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産後うつと母親による子どもの殺人と脳科学 床上げの意味、本当の効果 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

出産後、母親の精神状態が変化するということを以前書きました。
これは、ようやく21世紀になって、
イギリスの王立婦人科学会と統計局が調査をし、
出産に伴う死因のうち、精神医学的死因が24~25%
を占めるということが確認されたそうです。

産褥うつ、産後うつ等の言葉を定着させていきました。

脳科学的に見ると
妊娠、出産に伴って大量のコルチゾールが分泌されるそうです。
コルチゾールは、人間が過剰なストレスを感じた場合に分泌されます。
おそらくこういうシステムがないと、人間は、
過剰なストレスに耐えられないのでしょう。

ところがコルチゾールは、毒性もあり、
脳を縮小させる副作用があると言われています。
過剰なストレスを受けすぎると、
どんどんストレスに対して弱くなっていくわけです。

そこで縮小していく脳の部分とは、
長期的視野に立って、自己の行動を制御する部分といわれています。
前頭前野.JPG

私たちの脳は、ここの部分があるから、
やりたいことをやってしまうと、
あとで制裁がきてしまうことを予想して
我慢してやらないようにできるわけです。

ギャンブルで、大金を手にできるかもしれないけれど、
負けた場合は大損だと思うからしません。
昼からお酒を飲みたいけれど、
社会不適応者と言われたくないから
飲まないわけです。

(そもそもやりたいとは思わないということはありますが。)

この脳の部分が働かなくなると、
我慢が効かなくなります。
面倒なことが起きても、
これはこうやって起きるのだから、これをこうしなければ良い
ぎゃくにこういうふうにすればクリアできる。
という、「ちょっと待てよ」という踏ん張りが
効かなくなってしまいます。

なんでもいいから、この苦しみが終わればいい
という感覚になってしまい、
とにかく逃げ出したくなります。
いっそのこと苦しみを感じている自分自身が
消えてなくなればいいと考えていきます。

自死をするときの感覚というのは、
こういう時に自死の手段を思いついてしまうと
そればかりが頭の中を占めてしまい
それを止めることができなくなってしまうわけです。

自死報道は、
まだ、ちょっと待てよができないだけの段階の人にも、
手段を教えてしまうことと
あの人も死んだのだから自分も大丈夫という
死への閾値を下げてしまう意味でも大変危険です。

産後うつによる自死の危険とは
このようにして高まっていきます。

では、どうしてお母さんは、
最愛の我が子、それほどまで苦労して出産した我が子に
手をかけるのでしょうか。

母子心中や嬰児殺が産後うつの症状だ
ということは指摘されてはいました。

そのメカニズムを語るとき、
もう一つの論理が必要のようです。

男の私から見ていると、
母親の子どもたいする愛情、愛情の感じ方が、
父親とは異なるところがあるということを感じます。

母親は子どもを自分の体の一部だと思っている
ように感じるときがあります。
子どもに対してイライラしているときも、
例えば自分の手が思い通りに動かないで失敗するときのように
イライラしているように感じます。

何でそんなにひどい、冷たい対応をするのだろうという場合でも
結局、常日頃自分の失敗に対しての反応と同じ
と理解するとああなるほどなと感じる話も聞きます。

自分と子どもが境目のない延長線上にあるような
そんな風に感じているのかなという印象を持ちます。

考えてみれば当たり前かもしれません。
もともとは子どもは母親の体の中にいたものなので、
こればっかりは、私には、
感覚を追体験することは難しいです。

このように自分と子供を感覚的に区別できないというその結果、
どう作用が生じるかはいろいろなルートがあるでしょうが、
結論として、
「ちょっと待てよ」のこらえが効かなくなって、
通常は、自分がいなくなりたいという気持ちと行動に出るところ、
自分の一部であるこの子が消えてなくなればいいという
切羽詰った感覚が、
起きてしまうとは考えられないでしょうか。

だからといって、
母親が新生児に手をかけてもいい、仕方ない
と言っているわけでは、もちろんありません。
ストレスのかかり方、出産の困難度合いも
人それぞれ違うでしょう。
でも、出産直後のお母さんは、
そういう危険のある時期にいることを
わかって欲しいのです。

我が子に手をかけた母親も、
その人の生まれながらの凶暴な人格に基づいて行ったのではなく、
出産後の体の変化の一時的な行為なのだ
ということも理解して欲しいのです。

おそらく、我が子を亡くして
一番傷ついているのは当の本人だと思います。
我に返った時の絶望感を想像すると気が遠くなります。

[バースデー]
そしてもう一つ、古き日本の伝統は、
まるでこういうことを理解していたような
床上げという習慣があります。

その地方によって、日数に変化があるようですが、
出産後長期的に、母親には子どもの面倒くらいしか
(極端に言えば授乳だけ)
家事をやらせない風習があります。
布団も敷きっぱなしというところもあります。

これはどうやら体力の回復にとどまらない
とても大きな精神的な効果があるのだと思います。
対人関係学的にいえば
自分が、群れの中で尊重されていると感じることが
その人の不安を解消する特効薬になっています。

出産という一大事業を成し遂げた母親に対して、
よし、でかした。あんたはえらい、
あとのことは気にしないでゆっくり休め
という扱いが、
母親を安心させ、癒しの効果が高まるのだと思います。
副交感神経が優位になり、
出産に伴う母体のストレス反応を修復していくのでしょう。

あなたは疲れている、休む必要があるという
自分の弱さを承認されたということが大きいわけです。

だから、産後の母親は、
いたわりすぎるということはありません。
どこまでもいたわるべきです。
幸せな気持ちになってもらう必要があるのです。

我々の先祖は、経験上、
床上げということで、
具体的に母親を取り巻く人たちは何をなすべきか
子孫に伝えていたわけです。

現代は、家族が孤立しています。
床上なんて望めない環境のお母さんもいらっしゃるでしょう。

また経済的に厳しい状況が有り、
自分ひとりが死ぬまで明るく生活できるかということを
不安になりやすい状況です。

家族が増えればその子の将来まで
不安の種が増えるのかもしれません。

里帰り出産もできない事情もあるようです。

なんとか、産後1ヶ月は
母親がなんの心配もなく暮らせるような仕組みが欲しい。
特に少子化の時代、
子どもはみんなで育てたいものです。


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