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子育ては母親がするものという前提こそ、最初に克服されなければならないジェンダーバイアスでしょう。サルじゃないのだから人間らしくしよう! [家事]



不合理なジェンダーバイアスは是正されるべきです。
例えばあなたは女性だからこうしなければいけないという主張があるとします。
それを本人に押し付けることは、人間の人格を侵害することに
つながりかねません。
もっと人間はのびのびと自分の幸せを目指して活動することが
是として評価されなければならないと思います。

身近な問題でも
女性だからスカートをはいて登校しなさいという校則がありますが、
特に東北などの寒冷な地域では
健康を害する深刻な問題になりかねません。
タイツの着用を禁止するところも多く、全く理解ができません。
長野県に出張に行ったとき、
制服のズボンを着用している女子高生たちを見て
素晴らしいと感心したことがあります。

司法の場にもジェンダーバイアスがかかった処理がされる
ということがあるように思われます。
最も極端で明確なジェンダーバイアスは
家庭裁判所の事件です。
子どもは母親が育てるものという
極端なジェンダーバイアスがあるように思います。

ジェンダーとは、
性的な偏りとか
社会的、文化的な性的役割ということですから
子どもは母親が育てるものというのは、
まさに社会的文化的に女性に押し付けられているものですから
ジェンダーバイアスだということになるわけです。

このような考えは裁判所の審判の内容も左右させますが、
そもそも社会的な偏見があることで
母親を苦しめています。

離婚をした芸能人が子どもを父親に預けると
全く関係の無い人たちが非難をしているのを見ることがあるでしょう。

精神的に限界で
治療や休養が必要だから一人になりたいと思っても
子どもを引き取らないで生きていると
気ままだ、わがままだ、冷酷だと批判がなされるので、
なかなか必要な治療や休養を得ることができません。

離婚をしても子どもを元夫と分担して育てようとしても
離婚したのだから子どもを一人で育てるべきだという
声なき声に圧迫されてしまうわけです。

これでは、せっかく離婚をしても
女性だけが一日の相当時間を子育てに取られてしまい、
フルタイムの就労ができず
それなりの収入を得るということができません。

いくら男女平等の職場があっても
それを活かすことができません。

金さえあれば子どもを育てられるということも幻想ですし、
離婚すれば金が入るということも幻想です。
離婚すれば夫の収入が上がるという事情はありません。
扶養手当が入らなくなり、収入が減ることが多いのです。

離婚は離婚
でも子どもはお金も時間も分担して育てるべきだという主張こそ
ジェンダーバイアスを克服した主張だということになるはずです。

ここで、ジェンダーバイアスの例外を述べなければならないようです。

先ほど社会的文化的役割ということを言いましたが、
そうでない性的役割もあります
自然的性的役割とでもいうのでしょうか。
明らかなことは、出産は女性しかできないということです。

これはジェンダーではないということになりましょう。

授乳については議論のあるところですが
これもジェンダーではないとしておきましょう。
但し、ある程度の月齢がいけば
粉ミルクなどで十分栄養が摂れますので
厳密な意味では自然的な役割とは言えなくなる時期があると思います。

したがって、2歳くらいからは
子育ては母親がするものだということは
ジェンダーバイアスがかかった見方だということになるでしょう。

これに対して
子育ては、自然環境でも母親がするもので
熊やサルも母親が子育てをするではないかと
素朴な意見がみられます。
この意見は残念ながら物を知らないがための意見です。
ジェンダーバイアスを正当化しようとするときに出てくる典型的な意見ですが
科学的には間違いです。

父親が子育てをしないで母親が子育てをするのは
人間ではないからです。
熊やサルだからです。

熊をはじめとして群れをつくらない動物は
そもそも個体間の共同行動ということはありません。
常に成体は単独行動です。
子離れするまでは母と子の共同生活がありますが
それは例外的な時期だということになります。

サルも群れを成しますが
子育てをするのは母親だけです。
食べ物を分け与えるのも母ザルだけです。
ですからそれらの動物の子どもは母親にしかなつきません。
人間はそうではありません。

これは人間独特の習性です。
(但し、多少とも母親以外の子育て参加者が存在する種もあります。)

大事なことは、サルと人間は決定的に違うということです。
特に子育てに関しては
サルはこうだから人間もということは
成り立ちません。
何せ人間とサルは700万年前から別の動物です。
「自分の仲間」についての意識はまるっきり違うのです。

人間の場合は、乳離れさえできれば
主として父親が子育てをすることは全くかまいません。

但し、
人間の場合は、むしろ
母親だけが子育てをするということや
父親だけが子育てをするという単独養育自体が
人間の性質に反した不自然なことです。

集団で子育てをするということが
700万年の歴史の中で培われてきた自然な様式なのです。

これは人間が二足歩行をした結果分娩の難易度が上がったこと
このため母体の回復が遅れたり、母体が死ぬことも少なくありませんでした。
脳の発達を選択したため頭蓋骨が大きくなってしまい、
分娩可能な大きさで出産してしまわなければならないために、
赤ん坊が極端に未熟な状態で生まれてくるため養育に手がかかること
攻撃力も闘争力もないため集団の力で生き抜かなければならなかったこと
という必要に迫られた生活様式で
それに合わせて頭脳も発達しました。
サルとは違うのです。

人間はこうやって700万年生きてきたわけですから
単独養育ということは
養育者も子どもも不自然を強いられることで
心理的、肉体的に負担を感じるようになるということは
無理のないことです。
つまり人間らしくない形ということです。

「子育ては母親が行うもの」という概念は
だから、自然的な性的役割ではありません。
また、社会的文化的な役割というものでもありません。
あくまでも、特殊思想の産物です。

社会的、文化的にも、自然的にだって
少なくとも両親が育てるものということが
自然な役割分担です。
(本来はもっと多くの共同生活者が育てたのですが
現代の孤立婚では無理な話です)

それにも関わらず、
表面的に女性の権利を声高に叫ぶ人に限って
色々理屈をつけますが、結局は、
子育ては母親がするものだという考えが貫かれているわけです。
子育ては母親の自己実現だから母親が子育てをするべきだ
というところに本音がありますから
ジェンダーバイアスに女性を縛り付けているのではないかと
私は感じます。

この主張によって、子育てが困難な事情のある母親は
自分が責められている気持ちにさせられます。
その結果、女性なのだから無理してでも子どもを育てなければ
人間として失格だと思わされているわけです。

ジェンダーバイアスをなくそうと主張するなら
「子育てを父親にも分担させろ」という主張にならないと
整合しないと思います。
これこそ、人間の自然な性質に合致した人間らしい主張だと思います。
苦労するのはお金だけの問題ではないのです。
養育費だけ払えというのは
子育てを知らない人の妄言だと思います。

この妄言によって踊らされた母親たちが
離婚後の生活の苦しさをあちらこちらに訴えますが
離婚はあなたが決めたことだと冷たく突き放されているわけです。
この苦労とは、人間らしい生き方をやめたところからきていますから、
初めから当然苦しいわけです。

子育ての金と時間を分担しろという主張は、
離婚しなくても離婚しても一緒のはずです。
協同養育こそジェンダーバイアスから解放された
子育ての形態についての主張であるはずです。
どこも間違っていないと思うのですがいかがでしょうか。



余談ですが、DVは、男性が女性にするものという
これまたジェンダーバイアスに縛られた発想です。
統計的にも全く根拠はありません。

人が傷つくのは暴力で身体的に傷つくことがメインだという発想が
大前提になっているようにも感じられます。
また、男性は自力で回復することができるが
女性は、男性に依存するものだから自力では解決することができないという
女性蔑視が根幹にあるように感じることが多くあります。
蔑視していると感じるのは
そう主張している人たちが、自分は男性に依存していないということを
やたら強調しているところからもそう感じるわけです。
ジェンダーバイアス以上の偏りを感じるのは私だけでしょうか。

個の独立を主張する戦闘的な思想は
人間らしく協調して生きていく思想によって
遅かれ早かれ克服されていくでしょう。

なぜならば人間はサルではないからです。

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ピーマンパパ

こんにちは。例の感染症でいろいろ停滞し、ニュースばかり見ています。

最近、家族をボウガンで殺傷したという痛ましい事件がありました。ネットで中傷され、自殺してしまった女子レスラーもいました。当事者の人間の生い立ちがとても気になりました。
この手の事件で、離婚などの事情で父親が出てこない事がしばしばあります。シングルマザーだって(頑張れば)立派に子供を育てられる。それは子の見た目や学歴など、ある面だけみればそうなのでしょう。
だけど父親が居ない、というだけでポッカリ空いた穴を「無かったことに」されるだけで相当に当事者は傷ついて生きなくてはいけない。
父親が「頑張っても」子供は産めません。同様に母親が「頑張っても」埋められないものがあるはず。
母親がいれば子育ては大丈夫、というのはなんの根拠もありません。傍目に大丈夫に見えても、子供が心の底でどういう苦しみを抱えているのか、考えてほしいものです。

by ピーマンパパ (2020-06-07 06:45) 

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