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自死リスクとは何か 自死のトリガーとの関係 自殺の直前に亡くなられた方の意に添わないふるまいをしたからと言って、それが自殺の原因だとはならないという意味  自死予防で本当に必要なこと [自死(自殺)・不明死、葛藤]


自死に関する報道で気になるのは、自死の直前にあったストレスを起こす出来事が自死の原因だという間違いです(直前出来事重視型とでも言いましょう)。
何かストレスフルな出来事があれば,それを原因として自死を決意し、自死が起こるという考え方です。

具体的に事例を作って考えてみましょう

Aさんは、①仕事上の不注意で注文を受けていた商品をメーカーから仕入れるのを忘れて、取引先に届けることができませんでした。②上司のBさんから、「不注意をするのは心掛けが悪い。」等と言われました。③Aさんは、自分のミスについてなのかBさんの発言についてなのかはわかりませんが、ひどく落ち込んでいたようでした。④その日の夜Aさんは自死しました。Bさんからの注意の後は、何事もなく帰宅して、帰宅後もストレスを発生させる出来事はありませんでした。
こういう事例があったとします。

例の直前出来事重視型の場合は、自死の直前にあったストレスフルの出来事は、Bさんによる注意であるから、自死の決定的原因はBさんだと考えます。そして、「Bの叱責によってAが自死か」等の見出しが出るわけです。

そして、BさんのAさんに対する注意が人が自死するほど強烈だったのか、注意の程度、文言、その他の様子を何も知らないのに、自死があった以上Bさんからのストレスが過大だったということを想像で補い決めつけるわけです。結果責任みたいな思考になってしまっています。
Aさんの方が身近な存在であり、Bさんの方は顔の見えない存在である場合は、その傾向が強くなるのは致し方が無いことです。

そうでなくとも人間は、目に見えた被害を受けた人間の方に肩入れをしてしまう性格もあります。これが発展すると被害を受けたと主張する人間の方を持ってしまうということが「善良」な人間のようです。

これに対して通常の自死を予防するという観点からの自死の原因論を考える場合は、自死予防の考えは、「Bの発言が自死の原因になったとは断定できない。その可能性もあるがもっと何か別の理由も検討しなくてはならない。」と考え、BさんとAさんの関係や、Aさんの職場の立ち位置、Aさんの性格、生い立ち、財政状態などの検討を始めるでしょう。注意を受けた日以前のAさんの様子などを調べることになります。また、職場以外の人間関係についても調べなくてはなりません。そもそも、Aさんの注意の方法について、できるだけリアルに再現しようして聴取を行い、慎重に検討するということになります。

直前出来事重視型というのは、感情的な考え方で、論理的な説得力のない無責任な考え方であることがはっきりわかります。もしどんな注意かも知らないでBさんの注意が原因で自死が起きたと結論付けるならば、自死の予防策としては「上司は部下に注意しないこと」という頓珍漢な結論しか出てこないでしょう。

しかし、自死についての人のうわさとかワイドショーの報道などは、大体がこの直前出来事重視型です。新聞報道も、被害者の訴えという断り書きは付きますが、読み手からするとそのように受け止めてしまう表現で報道がなされる場合が目につきます。その人の自死の原因は、その人にもわからないことも多いのです。本人の日常に何のかかわりもない人が、自分なりに事実を把握して、自分なりに心情を把握したとしても、原因にはたどり着かないでしょう。ましてや信用性の検証もできないネット情報などを基に考えても、真実からは遠ざかる一方だと思います。

直前出来事重視型の報道が繰り返される理由は、加害者と被害者というわかりやすい対立構造を作るために自死者に「寄り添い」やすく、加害者とされるターゲットを攻撃することで、自死が起きたときに起きる第三者の不安感情を解消することができるという、第三者の感情にアッピールしやすいからなのかもしれません。

直前出来事重視型の自死の把握は、「自死に至る構造」を全く考えていないという批判も可能でしょう。直前出来事重視型の場合、いじめやパワハラが原因となる自死は、「いじめられたから自死した。」と短絡的に漠然と考えて、それ以上考えることはしないのだと思います。
・ なぜいじめられると死のうと考えるのか。
・ なぜいじめられたからと言って死ぬことが怖くなくなって死ぬことができるようになるのか。
・ なぜいじめられて死ぬ人と死なない人がいるのか。
・ 自死をするようないじめとはどのようないじめか。そもそもいじめとは何か。
・ 自死をするのは、ストレス耐性が低いのか。
等々、自死を予防するために大切な情報がすべて省略されてしまっているのです。もっとも、このようなことについて必ずしもすべての人が考える必要が無いのですが、自死予防を考える人は考える必要があると思います。こういうことを考えない人は自死予防に参加するべきではないとも考えるのです。頓珍漢な予防方法に時間と予算と人手が取られてしまうということは深刻な弊害です。まじめに自死を予防しようとする人たちは、ここは自分の居場所ではないと立ち去っていくことも深刻な弊害です。

直前出来事重視型ではない考え方が必要となるわけです。

「自死リスク先行型」とでもいうような考え方が有効だと思います。
「自死が起こるときは精神的な変容がすでに起きていて自死をする危険がかなり高まっているために、通常であれば大きな精神的な影響が出ないようなありふれた出来事であっても、過剰に反応して自死を決行してしまう。」
という考え方です。

この通常であれば大きな精神的影響がないありふれた出来事のはずなのに自死の引き金になるような出来事を「トリガー」と呼んでいます。簡単に言うとトリガーによって自死が起きてしまうような精神状態が、「自死リスクが高い状態」です。

但し、例外的にトリガーが存在しないのに自死が起きる場合の類型があります。典型的には、統合失調症や妄想を伴う重篤なうつ病の場合です。本人以外の人間が認識できるトリガーが存在しない、つまり客観的には出来事は存在しないのですが、本人の頭の中で何らかのトリガーが発生してしまう場合があるのだと思います。

また、トリガーはストレスフルな出来事とは限らず、事態が改善するような兆しや苦しみに一息入るようなほっとする出来事もトリガーになることもあるようです。苦しみのどん底にいるときよりも、少し状態が良くなったときに自死が起こりやすいということは自死予防の文脈では古くから言われていることです。

実際にも、パワハラの会社で数か月苦しみ続けてようやく退職を決意した直後の自死、うつ病で子どもの相手もできなかった母親が子どもと楽しく遊んで家族がほっこりした直後の自死等、良い事情のはずがトリガーになった可能性のあるケースは見られるところです。

自死予防を徹底するためには、一度自死リスクが高まったら、自死リスクが解消されるまでは、悪いことでも良いことでも何か動きがあった場合は注意をし続けなければならないということが結論になると思います。

何がトリガーだったのかということについて議論しても意味がないことがわかると思います。すでに自死リスクが高まっている場合、どんなものでもトリガーになりうるということです。自分の失敗もトリガーになるし、上司からの注意もトリガーになる。または、お小遣いを要求して断られること、友人から遊びに行く約束をすっぽかされたこともトリガーになりうるわけです。人間が他者とかかわって生きていく以上、そのトリガーになりそうなすべての出来事を無くしてしまうということは不可能です。また、楽しい出来事、明るい出来事もトリガーになりうるのですから、これをすべて無くしては生きる意味がなくなるような気もします。(これらをすべて無くする精神状態が、重篤なうつ病の状態なのでしょう。)

直前出来事重視型の場合は、自死の直前に何があったのかということを夢中で探り出そうとする傾向がありますが、それは誰かを攻撃し、自死の全責任を負わせようとすることにしかならず、意味のあることではありません。また、例えば亡くなられた方のご遺族が、亡くなる直前に亡くなられた方の意に添わないふるまいをしたからと言って、それが自死の原因とはならないということをぜひ理解していただきたいと思います。

自死リスク先行型から考える自死予防は、
第1段階 高度な自死リスクを作らないこと
第2段階 高度な自死リスクが存在することを見抜くこと
第3段階 高度な自死リスクを解消することです。

ということになるのですが、この3点は、私の不勉強というところもあるのだと思うのですが、解明が進んでいないように感じているのです。

現在ではそうでもないと言われているのですが、ひところは自死リスク=精神病、特にうつ病でした。うつ病予防とうつ病を見抜くことうつ病の治療が自死予防でした。これは20世紀の終わりころからの、主に北欧のうつ病対策による自死予防が功を奏したことを模範として行われていました。WHOも先導して自死対策としてうつ病の薬物治療を勧めていました。日本では国を挙げてこの対策に取り組みましたが、ほとんど効果が見られず、自死者が3万人台が長年継続したことは記憶に新しいと思います。

現在では自死者は安定して3万人を切る状態となりました。しかし、どうして自死者が減少したのかということについても、抽象的に「予防を頑張ったから」ということくらいしか言われておらず、次の自死が増えることを予防しているという実感を持てる人はいないでしょう。この間のコロナ禍で、どうしてコロナ患者が減ったかについて原因がわからなかったため、次の増加を防ぐことができなかったということを私たちは何度も学びましたが、全く同じことです。自死者が減った理由がわからなければ、またすぐに増える可能性もあるということも学ぶべきです。そして恐れるべきです。その上で対策を講じておくべきだと思います。

現在の自死予防についての世界的研究段階は、「うつ病患者の大部分は自死をするわけではない」という考えに基づいて、うつ病以外の自死のリスクが起きる場合について考え始める研究が少しずつ浸透してきています。しかし、まだ十分ではないという状態です。特に日本ではかなり遅れを取っています。

まず、自死リスクを形成し、自死リスクを高める要因の検討を始めるべきです。
自死リスクを高める要因こそが、まさに複合的であることが多いようです。

ただ、ここで注意するべき内容は、「複合的」という言葉の意味です。これは日本の自殺統計が警察の調査を基に研究が進められている影響があるためか、自死の原因が「複数の人間関係でのトラブル」がある場合に自死が起きるというふうに間違って考えられることが多くあります。

複数の原因とは、先ほどの会社の例でいえば、Aさんは、転勤があったため馴れない土地で一人暮らしをしていたため、自分が仲間の中で安心して暮らすということができない状態だった。それまでの人生では目立った存在ではなかったけれど、いつも友人たちの輪の中にいた。それはAさんが友達から見放されないように自分を殺していつも必死で努力していたことによるものだった。Aさんは、自分が自然にふるまったら独りぼっちになるという恐怖を幼い時から感じて努力し続けてきた。その友人たちも就職してバラバラになっていた。自分には味方がいないと思うようになっていた。転任先の人のノリもAさんの出身地と違っていて、親愛の情を示すからかいもAさんにとっては初めてのことで怖いと感じていた。地元の業者に対する取引をするにもコミュニケーションがうまく取れず、相手の思っていることを理解することができないため、取引も前任地ほどうまくいかなくなっていた。会社から期待されて転勤したのに、同僚や上司も期待外れだと思っているように思えてきた。睡眠不足も深刻となっていたことが原因で、記憶力が減退し、自分がやったと思っていたことがやっていないことが起きていた。また、いつもならばメーカーの営業所に在庫がある商品なのに、たまたまその時はよそに大きなプロジェクトがあって偶然在庫切れだったことが、大きなショックだった。うつ状態が発生していて被害妄想も生じていたために、それらすべてが自分を排除するために仕組まれたことだと考えるようになっていた。このまま会社にいたら苦しみ続けるだけだと考えるようになり、苦しみ続けない方法として死ぬことを考え出し始めた。

こんな簡単に人は死ないでしょうが、例えばこのくらいの事情があることの方が多いわけです。「注意されたから死ぬ」という直前出来事重視型がいかにばかばかしい話なのかの説明として架空の事案を作り出してみました。

複数の人間関係でトラブルが起きる場合もありますが、いじめやパワハラのように、単一の人間関係が原因で自死が起きる場合も多くあります。「複数の人間関係でトラブルが起きて自死に至る」というドグマは、実際は存在しない家族との間にもトラブルがあったはずだ。あるいはトラブルとは言えないとしても、「家族に無理解があり、家族が防ぐことができたのにそれをしなかったから自死が起きたのだ」という決めつけに結び付きます。このようなケースが横行しています。例えば若いお母さんがうつ病とうつ性妄想によって自死されたケースでは、「夫のDVがあったからだ」といううわさが夫の職場であったことに驚いたことがあります。その後夫は退職を余儀なくされました。奥さんの残したメモからはそんな事実は全く感じられませんでした。

家族を失って苦しんでいる人に対して、具体的事実もないのにその原因は家族にもあるということを言うわけですから、大きな問題だと思います。

ここで、高度な自死リスクというのがどのような心理状態なのか、現在言われていることについて説明を試みます。

「些細なきっかけでも自死を決行してしまう心理状態」だということが定義です。これをもう少し具体的に説明してみます。

自分が大切だと思う「仲間」の中で自分が仲間として尊重されておらず(孤立)
将来に向けてもこの孤立は解消することが不可能だと考えている(絶望・悲観傾向)
この結果、生きていくことは、苦しみ続けることだと考えている(絶望)
一瞬でも早くこの苦しみから逃れたいと感じている(焦燥)
このまま苦しみ続けるか死ぬかということを考え出している
(二者択一的思考、悲観的思考、被害的思考)
死ぬことに、暖かく明るいイメージを持つようになる(希死念慮)
自分は死ななくてはいけないという信念のようなものを持つ(希死念慮)
どのように死ぬべきかという死ぬ手段を具体的に調べている

様々な出来事を、自分を否定している事情ととらえ(被害的思考・過覚醒)
ますます孤立感、絶望感、解決不可能感が深まるきっかけになってしまう。

こういう状態がこれまで調査した結果、自死リスクが高まっている状態です。

外形的に言えば
衝動的な行動
暴力的な行動
自分を抑制することができない状態
それらの行動の原因が理解できない。説明できない。
それらが広い意味での自分を否定する方向に向けられる
(広い意味での自分とは、自分の体はもちろん、自分の持ち物、自分を含めた自分たち、あるいは自分の記憶などに対する否定的、破壊的、暴力的な行動ということです。)
こういうように整理できると思います。

リストカットなどの自傷行為や過度の飲酒、ドラッグ服用、あるいは高度の摂食障害などはそれ自体は自死を目的とした行為ではない場合が多いのですが、本人も自分の体をむしばむ行為であることを本人は理解しています。自分を大切にしないという行動を行っていることを自覚していることになります。自分の価値、人間の価値を否定する考え方になじんでいき、命を重要視できなくなり、自死リスクが高まるという関係にあると思います。

では、このような高度の自死リスクが形成される原因は何でしょう。

これは大変難しい問題ですが、単純に考えてはいけない、決めつけてはいけないということは間違いのないところです。

ここでは、
本人の対人関係的な位置の変動ないしおかれている位置という対人関係的問題と
本人の心理状態、精神状態
という2つの側面から考えなければなりません。

対人関係とは、家族、学校、職場、ボランティアやサークルなど継続的人間関係に着目するべきですが、さらに貧困や障害、差別と言った社会的立場というものも考慮に入れるべきです。但し、人間関係の喪失による孤立の感じ方は年齢によって異なり、高齢者になればこれまで築いてきた立場の喪失が大きなポイントとなり、若年者については今後の将来に対する絶望がポイントとなるという違いがありそうです。

心理、精神的傾向というのは、端的に精神病や先天的な脳の問題という病的な問題もありますが、物の見方感じ方という意味では、性格や生い立ちなどのこれまでの経験によって形成された思考傾向なども問題になりそうです。現在の対人関係的なトラブルについての感じ方に影響を与える諸事情が大切です。それを超えて対人関係的に影響を与えないけれど脳内で自働的に悲観的傾向が生まれる事情なども考慮しなければなりません。

この意味でうつ病などの精神疾患が、自死リスクを高める一要因となるという表現は可能だと思います。重篤なうつ病の場合は、実際に対人関係的な問題が無くても、病気の症状としてあるように感じてしまい自死リスクが高まるということもありそうです。

自死リスクで注意を要する点が2点あります。
一つは、人は自死リスクの高まりを隠すということです。
もう一つは、特に若年層は、自死リスクが継続しているのに、その場その場では普通の快活な生活態度を示すということです。

「うつ病者はうつを隠そうとする。」ということはあまりにも有名な話です。私は、責任感優位型の人間が不可能な責任感を果たそうとする行動であると感じています。周囲に気を遣わせないようにする、心配させないようにするという行動は、その人の性格上自然体で行ってしまうようです。また、自分が帰属する「最後の砦・人間関係が家族だ」だと考える場合は、自分がうつということで家族から特別扱いされるということを恐れるということも何人かから聞きました。仲間にはふつうに仲間として接してほしいもののようです。

もう一つは、自死リスクを隠そうとしているわけではないのですが、気分が変わりやすい状態になっていて、ひどく落ち込んでいて今にも自死企図を行いかねない状態にあったのに、時間を置くと日常的に変わらない快活な行動を取ったりする場合です。これは、必ずしも病気ではなく、思春期以前にはよく見られる現象だそうです。自死企図のような行為をしたのに、部活動は熱心に取り組んでいたり友達の輪の中で談笑したりするということはありうることです。快活な様子を見てしまうと、自死リスクが解消されているのかもしれないという錯覚を抱いてしまいます。そして、あんなに快活に行動していた生徒がどうして自死したのか、自死ではなくて事故なのではないかと感じてしまうようです。

特に若年者は、深刻な自死リスクを示す事情があれば、それが解消されない限り、快活な様子を見せても、深刻な自死リスクは継続していると考えなければならないということが切実な教訓です。感情が動きやすいということは、快活になりやすいことと同じように深刻な状態に戻りやすいということなのです。

自死リスクでもう二つ注意するべき点があるとしたら、自死リスクはひとたびはっきりと示されれば時間的経過で自然解消しにくいということと、放っておけば大きくなっていくということでしょうか。
自死リスクが生じてしまうと、自分が体験することが自分が攻撃されているという被害的意識でものを見るようになり、あらゆる出来事が自分の絶望回避が不可能であることを示していると感じられるようになっていきます。それを解消しようと不合理な行動に出ることがあり、それによってますます自分の立場が悪くなり、絶望が深まっていくという危険があります。

ひとたび深刻な自死リスクが生じてしまうと、それが解消されなければ些細な出来事をトリガーとして自死が起きてしまう可能性が高くなります。
誰がどうやって自死リスクの発生に気が付くかという研究が一つ。
誰がどうやって自死リスクを解消できるのか。医師がどこまで関与できて、家族の果たす役割は何か。
誰がどうやって自死リスクが解消されたと判断するのか。

自死予防の政策は、まだ始まったばかりということは、両方の意味で言いすぎでしょうか。

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