露戦争の際には、自衛隊ではなく帝国陸軍ですが、八甲田山で対策も立てないで行軍を行った結果、多くの犠牲者が出てしまいました。根性と愛国心だけでは国防はできないのです。メンタルの問題に焦点を合わせると、いじめの報道をみるにつけ、まさに八甲田山の行軍演習のような非科学的な労務管理がなされているのではないかという心配が大きくなります。

どのような事情が他人に対する尊重する気持ちや配慮する気持ちを奪うのか、どうすればそれが解消されるのかについて、予算をつぎ込んで研究を急ぐべきです。

憲法に自衛隊を明記することで、これらの予算が進むのでしょうか。それならば意味がなくもないのかもしれませんが、ハード面ばかりが注目されてそこにばかり予算がついている現状をみると、あまり明るい気持ちにはなれないのです。

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