SSブログ
労務管理・労働環境 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

外国人労働者問題における国際労働基準と国内ワークルールの確立の視点を語り継ぐ 上野千鶴子さんの「この国のかたち」に寄せて [労務管理・労働環境]

中日新聞の
「この国のかたち 3人の論者に聞く」
というインタビュー記事の
上野千鶴子さんの発言が話題になっております。

この発言を契機として、
様々な方がご発言されていて、
大変勉強になりました。

上野千鶴子発言の前提を覆す。そもそも日本は移民にとって魅力的な国なのか?
は、古谷有希子さんという方の文章ですが、
移民や入植についての考え方を知ることができました。

移民問題は、「選択の問題」か?--上野さんの回答を読んで 岡野八代

は、シティズンシップ(国籍・市民権・市民であること・市民としての資格・市民らしいふるまい、などの意味)
という考え方を知ることができた貴重な体験でした。
国籍とは何か、国籍と人権ということを
考えさせられました。
人権について、自然科学的なアプローチをする
対人関係学からは、大変興味深い学問分野だと感じました。

このような貴重な、質の高い議論が寄せられるというところに、
上野千鶴子さんの影響力があるのだなと
実は、改めてかんしんしました。

質の問題では自信がないのですが、
昭和の時代に労働法を学んだものとしては、
外国人労働者の問題で議論する際の視点を提示しなければならない
という思いで書いています。

それがもう40年近く前のことなので、
松岡三郎先生だったか沼田稲次郎先生だったか
おそらくお二人ともおっしゃっていたのではないかと
いう記憶もおぼろげながらにあるのですが、
頑張ってみます。

第1に、国際労働基準の確立という問題です。
外国人の労働力の流入については、
国家間の経済格差を背景としていることが多くあります。
あると断定するのは、私の関わる事件において
ということになります。

自国においてきた家族を養うために
日本に来て就労しているという方と
仕事がら接することが多くあります。

国家間の経済格差は、ある程度やむを得ない
という議論もあり得るでしょうが、
この格差を生むことに
あるいは、格差に伴う苦痛を感じることに
日本が関係する場合があります。

日本法人が、外国に現地法人を立ち上げて、
現地の国民を
低賃金、過重労働で働かせて
人権を無視した扱いをしたような場合です。
これが直接的関与ですが、
日本ないし、グローバル企業に都合の良い役割を
その国に押し付けて、産業構造を硬直させている場合も
日本に責任がある場合になるでしょう。

このような問題
特に、経済的先進国にいいようにされてしまうことを避けることも含めて、
国際的な労働基準法を作ることが必要だ
ということを大学時代に教わりました。

外国人労働力が大量に流入することは、
当時から予想されていたことだったのです。

当時は、おおきな電機工場が、
アジアに工場を作ると言って
日本人労働者を大量解雇したという事件が問題になっていました。
私の愛国心は大いに刺激されました。

税金が高い、労働力が高い
だから外国に移転するということが
そう簡単に是認されることなのでしょうか。
愛国心的立場に偏っているかもしれませんが、
日本企業の愛国心には、それ以来疑問を持ち続けています。

もう一つの視点は、国内の労働条件の問題です。
これは、私が実務的に感じていることです。

要するに、外国人労働者がほとんどの職場には
日本人がいないか、ごく少数です。
なぜ外国人労働者がいるのかという問題は、
なぜ日本人労働者がいないのかという問題です。

例えば、居酒屋チェーンは、
外国人労働者がほとんどです。
かなりの低賃金で深夜労働をさせられています。

コンビニエンスストアでも、
外国人名の名札を付けている方が増えています。

おそらく、
日本の物価を前提とした賃金額の感覚と
外国の物価を前提とした賃金額の感覚の
ギャップで持っているということ等が
背景となって成り立っているのではないでしょうか。

すべての外国人労働者が多い職場で
このような問題があるとは限らないでしょうが、
日本の労働市場の在り方自体の問題も
外国人労働者の流入に大きな影響を与えていることは
間違いないようです。

よその職場だから、
安いと便利だから
ということで、
自分の関わらない職場でも
自国の職場には、厳しい視線を与え続けなければならない
という理由があると思います。

先に引用した論者の方々は、
外国人労働力の流入を受け入れるかどうかは、
国民が決めることではないということを発言され、
衝撃を受けました。

ただ、私の提起する二つの問題からの視点としては、
外国人労働力の流入や活用は、
日本の企業が、
日本人の失業や生活維持に興味を払わずに
できるだけ安いコストで企業運営をしたい
という動機から実行されている
という側面があるということです。

外国人労働力の流入は、
庶民の問題ではなく、
日本企業の問題なのだということです。

日本人は、やがて自分や自分の身内のことになるのだから、
国内の労働現場の実態に関心を寄せるべきだ
ということになると思います。

その延長線上に
国際労働基準の確立という問題が
根本的な問題としてあるということを
誰かが伝えなければならない
という語り部的意識で書いています。

さて、上野さんは、
みんなで一緒に貧しくなろうということを
提起されているようです。

私の視点からすれば、
みんなで一緒に貧しくなるということは、
このような効率優先に偏った企業活動の問題を放置することですから、
貧しさに歯止めがきかなくなるし、
外国人労働力の流入が加速度をつけて増加するだけの話です。


一貫して自分たち以外の人たちを受け入れないという視点は、
及び原因や理由がある事を直視しないで、
他者をそういうものだというように決めつける論法は、
結局、
「グローバリズムのお手伝いさん」であるということになるわけです。
ナンシーフレーザーの主張は
こんなところでも実証されてしまっている
ということを悲しみをもって指摘させていただきます。

その雇止めは無効ですよ。有期雇用の18年問題。念書は書かない、書かせない。 [労務管理・労働環境]

ちょっと、学習会でお話しするため、
例によって、何を話すのか準備のための記事です。

1 有期雇用労働者の始まり

今問題になっている有期雇用労働者は、
正社員と同じ仕事をしているのに、
毎回契約更新を拒否(雇止め)されるのではないかと怯え、
賃金も低く、昇給も賞与もない、あるいはないに等しい
そういう人たちのことです。

こういう形態を意識的に始めたのは
高度経済成長期ですから、
いまから40年以上前のことです。
好景気でイケイケどんどんの量産体制に入り、
企業が労働者をどんどん雇わなければなりませんでした。

ところが、企業の方も、
このままこの景気が続くわけはないという観点から
本当に採用を拡大し続けても良いのだろうか
という不安を抱きました。

それというのも、ちょうどそのころまでに
裁判例で、
労働者を自由に解雇できないという法理が確立し、
ひとたび雇うと定年まで雇い続けなければならない
という覚悟が必要になっていました。

採用して生産を拡大したいけれど、
景気が悪くなったら人余りで労務倒産になる
という危機感から新しい雇用形態が生まれました。

それが、有期雇用労働者と
当時は職業安定法違反の派遣労働でした。

その中の有期雇用労働者とは
もともと3カ月から1年の労働契約と決めて
契約期間が満了したので終了するのであって
解雇ではないという論法が通用したのです。

なぜ、1年以下かというと
当時の労働基準法は、
契約期間を定めるときは
原則として1年までと定められていたからです。

最近原則3年以下となり、
特別な職種は5年までの契約期間と定められています。

念頭におかれているのは、
期間限定のスポット的なプロジェクトに従事する場合です。


2 裁判例の展開

問題意識として、正社員と同じ仕事をしているのに
雇用は不安定だわ、収入は低いわで、
あまりにも不平等ではないかという意識がありました。

また、実際は、何度も更新されて
その更新も形ばかり、あるいは自動更新という
あからさまなものも多かったのです。

これには歯止めをかける必要がある。
普通の人たちはそう思うようになるわけです。

先ずは、東芝柳町事件で、
名ばかり有期で、形式的にも
ほとんど無期契約だという場合
更新拒絶をする場合には解雇と同じように
厳重な要件を満たさなければならないと
最高裁判所は判断しました。

次は、日立メディコ事件です。
東芝柳町事件が昭和49年判決で
こちらは昭和61年判決ですが、
その間に、コンサルが暗躍し、
とにかく形だけでも更新手続きをしなければならない
ということを触れまわしました。

その結果、企業も、ヒアリングをしたり
履歴書を出させたり
契約書を作ったりと
手続的に更新をする形を整えました。

しかし、形だけという場合も多かったようです。

そこで、実質的に無期と言えなくとも
更新を期待するような事情があった場合は、
更新拒絶に解雇法理を類推適用させるという
最高裁判決が出ました。

ほぼ、この二つの判決で、
裁判実務は確立したと言えましょう。

3 行政指導の確立

二つの判決を受けて、厚生労働省は平成15年
「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」20年改訂
という通達を出しました。

いろいろ場合わけがなされているのですが、
要は、
更新される期待が強い場合は、
雇止めが無効になりますよ
ということを徹底したわけです。

4 更新の期待が高くなる事情

従事する仕事の内容、勤務の形態、
利用できる施設なども差異がない
要するに、スポット的な助っ人ではなく
正社員と同じなら更新の期待も高くなるでしょう

更新手続きや、判断が形式的であり、
ここで拒絶される実質的理由がないという場合は
やはり期待が高まるでしょう。

個別事情として
あなたは更新を予定しているから就職活動をしないでねとか
事業計画で、その人が働くことが前提として予定されているとか
そういう場合も当然更新を期待するでしょうね。

同じ職種の有期労働者が更新されていることが普通で
当人にも落ち度がない場合も
更新されるよねと疑わないでしょう。

5 更新を拒絶される労働者側の事情

これまで判例で更新拒絶が認められた事例では
大学の兼任講師の事例がありました。
これは、そもそも大学の兼任講師は
社会通念上更新を繰り返すことが当然ではないと判断された上、
その人は、本職が別にあり、
その講師活動に収入を依存していないという事情が考慮されました。

同種事案としては大学進学塾の塾講師でした。

まとめると、
その人がむしろ高収入を得ていて、
その人の個性に着目した採用形態であり、
労働者性が強いとは言えない場合、

その職種自体が、ひとところに定住せずに
転職をしながらスキルアップをするような
流動可能な職種の場合
ということになりそうです。

6 ではさらにまとめて、何が根幹なのか

有期雇用とした意図・目的が合理的なものか
つまり、期間を定めることが合理的な職種か
つまりつまり、「必然的な理由がある有期雇用」
なのかということだそうです。

これに対して、雇用を打ち切りやすくするだけの名目的有期雇用は、
雇止めが無効になりやすいということになります。

7 念書の問題

労働契約法18条は、
有期雇用契約が更新されて通算5年となった場合は、
労働者が申し込みさえすれば
期限の定めのない労働契約になり、
厳格な解雇制限法理が適用されるとしています。

これには猶予期間があり、
この効力が発行するのは
2018年、平成30年です。

特に、名目有期雇用を導入している企業は、
これでは解雇ができなくなると
焦っているわけです。

そこで、労働契約法18条の適用を受けないように、
現在、
ただそれだけの理由で、雇止め(更新拒絶)を
している例があるそうです。

また、雇止めはしないけれど
今回の更新で最後とし、
次回は更新しませんと
労働者に念書を出させる企業が出ているようです。

先ず、それだけの理由での雇止めは、
多くが、判例や行政の基準に照らして
無効な雇止めとなるでしょう。

有期労働者の権利を向上させるために作った労働契約法で、
かえって労働者の雇用が不安になるということは
国にとっても噴飯物で、許されることではありません。

最近の安倍内閣の同一価値労働同一賃金への流れにも
全く逆行しています。

国を挙げて、制裁がなされることでしょう。

第2に念書ですが、
実は、これは必ずしも有効になりません。
念書があったとしても、
強行法規ということでもありますので、
他の要件が整わなければ更新拒絶は無効となります。

しかし、労働者自身が
念書を書いたということから
心理的に負けてしまい
権利を行使しなくなるということは大いにあるでしょう。

念書を要求されたら、
先ずは、労働契約法を知っている弁護士や
とにかく頑張る事例の多い労働組合に相談するべきです。
会社に労働組合がなくても
一般労組や合同労組という地域労組で
相談に乗ってくれます。

8 自分の雇用をどう守るか

最後にいろいろな知識も大事ですが、
心構えというかスピリットというか
もしかしたそちらの方が大事かもしれません。

それは、自分の主張こそが正当だと
確信を持つことです。

労働者の権利なんて
最初は何も認められていませんでした。

でも自分の主張が認められなければ
自分「たち」労働者の生活は成り立たない
という正当性の確信が

自分たちの主張が法的にも正しいという
規範意識に高まり
労働者の権利は承認されてきたのです。

そのためには、
苦しい、つらい、不安だという
そういうことを安心して言える仲間を見つけることです。
仲間が増えれば知恵も勇気もわきます。
冷静に志向をすることができるようになりますし、
何とかなるんじゃないかという余裕も生まれます。

その中で語り合ってください
漠然とした不安や苦しさを言葉にすることによって
初めて何が正しいか
どうあるべきか
そしてそれはわがままではなく、
正当性を確信する
私「たち」や社会全体の利益なのだ
ということに気が付くでしょう。

9 国、自治体へのお願い

こういうことで、国家法が
一部の企業によって捻じ曲げられ、
雇用不安が増大し
せっかく減少した自死が増加する危険が現実的になってきています。

先ず、自分たちが雇用している有期雇用労働者について
18年問題に絡めて雇止めにすることをやめてください。

国の政策、無期への転換を
公的団体として積極的に受け入れてください。

そうして、
関連団体の企業にも
不当な雇止めがないように目を光らせてください。

議会はくれぐれも監視してください。

10 労働組合にお願い

即刻、18年問題のプロジェクトを組んでください。
これは国の政策を労働組合が後押しするのですから、
労働運動の別にかかわらず、
何らかの緩い共闘を組んでください。

この問題で啓発活動をしないのならば
ナショナルセンターを名乗る価値がないと思います。

必ず、すべての有期雇用労働者に
情報を届けてください。

心よりお願い申し上げます。




なぜ、御社のハラスメント講習がつまらなく役に立たないのか 保身目的から前進目的への転換のご提案 [労務管理・労働環境]


ある国の機関で、幹部級の方々を対象に
ハラスメントの講習で講師をしました。
そうしたところ、それ程間を置かないで
今度は中間管理職級の方の対象の講習のオファーがありました。
別の講師の直前キャンセルがあったのだと思いますが、
前回のお話が好評だったとすれば、うれしい限りです。

なぜ私へのオファーだったのか
お話を聞くことができました。

ご回答は
通常のハラスメント研修は、
判例を紹介して分析する講習なんだそうです。

なるほどと思いました。
それは、役に立たないしつまらないだろうなと。

結局、ハラスメントの実態を知らない人が
ハラスメントについて何か話せといわれたら
そんなことしか話せないということになります。
そんな人に頼む方も頼む方ですが、
引き受ける方もどうかと思います。

<なぜ判例研究が役に立たないか>
判例研究でも、年代を追って全体の傾向を分析すれば
それなりに面白いのですが、
そのためには、労働者のハラスメントと
子どものいじめや指導死の判例と
総合的に見ていく必要がありますし、
予見可能性や相当因果関係といった
法的知識がなければ聞いてて面白くないものかもしれません。

そういう知識がある講師であっても
判例に出てくる極端な事例は
実際の職場では参考になりません。

こんな話をしても
うちの職場はここまでひどくはない
ということで終わってしまうでしょう。

あとは、ああひどいことをする人もあったものだ。
自己愛型パーソナリティという特殊な人に
出会わないようにしよう
という感想がせいぜいでしょう。

これではほとんどの職場は
講演の後と先とでは何も変わらないでしょう。
私から言わせれば「それもパワハラだ」というようなことをやっている人は
「まだ、もう少し厳しくできる」
なんてことを言いだしかねないでしょう。

その結果、裁判の事例と同じようなパワハラはやらなくても
グレードとして同程度のパワハラを行い
被害者に取っても会社にとっても最悪の結果がおきて、
世論の厳しい批判にあったりするわけです。

結局、何を話してよいのかわからない講師がパワハラの話をすると
パワハラで部下が自死することによって
上司が懲戒処分を受けないようにとか
会社が裁判に訴えられてマスコミの餌食になったりとか、
そういう保身的な目的の
パワハラ講習になるしかないようです。

ハラスメント講習は、
本来企業の生産を上げるための
積極的な攻めの姿勢の研修であるべきだと
私は思います。

パワーハラスメントとかハラスメントの
本当の意味を知れば、
実は、日常的に多少のハラスメントが
職場内に存在していることに気が付くでしょう。

そして、部下を傷つけている上司は
決して人格異常者ではなく、
平均的な人格の持ち主であります。

平均的な上司が、立場や状況によって
パワーハラスメントを起こしてしまう
そういうことが実態ではないでしょうか。

だから、
それらをすべて、懲戒処分だとか
訴訟対策だとかという対象にしていたら
人間関係なんて成り立ちません。

そうかといって放置してしまえば
被害者の精神状態が悪くなるだけでなく、
職場全体の雰囲気が悪くなり、
みんな上司が気に入らないだろうことは隠すようになり、
失点を恐れて積極的な行動を起こさないようになり、
指示を待つ人たちばかりになるわけです。

パワーハラスメントが日常的に蔓延している職場は
きわめて生産性が低い、
無駄な経費が掛かりすぎている職場になります。
また、誰も被害者がいないのであれば、
上司自身が過労死する職場でもあります。

ハラスメントだからと言って
懲戒や追放の対象とばかりしてしまうと、
なかなかハラスメントと認定できなくて
ハラスメントは結果として蔓延します。

ハラスメント行為をしないための
また、窮屈にならないための方法を提起するべきです。

しかし、
パワハラを無くすためには、
何がパワハラに該当するのかを覚えて
それをしないようにする
というだけでは到底足りません。

ハラスメントのない職場ということで
マイナスからゼロを目指すのではなく、
ゼロの先のプラスを目指すことによって
通過点においてハラスメントが無くなっている
そういう提案がベストだと思います。

積極的に従業員を尊重していくことが
どうしても大切なのです。
そうして、一人一人の従業員が、
自分が尊重されることによって
活き活きと働き、主体的に積極的に
喜びを持って行動し、
創意工夫あふれる職場にするということです。

ハラスメント講習とは、
職場における人間関係形成講習であるべきだと
私は思いながら
お話をしています。

会社のパワハラ防止規定がなぜ役に立たないか [労務管理・労働環境]

大きな会社では、パワハラ防止規定とか防止基準とかが
定められています。

さて、このような規定や基準が作られて、
職場は快適になったでしょうか。

最近大企業の事例を目にすることがあり、
もしかすると、ほとんど役に立たないのではないかと
要らぬ心配をしているところです。

一つはパワハラの定義ですが、
厚生労働省の6類型を参考にして作られているようです。
1 身体的な攻撃(暴行・傷害)
2 精神的な攻撃(脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言)
3 人間関係からの切り離し
4 過大な要求
5 過小な要求
6 個の侵害(プライベート侵害)

厚生労働省の解説では、もっとわかりやすく
身体的な攻撃の中に、丸めたポスターで頭を叩く
等と言う具体例も例示されています。

しかし、この文言だけからすると
明らかに犯罪に該当するような行為しか
パワハラに該当しないように読めてしまいます。

実際にそのように運用されています。
脅迫・名誉棄損・侮辱等は犯罪ですから
わざわざ防止規定に掲げなくても
ほとんどの会社では懲戒処分の対象だと思います。

なまじ例示を入れることによって、
ハードルが高くなり、
パワハラが認定されにくくなっているようです。

なんといっても、
「暴言」は明らかにパワハラでしょう。
どうして「ひどい」暴言だけをパワハラにする
ような表現になっているか理解に苦しみます。

是が非でもパワハラを認定しないぞと
そういう心構えを見せられているような
感想さえ持ってしまいます。

いや、このようにハードルを高くすることには
実は理由があるのです。

それは、パワハラだからどうだというところです。

パワハラの改善ということを
あまり積極的に取り組まれていない。
パワハラを起こした場合は懲戒処分にする(ことがある)
という制裁のために概念になってしまっているのです。

このため、懲戒処分の要件として
悪質なものだけを
パワハラとしなければならない
という変な力が働いているのです。

パワハラ防止規定の目的を見ると笑ってしまいます。
従業員の能力発揮と職場の秩序が目的なんだそうです。

コンプライアンスではなく、
企業の利潤追求のためにパワハラ防止規定を設けるというのです。

従業員が安心して会社の生活を送る
従業員の人権なんて言うことは
目的ではないという会社がずいぶん多くあるようです。

これでは、パワハラはなくならないでしょう。
だって、
企業の利潤追求のために
許されるパワハラも出てきそうじゃないですか。

少なくともパワハラが行われた場合
懲戒処分だけを念頭におかず、
従業員相互の助け合いとか、安心感とか
そういうことを目的にして、
穏便な改善指導ということも
積極的に具体化するべきです。

そうでなければ、
相手を懲戒処分にしたいと思う人しか
パワハラの相談ができないという事態になりかねません。

これではパワハラ防止規定は
単なるアリバイ作りになってしまうのではないか、
本来刑事処分になるべきところを
社内で握りつぶす効果しかないんじゃないかと
邪推している次第です。

【草稿】成果主義賃金の労務管理の敗北を認めよう。なぜ、効果が上がらなかったのか。 [労務管理・労働環境]

日本経済の評価は詳細がわかりませんが、
成果主義賃金で生産が上がったという話は
あまり聞きませんね。

お世辞のないところで言えば、
むしろ、悪くなっているのではないでしょうか。
高度経済成長は、年功賃金、終身雇用制の下で起きていましたから。

成果主義賃金は、
自分の頑張りに応じて収入が増えるということから
働くモチベーションを高める
という触れ込みで導入されていきました。

もしその理論、あるいは建前が正しいなら
もっと経済は成長しているはずではないでしょうか。

少なくとも、現行の成果主義賃金は
欠陥があったわけです。
そこを検討しようと思います。

欠陥の1
「成果」が主観的だった
成果の量が客観的にわかるようなものであれば、
成果を上げて、機械的に評価されるのであれば、
頑張れば収入が上がるという気持ちに直結していたのでしょう。

現実の「成果」は上司の主観でした。
大体において仕事の成果は抽象的です。
また、チームプレイですから、
誰の成果ということがわかりにくい。

結局上司の判断で
成果評価が割り振られてしまった。
上司の評価が高ければ収入が上がるのであれば
労働者の考えは変わります。

「会社のためになることよりも
 上司の評価が上がることをしよう」
当たり前ですね。

その上司は、自分の上司、
その上司は、さらに上の上司の
御機嫌伺いばかりを行い、
結局専務取締役あたりの個人的な感情が満足させられて
会社は左前になっていくわけです。

これには副産物があります。
上司にへつらわないで、自分が損をしても
会社の利益を目指そうという人は
利害対立の相手とみられますから
成果主義賃金体系の元迫害されて
やる気を失い、転職していきます。

会社の崩壊が加速されていく要因でもあるわけです。

欠陥の第2は、競争条件の平等が確保されないということ。
もともと、いい加減な導入をしていましたから、
競争条件の平等なんてことを考えてもいなかったでしょう。

上司のおぼえの良い人は、
条件の良いポジションを与えられます。
売り上げが上がりやすい地域とか
成果を上げたことをアッピールしやすいポジションとか
与えられます。

その他のポジションの人は、
一生懸命働いても収入が上がりません。
モチベーションは下がる一方です。

欠陥の3は、上司が変わると評価が変わるということです。
もともと主観的な評価ですから
移動などで上司が変わると、
今度は優遇されなくなる可能性がある
そのことはえこひいきされていた人はよくわかっているわけです。

冷遇されるようになった人のモチベーションは下がりますが、
優遇されると思ったのにそのままだった人の
モチベーションもさらに下がります。

こういうことを繰り返していれば
一時的に優遇されている人も
懐疑的になりますよね。

欠陥の4は、果たして報酬のパイは十分だったか
一生懸命成果を出せば収入を上げるというのに、
収入を上げるための財源が確保されていたのか
という問題です。

単に昇進などでごまかしているうちに
管理職だけやたらと増えていないか
ご自分の会社を見てみてください。

頑張っても、収入が増えないのでは
モチベーションは上がりません。

欠陥の5は、そもそも論ですが、
人間はエサでつられるのだろうかという問題です。
短期的、イベント的に報酬が加算される
ということは、けっこう乗りで頑張ったりしますが
これが、長年続くときついということがあります。

だんだん、頑張ってようやく今のポジションを維持できる
すこし息継ぎすると転落する
ということがわかってくるので、
閉塞感、息苦しさが出てきます。
成果主義賃金体系は長続きしないシステムだということです。

欠陥6 成果でしか自分が評価されない
という感覚は、
だんだん、自分が尊重されいない
自分は尊重されるべき人間ではない、
人間は尊重されるべき存在ではない
という危険な感覚に陥る危険があります。

成果評価の対象ではない
非正規雇用労働者に対して、
人間的扱いをしなくなるようです。

人間的扱いをされていない非正規雇用労働者は
自分より弱い他人を探して、攻撃することによって
自分のポジションを確保しようとする危険があります。

正規従業員に対しても
成果という結論を出すことだけが
頭でっかちの命題になってしまっていて、
その方法論を検討することも指導することも
後景に追いやられてしまうことになります。



以上こんなことをわめいているのは
私だけかもしれませんが、
国を愛する心があるのであれば、
成果主義賃金体系について
真摯な見直しをする必要があるように思われます。

原因の分析抜きに結果だけを求めるとこうなる。教師の不祥事防止についての千葉市教育委員会の発想の貧困 [労務管理・労働環境]


<相次ぐ教諭の不祥事>チェックシートに個別面接… 再発防止に効果は? 頭痛める市教委「当たり前から始めなくては…」 /千葉

千葉日報オンライン 8月7日(日)10時54分配信

という題の記事が、紹介されていました。

市教育が、チェックシートを作り、
セルフチェックを教師にさせているそうです。.

シートは「飲酒運転」「交通違反」「わいせつ・セクハラ」「体罰」
等の7項目で構成され、
例えば「飲酒運転」では
「飲酒を伴う席に参加する時は、必ず車両を自宅に置いて参加している」、
「わいせつ・セクハラ」では
「個人的に児童生徒と学校外で会わない」などが確認事項になっている。

ここまでしなくてはいけないのは、
市教委は当事者意識の希薄化があると考えているからだそうです。

こんなチェックシート効果が上がるわけがないと思いませんか。
このチェックシートで校長と面談する時、
本当に悪いことをやっている人が正直にチェックするとは思えません。

それだけではなく、
既に、当たり前のことができなくなってから
ようやくチェックできる仕組みになってしまっています。

このような役に立たない、
教師の時間だけ奪う作業をやらせる最大の要因は、
なぜ不祥事を起こすのかという分析が弱いからです。

当事者意識がないというのはお役人の発想です。
教育現場の発想ではないでしょう。

それでもよいから、なぜ当事者意識が無くなるか
という根本原因を考えなければなりません。

これは後から述べますが、
もう一つ問題は、

「不祥事を起こす教師は、もともと変な劣っているやつで、
 隠れている問題教師をあぶりだして
 ささっと排除してしまおう。」
という発想になっているということです。

「まじめな志をもって教員になった人が
 何らかの理由で、判断力や思考力を失い、
 逸脱行為をするまで追い込まれ、
 抑制できなくなってしまった。」
という発想がないということです。

こんなチェックシート、
すべての教員を問題児扱いしているようで、
チェックしろと言われたら大変不愉快だと
私なら思いますけどね。

また、「罪を犯せば重い処分が下りることを
わからせる」なんて言っていますけど、
発覚したら職を失うことなんて
どんな教師も百も承知です。

それから、チャックさせないと
部下の状態を把握できないという
管理職をそのままにしているということも
報道されないだけかもしれませんが
気になるところです。

市教委が学校ごとに再発防止に関する文書を出したり、
校長が個人に口頭で注意喚起してきた。
しかし不祥事は減らなかった。

原因を分析しないで、
「悪いことはやめるように」
ということを繰り返して
じゃあやめますというようになることを
期待でもしているのでしょうか?

具体的なシーンを想像してみてください。
あまりにもばかばかしいでしょう。

根本的な疑問は、
そもそも学校という、
生徒一人一人の到達点を把握して
効果的な指導を行うという
教育ということを
教育委員会はあまり考えていないのだと思います。

100点取れよ
ここ覚えとけよ
20秒以内に走れよ
50m泳げるようになっとけよ
というような結果の押し付けと
その到達による成績評価を
学校教育だと思っているのではないでしょうか。

どうやったら息継ぎができるようになるか、
どうやったら図形問題の補助線を引けるようになるか
たとえばそういう「教える」ということを
そもそも放棄している
ダメな生徒はだめで放置
優秀な生徒は学校のため褒め育てよう
という発想に近いチェックシートだと思います。


では、本題。

どうして不祥事を起こすのか、
何度も形を変えて述べていることなので、要点のみ

忙しいということが根本原因です。

忙しさとは
与えられたノルマに要する時間が短すぎる
複数のノルマの複数同時進行を求めている
与えられた時間の中でやるべきことが多すぎる
等のことです。

では、この忙しさはどのように悪さするか

時間がないということで焦る理由は
前に書きました。
「時間がないと焦る理由 焦るというのはどういうことか 焦りを抑える方法」
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-04-21


時間がないという感覚が、
命の危険が迫っていると同じように
脳内にパニックを与えてしまう危険がある
ということが一つです。

これに今回捕捉しなければならないと考えているのが、
やらなければならないことが多すぎて、
自分がやりたいことができない日常だとすると

「いざとなったら、自分で自分の身を守ることが
できなくなったしまうのではないか」
という予期不安を感じるようになります。

「いざという時」なんてことは、おそらく来ないし、
「自分で自分の身を守る」なんてことも
具体的に考える必要はないのですが、

そういう不安感に襲われてしまうことになる。
ということです。

性犯罪の多くは、
自分で自分のことを決められないという
拘束感が強い人が起こす場合が多いです。
他人から支配されているという感覚を持ってしまうと、
他人を支配したい、自分の考えで他人を左右したい
という感覚となり、
反撃を想定しないで
性的逸脱行為を犯しやすくなるようです。
盗撮なども、無防備な状態にしておいて
優越感に浸るという、
ものすごく異常な心理状態なのです。

一般に不安感、不自由感が強くなりすぎると
① 過程を楽しむことができず、結論に飛びつくようになる
② このことをやったら、その結果どうなるという将来予測ができなくなる
③ 二者択一的な思考方法になる、
④ 複雑な考え、折衷的な考えができなくなる。
⑤ 仲間の中にいる自分という実感がなくなり、人の目を気にしなくなる。

一言で言って短絡的になるわけです。
刹那的といっても良いかもしれません。

このモンスターペアレントや受験競争の時代に、
ブラック企業だとか言われてもなお、
教師になりたいと言って教員に採用されている人たちですよ
もともと変な人であるはずはないと思います。

もしそういう変な人が教員に採用されたとしたら
採用の仕方に問題があったのではないかと
疑わなければいけないと思います。



以下、千葉日報の記事です。

千葉市教委が作成したチェックシート。タイトルは「不祥事から身を守るためのセルフチェック」


◆6月に3人懲戒処分

 千葉市内の学校に勤務する教諭が生徒への抱きつきや盗撮など相次いで不祥事を起こし、6月に3人が懲戒処分を受けた。再発防止に向け市教育委員会は、教職員が守るべき事柄をまとめたチェックシートを初めて作り、校長が教職員と個別に面接することに。不祥事の根絶に努めていくが、「シートに書かれていることは当たり前のことばかり。そこから始めなくてはいけない段階」(市教委)と、頭を痛めているのが現状。不祥事が続く“異常事態”に歯止めをかけられるのだろうか。
.

◆並んでいるのは常識的な事柄ばかり

 市教委は、シートを市立の全小中・特別支援学校の教職員約4300人に配布。教職員は、書かれた事柄を理解していればチェックマークを入れ、夏休み中に行う校長との面接に持参する。

 シートは「飲酒運転」「交通違反」「わいせつ・セクハラ」「体罰」「個人情報の取り扱い」「学校徴収金等の処理」「その他」の7項目で構成する。項目ごとにさらに細かい事柄に分かれ、例えば「飲酒運転」では「飲酒を伴う席に参加する時は、必ず車両を自宅に置いて参加している」、「わいせつ・セクハラ」では「個人的に児童生徒と学校外で会わない」などが確認事項になっている。

 市教委が言うとおり、並んでいるのは常識的な事柄ばかり。ここまでしなくてはいけないのは、市教委が問題の背景に教職員の「当事者意識の希薄化」があると考えているからだ。

 今までは問題が起こると、市教委が学校ごとに再発防止に関する文書を出したり、校長が個人に口頭で注意喚起してきた。しかし不祥事は減らなかった。市教委は、教師歴が浅い教諭を中心に「自分には関係ないと思っている人が多い」と指摘。個人単位でより踏み込んだ啓発をする必要があると判断した。「個別に文章を配り、面接まですれば、嫌でも当事者意識が芽生える」と担当者は話す。
.

◆ほとんどが教師歴10年以内

 昨年度~本年度に不祥事を起こした教職員は、ほとんどが教師歴10年以内。数年後には、市立学校の教諭の半数を教師歴10年以内の人が占めると推計されており、不祥事根絶のための意識付けは急務となっている。

 市教委は、シートを用いた面接を一度で終わらせず、定期的に行うよう各校長に要請している。ただ、面接内容や頻度は学校ごとの判断に任せるため、各校によって効果が違ってくると予想される。「不祥事は減るだろう」と息巻く市教委だが、均一な効果を期待するならば、責任を持ってリーダーシップを取っていくべきではないか。

 先月の懲戒処分は生徒への抱きつきや盗撮だった。教職員課の山下敦史課長は「不祥事のペースが早過ぎる。罪を犯せば重い処分を受けることをシートでよく分からせる」と話している。

対人関係修復士という仕事 対立から関係修復へ1 職場、労使、経営内部、労働者相互 [労務管理・労働環境]

<株主と取締役の修復>

職場の対人関係で、実際に対人関係修復的な仕事を意識した例は
株主と取締役との人間関係を調整した仕事があります。

慢性的な赤字経営の元、企業形態を変えざるを得ない状態となり、
それは確かに労働者や事業運営上不利益もあるのですが、
倒産回避、解雇回避として、ギリギリの選択でした。

税理士さんと弁護士である私がタッグを組んで、
会社の実際の経営状態を情報提供し、
考えられる選択肢のメリットデメリットを提示し、
最善の方法だということを納得していただきました。
疑心暗鬼を解いていったということですね。

会社の赤字運営にあたって、
株主側は、取締役の責任を疑っていたのですが、
そもそもの赤字の始まりを分析し、
むしろ、取締役ではなく、当初のオーナーの行為と、
銀行取引の仕組みを説明することで、
株主側の疑心暗鬼も解いていきました。

大事なことは、なるべく取締役の顔を立て、
取締役のミスを修復していき、
双方の要求を矛盾させずに調整したというところでしょうか。
滑りだし、上々というところでした。


<労使間トラブル>
労使間トラブルは、古典的には、労使対立、労働運動という形でした。
近年は、労働組合の組織率も低下したということもあり、
弁護士に依頼して法廷闘争などが多くなったと思います。

この場合でも労働運動を背景として、
対立型の紛争解決が主流のようです。

いろいろな仕事を経験する中で、
あからさまな使用者の利益のためには労働者を犠牲にして
という使用者でなければ、
むしろ、このぶんやこそ対人関係修復型の解決方法が合理的です。

現在、私は、国の政策の地方版の仕事をしていますが、まさにこれです。

労働基準法を知らないのは、むしろ経営者の方です。
弁護士に講義をすることもあるのですが、
事務員を雇用しているはずの弁護士も、
労働基準法や労働契約法のないように注意を払わない人が大勢いるようです。

特に労働基準法は、罰則付きの強行法規が多いですから、
法律に反することはできないことを使用者に説明する必要があります。
これで、労使間トラブルのうちの多くが解決されるということが実態です。

次は、得意の労務コンサルタントの分野です。
パワハラやセクハラなどは、考え方を伝授すれば、
きちんとなくなります。

これらの問題を無くすためには、
それらをしないということではなく、
企業のために働くというモチベーションを上げる工夫をするということです。
全く無防備なまま仕事をさせていることになり、
これでは、いくら投資をしても利益は伸びません。
脆い企業になってしまいます。

労働者のミスにどう対応するかということも、
対人関係労務管理の重要なテーマです。
それは、労働者育成のチャンスの時なのです。

労働者相互というか、上司と部下の関係、
気に食わない相手は、どうして気に食わないのか、そりがあわないのか。
どうすれば、良好な人間関係を築けるのかという問題は、
PTSD治療の理論と、
その一つの理論に影響を与えた脳科学のソマティックマーカー理論を応用したものです。

労働関係の対人関係修復の活動場面は、
実際に、対立当事者を交えてのオープンダイアローグ的な解決方法もありますが、
講演活動も多く承っています。
意外なことに、民間よりも、公務所関係の講演活動が多いのです。

対立当事者がある場合、
どちらかの依頼を受けて仕事をするのですが(通常は会社経営者)、
相手方の利益を真剣に考えるということが、解決の決め手です。


パワハラ訴訟さわやかに解決しました。「うつ」の魔法を解く魔法 [労務管理・労働環境]

パワハラで休職、退職に追い込まれた事件が
休職から2年で訴訟上の和解となりました。

大卒で会社に就職して、
休みの日も取引先から電話がかかるような
忙しい仕事をしていました。

震災復興ということで
業者は、どんどん仕事を引き受けて、
メーカーも営業も、下請けも
何が何だかわからないような忙しさでした。

このため、誰のミスということも難しいのですが、
上司は、新入社員の彼に責任をなすり付けて
営業の仕事をはずして、かわりの仕事を与えず、
仕事を与えないのに、仕事をしていないと
嫌味を言う毎日でした。

彼は仕方なく、
草むしりをしたり、雑用をしたり、
事務職員に、手伝うことがないか
聞いて回ることが日課になっていました。
大変つらいことです。

それでも上司2名は、
言いがかりのようなことで、
怒鳴り散らし、
机を一人だけさらし者のような場所に異動したりしていました。

最終的には人格障害だから診断書をとってこいと
精神病院に強制的にいかされたりもしました。

グループ会社を含めて
同期5人のうち、4人が
2年もたたないで退職していました。
どうやら会社に構造的な要因があるようです。

最初私は、
証拠もないことから、
早く会社を辞めて、次の一歩を踏み出した方が良いと思っていました。
たった一人で戦うことはつらいことです。

彼は、何が何でも一矢報いるということで、
毎日録音機を持って出勤していました。
それでもやはり、出勤中に、
頭や体が痛くなったり、
気が付いたら自然と涙が出てきていてたと
終わってから言っていました。

結局、彼はうつ状態がひどくなり、
精神科医に行って休職に入り
会社の規定で退職となりました。

当初なかなか打ち合わせもままなりませんでした。
会話が成立しない。
こちらの話もすぐに理解できない状態で
ピントが外れたことをしていたり、
自分から話すときも、
いちいち回りくどい言い回しをして、
挙動不審な感じもしました。

この事件は、私の直感的なファインプレーですが、
私一人ではうまくいかないだろうということで、
若手の先生に共同代理をお願いして
二人で事件にあたりました。

私一人であれば、イライラして
最後まで粘り強く彼と付き合えなかったのではないかと
思います。

お若い先生でしたが、
おっとりと彼の話を受け止めて、
私の話を翻訳してくれたり、
録音の文字起こしを時間をかけてやっていただいたので、
私も冷静さを保つことができました。

裁判は、
裁判官の積極的な訴訟指揮の元、
和解が強力に進められていきました。

最終的には形になる金額と
正式な謝罪を盛り込んで
和解が成立しました。

従業員を人間扱いしない振る舞いは
高額の賠償金の対象となるという
一つの実績を作った和解だと思いました。

何よりも、労災認定抜きに
和解が成立したということが画期的です。

時間外労働が全くない事例で、
会社の内部の言い差な嫌がらせの繰り返し(ハラスメント)
なので、
なかなか労災認定はなされないだろうとという判断から、
申請をしませんでした。

しかしその代り、
休職から2年ですべてが解決したのですから正解でした。

この事件を通じてぜひお伝えしたいことはこれからなのです。

彼は、退職後、
みるみる元気を取り戻していきました。
ちょっと突っつくと涙ぐんでいたような彼が、
落ち着きを取り戻し、
また意欲も取り戻して、
休職から半年後、
なんと再就職してしまったのです。
事後報告を受けて唖然としました。

再就職後の職場も、
過重労働で有名な職場ですが、
彼は忙しい職種での採用ではなかったので、
定時に仕事が終わっていたようです。

そればかりではなく、
とても大事にされたようです。
彼はどんどん生気を取り戻してきました。

劇的に変わったのは話し方です。
回りくどい、
無理して社会人用語を使っているようなところが薄れていきました。
いつも斜め下を見ていたような視線も上がっていきました。

主治医に確認したところ、
治癒といってよいと思うが、投薬を中断せず、
予防的に投薬をしているという話でした。

彼は文字通り命がけで録音した
会社での嫌がらせの音声を
仕事の傍ら必死に文字起こしをするようになりました。

その時を思い出すのではないかと心配して
もう一人の若い弁護士も
生真面目に手伝いました。

一日中録音していたので、
必要な音声を探し出すのは
気が遠くなるような作業でした。

ようやく半分だけ文字起こしができたので、
前篇ということで証拠提出しました。

これで勝負ありでした。
それまで裁判で否定してきたことが、
きちんと録音されているのですから、
会社側もガタガタと崩れ、
一気に和解がまとまりました。

(こちらも和解する事情があったので、
 本当に一気に進みました。)

裁判が終わって、
弁護士2名と彼と最後の打ち合わせをしました。
驚きました。

これがあの時の彼なのか目を疑いました。

実ににこやかな好青年なのです。
顔つきが全く違う。
今までは、頬の筋肉がなかったのかと思うほど
目の前の彼は筋肉が躍動して
表情が生き生きしていました。

弁舌もさわやかでした。
あの時のまどろっこしい話し方は
全くありませんでした。

自分が頑張ったテープ起こしが決め手になり、
泣き寝入りしないで、会社に謝罪させたことを
誇りに思うと語ってくれました。

泣き寝入りせずに、戦ったことで
彼は自分を取り戻したのだなあと
生まれ変わったように語る彼の顔をぼんやり見ながら
そんなことを感じていました。

ただ、
精神科医との連携をとりながらとはいえ

うまくいったからよかったけれど、
実際は、われわれに話していた以上に
苦しかったのだなあと思うと、
それをみんながやるべきだとは
なかなか言えないということは本音です。

医学的なことは正確にはわかりませんが、
彼はうつ病だったというよりも、
それだけひどい扱いをされたことから
防衛反応で、うつ病のような状態になった
ということが実感です。

会社からは離れれば、離れるほど
自然に好青年に戻って行ったことからも
そう思います。

最終的にストレス源だった会社から謝罪されて
元の彼に戻ったのでしょう。
まるで、うつの魔法にかかっていたとでも
言うほかないような変わり方でした。
魔法使いが死んで魔法が解けたというところなのでしょう。

魔法使いを倒したのは何だったのでしょう。

彼は支えてくれる家族や、新しい職場、
元の会社を辞めた仲間、
そして彼女という存在があったからこそ、
戦いぬくことができたのだなと思います。

彼は、裁判解決後、
一番苦しいときを支えてくれた彼女と
婚約をしたと最後に報告してくれました。

せっかく東芝さんがわかりやすいサンプルを提示してくれたのだからみんなでわが振り直そう [労務管理・労働環境]


東芝の事件が世の中を騒がせています。
ライブドアの時と比べて影響力はけた違いなのでしょう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150721-00000006-asahi-bus_all

この一件は、対人関係学の労務管理についての主張を
http://www001.upp.so-net.ne.jp/taijinkankei/roumukanri.html
きわめて強力に裏付けています。

事件報道の中の
社長の目標設定は
「ある期間の利益を最大化する『当期利益至上主義』だった」。
という記事に特に目を引かれます。

当期利益至上主義に基づく「チャレンジ」は
労務管理的に言えば、
ウエルチという世界的経営者の「ストレッチ」という方法で
一言で言えば「無理をさせる」というやりかたです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150721-00000006-asahi-bus_all

いろいろな経済情勢の分析や従業員の個性、特性などを一切分析せず
頑張れといえばよいのですから、
誰にでもできる方法です。

指導技術がない人でも結論だけ求めるということです。

パワーハラスメント、部活動のしごき、家庭内暴力
全て、こういうことですから、
この世の中の問題点の象徴ということになります。

これからは、回りくどい説明を避けて
東芝の社長みたいに結論だけを要求することはしないほうが良いと
簡単に説明できるようになりました。

この社長の恫喝を受けた管理職は、
「そんな目標はできない
 できないといえば社長から叱責される。
 ではどうしようか。」
ということで、決算書類を改ざんしたわけです。

ある切り口から考えると
とても幸運だったと思います。
社長の主張を真に受けてしまい
過労死、過労自死に至らないで済んだからです。

さっそく教訓化しましょう。

第1に、
社長から「不可能を強いられている」
ということを集団で確認することができたということです。

これに反して、社長の目標が可能だと信じてしまうと、
「できない自分が悪い」という風に
精神状態がおかしくなっていくところでした。

<上司の指示が不可能だと思ったら、同僚と相談する>
これが東芝事件の教訓の第一です。

第2に、
「不可能なことはやらない。ごまかさそう」
ということです。
過労死をする人たちは、
不可能だとしないで、言われた以上はやらなくてはならない
と思ってしまいます。

<できないと思ったらやらない>
これが東芝事件の教訓の第二です。

第3は、負の教訓ですが、
現場の意見を圧殺する上司の指示は
会社を滅ぼすということです。

私は、不正経理を行った従業員に同情するとことはありますが、
ライブドア事件に照らして、
相当の処分がなされるのはやむを得ないとも思います。

しかし、それを招いたのは他ならない経営者です。

従業員は自分が助かりたいと思ったから
何とかその場しのぎのごまかしをしたわけです。
もはや会社の将来を考えるという
モチベーションがなくなっていました。

理不尽な上司の叱責は、
自己保身につながる。
会社の致命的な影響を考えない。

要するに、自己保身という結果を出すために
ショートカットをしたのですから、
売り上げ目標という結果を出すために
無理させるという無内容な指導をした社長と
全く一緒ということになります。

では、指導力がない経営者、上司はどうしたらよいのでしょう。

一つの方法としては、部下、現場に学ぶということです。
情報、アイデアをできるだけ生の形で収集して、
自分や、自分の経験が不足している分野の権威と
分析を行い、検討をするということです。
その能力がなければ経営者を辞するべきです。

このようなストレッチなどが主流になってくるのが
バブル後半から崩壊期です。

それまでは、あまりこのような無理をさせるということは
行われてきませんでした。

もちろん、言われた方のみになって考える
ことをしていたからです。

現代の生産性が低下している日本では、
相手の人間性をあえて捨象する労務管理が
当り前のようになっています。

こういう私の主張に対して、
「いや高度成長期は余裕があったから
 人間性を尊重できたのだ」
という反論が考えられます。

しかし、戦後の混乱期から高度成長期に続いていたわけで
余裕があった時期というのは実はないのです。
むしろ、人間性を尊重する家族的経営が、
高度成長期を実現した一つの要素だったのではないかと思うのです。

人間性尊重と生産の向上を橋渡しするのが
対人関係学的労務管理論ということになります。
(前掲)

私の企業向け講演の一番費用の高い演題が
「君が代の心を経営に活かす」
というものですが、
そこでは、『当期利益至上主義』を徹底的に批判しています。

なぜ東芝事件は起きたのか
どういう企業思想が必要なのか。
何か事が起きる前に
私の話をお聞きになることをお勧めする次第です。



理由なく気に食わない場合のその理由、相性が悪いとは、人間関係克服方法 [労務管理・労働環境]

パワハラの要因を以前書きましたが、
人間関係という要素も確かにあるようです。

自分にも覚えがあるのですが、
なんとなく気に食わなかったり、
ああ、気に入らないと思われているのだろうなと
感じることがありますよね。

理由がある場合もあります。
よくわからないけれど攻撃されて来たり
嫌なことを言われるという場合とかです。

これに対して
なんか理由がわからないのに
イライラしたり、攻撃されたりということがあると思います。

実は、これは、理由がないのではなく、
理由が自覚できないのです。

過去の記憶が悪さをしているのです。
過去に、自分が嫌な出来事があり、
その相手に、気に食わない奴がどこか似ているのです。

ただ、その記憶は、はっきりと言葉で言えるものではなく、
敢えて言えば、体で記憶しているので、
自分では説明できないのです。

記憶というものは、
例えば、危険な場所を記憶して、
危険な場所に近づかいないという役目があります。
危険な人であるという記憶は、
その人と関わらないようにしようとするわけです。
生きるための仕組みです。

だから、
過去に、意地悪をされた人と
顔のほくろの位置が似ているとか
唇の形が似ているとか、

過去に、暴力を振るわれた人と
匂いが似ているとか
髪型が似ていると

それを体が覚えており、
オリジナルの加害者や被害の内容を忘れていても
体が記憶しており、
あたらしいその人に対して、
危険な人だと脳に教えてしまうのです。

そうすると、脳は勝手に反応してしまうわけです。

最初は些細な反応でしょう。

紹介されたとき、わずかに視線を外してしまったとか、
ほくろの位置をじっと見てしまったとか、
言葉が出なかったとか。

こういう些細な反応を受け止めた相手が、
対人関係上の危険を感じてしまった
要するに、こいつは自分を仲間として認めないそぶりをした
と感じてしまうと(これも無意識であることが多い)
さらに、危険に対する反応をしてしまうわけです。
今度は、少し大きな反応になります。

くどくなってきましたが、
そうすると、今度は本人が相手の攻撃意図を感じ、
さらに危険に対する反応を強めていってしまい、
やがて、相性の悪い人
ということになってしまうのです。

危険に対する反応は、恐怖と怒りなのですが、
上司と部下、医者と患者、弁護士とクライアント
なんていう優位性がある場合は、
個性にかかわらず、怒りの感情が出現する危険が高い
ということになります。

では部下は委縮していくのかということですが、
これは個性によって、上司の小人物性の反応によって
逆に怒り(複雑な形になるでしょうが)になる場合もあります。

上司は、社会人としての先輩であり、
組織の中で役割があるのですから、
このような人間関係の解消に努めなければなりません。
どうするか。

原因が、意識下の記憶にある場合には、
実は克服法があります。

意識下の記憶ですから、
記憶の正体、オリジナルエピソードを探すことは困難です。
もし見つけたとしても、記憶を消すことはできません。

正解は、
現代のPTSDの治療方法と全く共通しているのですが、
その人は安全だという新たな記憶を積み重ねていくこと
つまり、安全だということを学習することが
最も効果的だということになります。

気に食わない人こそ、積極的にかかわり、
長い時間を共有することです。
意識して、その人の行動、考えを尊重することです。
反対するときも、賛成する部分と反対する部分を分けて
全面的な否定にならないように心がけましょう。

企業の規模や、その人間関係の重要性によっては、
労働時間内に、そのような交流を進める工夫も必要でしょう。

これを、会社など組織のためでなく、
自分たちのためであると把握するならば、
勤務時間外に、アルコールの力を借りるということが効果的です。
アルコールは、危険意識、反応を鈍麻させる力があります。

また、この場合、あまり無理して話す必要もありません。
白けても何でもいいのです。
安全だという意識が芽生えればそれでよいのです。

これは、夫と妻の父の場合も応用が利くように思えます。

女性はどうかというと、
アルコールに警戒感を持つことがあるという理由もあります。
アルコールの効果で危機意識が高まるという実態もあるようです。
飲みなれない人に飲ませることも含めて、
逆効果の危険があります。

自分の警戒感を解けばよいのであって、
相手に飲ませる必要はそれほどないと
心得たほうが無難なようです。

前の10件 | 次の10件 労務管理・労働環境 ブログトップ