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第10回 家族とともに楽しく暮らすことこそ生きる意味であり、幸せであり、家族に対する最大の貢献は一緒にいる安心感という考えはいかがですか コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント10 [家事]



家族は,
毎日一緒にいる存在なので、
酸素みたいなものでとても大事なものですが、
自分にとって大事な存在であることになかなか気が付くことがありません。

交通事故や労災で家族を亡くすとか、
気が付かないうちに家族仲が悪くなっていて自分一人が取り残されて、
初めて家族が自分にとって大きな存在であることに気が付くもののようです。

ただ、だからと言って
あとで困ることの無いように防衛対策的に家族に接するというのは、
いかにも後ろ向きの考えです。

そうではなくて、家族と一緒に楽しんだり、喜んだり、
心配したり、悲しんだりすることに、
喜びを感じることが人間らしい生き方、
つまり幸せなのではないかということを提案したいのです。

私の言う家族というのは、
典型的には夫婦を中核として子どもがいてというものですが、
それには限りません。
家族の形は様々でよいと思います。
血縁の無い家族、あるいは一緒に住んでいない家族、仲たがいして離れている家族、
人によってはバンド仲間みたいな関係が家族だったりするわけです。

人間という生物が誕生したころはもともと
少人数の狭い人間関係だけで生きてきたのですが、
産業が発達して気の遠くなる多くの人とかかわって生きるようになってしまいました。

家族の存在が唯一絶対的なものだと感じにくくなってしまった原因もここにあると考えています。
人間がいさかいを起こす根本原因もここにあると考えています。

もしほとんどの時間を家族だけで過ごすならば、
もっと人間関係をうまくやっていけるようにできていると思っています。
お互いの不安を受け止めて、
安心させて居心地の良い集団を作る能力を発揮できるはずなのです。

しかし、能力を超えた人間の人数と関わっているために、
うまく調整ができないというのが人間関係の紛争の本質だと思っています。

どうせ生まれてきたのならば、不幸にならないために生きるのではなく、
幸せになるために生きようじゃないか。
そういう思いです。

どうやら現代社会は、放っておけば家族は壊れされる危険があるようです。
しかし、ちょっとした当たり前に気が付くことで、人は幸せになれる。
そういう立場からこのシリーズを書いてみました。ご参考になれば幸いです。

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第9回 仲直りのサインを作るということ 降伏は幸福を生み出す コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント9 [家事]



私の勝手な感想ですが、
むしろ小さい喧嘩を繰り返していった方が、
夫婦としては熟成していくのではないかと思います。

離婚事件で、一方は同居時は喧嘩をしたことがないという主張をしても、
他方が「本当はこうしてほしかったのに、してくれなかった。」
みたいな主張が出されることがあり、
どちらかが我慢していただけだったなんてこともあるわけです。

じゃあ、そのときに言えよと思うわけですが、
なかなか心を言葉に置き換えられなかったり、
声に出すことが心理的にできなかったりと、
言えなかった事情というものもあるようです。

その都度話し合いで解決するのが理想です。

理性的な話し合いができなくても、
文句を言ったり、ヒステリーを起こしたりという場合は、
多くは、その人は相手に対して安心感というか愛情を持っている場合です。
言葉に出すことが肝心だと思います。

でも喧嘩をしてしまうと、
怒りという性質から、言わなくても良いことも言ってしまうわけですから、
必要以上に気まずくなるわけです。

人間の心理として、
先にごめんなさいとか、自分が悪かったということはなかなか言えない。
まだ、自分が怒った言い分を引きずっているということもあります。

解消方法が見つからないまま思いのほか引きずってしまう原因になることもあるわけです。

先ず、けんかの原因は、たいていはどうでも良いことです。
どうでもよいということを必死に考え抜きましょう。
すくなくとも、パートナーを悲しがらせるほどのことではないということに気が付きましょう。

そして仲直りしたいという気持ちを持つことが先決です。

そして、まずどちらかが、何かアクションをする。
例えばけんか前の話題を何事もなかったように話し出す。
例えば握手を求める。
例えばコーヒーを淹れる。
これ自体とても理性的な行為です。

次も肝心です。
その仲直りのサインが出されたら、必ずそれに応じる。
どんなに不満があっても応じるということです。
もうその話はどうでもよいと思っても話をあわす。
手がべとついていても握手に応じる。
コーヒーの気分ではないけれどとりあえず淹れてもらう。

これができるようになれば、人生は豊かになることでしょう。

但し、けんかの場合であって、一方的な暴力や脅迫の場合はまた別の問題ですよ。


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第8回 なぜ母親は子どもの失敗を責めるのか それは愛情の形の場合もあるということ コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント8 [家事]


母親には限らないのですが、
仲間が失敗すると慰めないで怒る人がいます。
言われた方は面白くないです。
こいつは自分を嫌いなのかと思うのも当然です。
中には、人格に問題がある人もいて、
そういう人には近づかないに越したことはないのですが、
家族はそうはいきません。

しかし、家族の場合は、
必ずしも嫌ってそういう態度をしているのではないことが多いようです。
その人を大事に思っているから怒るということです。

つまり、その人は、
①わが子と自分の区別がつかない。
②本人が失敗した場合は、へこむよりも悔しがるという傾向がある。

この①と②を足すと、
「子どもが失敗したことなのに自分が失敗したという感情になり、悔しがっている」
ということが失敗を怒るということです。

言った方は攻撃的な感情はないのですが、
言われた方は言葉を文字通りに受け止めて、
失敗したことで叱られていると感じるわけです。
そうすると自分は大切に思われていないと感じてしまいます。

夫婦の関係でもこういうことが起こるようです。
例えば妻が出張で宿泊先をネット予約するなんてことがあって、
最初のサイトで予約してしまった。
しかし、別のサイトでは同じホテルがもっと安く泊まって
お土産までもらえるなんてことがあると、
自分がうっかりそうしたかのように悔しがって、
「考えなしだ」とかガミガミ言う人がいると思います。

出張費なんて経費ですからどうでもよい上に、
いらないお土産なんてない方がましなのですが、
自分が損をしたような気持ちになってしまうわけです。
そしていつも自分が失敗したときに自分で自分を責めているように妻を責めてしまう。

わずかな合理性を気にして、
家族の快適さや安心感を壊してしまうという
頭の悪い行動ということになるでしょう。
そんな目先の2千円くらいのことで、
キャンセルしろと迫って嫌な気持ちにさせるわけです。

穏やかにキャンセルを提案されれば、
そりゃそうかもしれないとやり直すのですが、
もうムキになって責めるものですから、
命令されるくらいならばそんなはした金いらない
とこちらもムキになってしまうわけです。

そのやりとりを見ている子どもは不安になるという負の連鎖が起きています。
経済損失は計り知れません。

常に最大の価値を「家族でいることの安心感」
に置いて、何をするべきか考えて行動するべきですよね。


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第7回 変化による家族の不安を受け止めることが家族。大人も刻々と変化する。コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント7 [家事]



子どもの体が年齢とともに大きくなることは誰でもわかります。
体と同時に心というか、ものの見方考え方も発達していくということが
研究されるようになったのは、ここ50年くらいです。

大人も年齢が重なるとともに、
体が老いていくということは誰でも見てわかることですが、
心も変化していくことはまだあまり知られていません。

この心の変化は、必ずしも老いるという単純なものではありませんし、
老いるということも否定的なことばかりではありません。
ただ、人間のものの見方考え方は、
結婚した時からもだいぶ変化するということは見過ごされがちです。

女性の場合は、
出産によって不安になりやすくなることが多かれ少なかれあるそうです。
30代以降の内科疾患、婦人科疾患自体が、
理由のない不安や焦燥感を抑えられなくなる原因にもなるし、
薬の副作用でうつ的傾向になることもあるそうです。

後ろ向きの発言が多くなることや、やたら攻撃的になることも、
多くは本人の元々あった人格ではなく、
心の変化のため、本人にはどうしようも制御できないということが多くあるようです。
その他に仕事や人間関係のストレス等、
自分を守ることで精いっぱいの心理状態になるあるいはうつになるという事情は、
年齢とともに増えていくようです。

考えてみてください。
私たちは家族が風邪をひいて熱を出せば
体温計を持ってくるとか、熱が下がるよう手当をするわけです。
足を捻挫すれば歩くのを手伝ったり変わって何かをとってあげたりするわけです。
不安や不安に伴うヒステリーのときだけ助けないのは考えてみれば不合理です。

それでも相手の不可思議な不安を見ると自分が責められているように感じますから、
反射的に自分を守ろうとしてしまい、考える前に反撃をしてしまいますよね。
それが益々、不安を増大させてしまいます。
悪循環です。

不安やヒステリーは、
信頼して、安心している人にしか見せないという特徴もあります。
この時「不安は理由がないから不安になるな。」
と結論だけ押し付けてもうまくゆきません。

理由のない不安の場合は、
せめて分離不安だけでも解消しようとすることが有効のようです。
少なくとも
私は、あなたのそばにいつもいるよ
というメッセージを出し続ける。

これが他の人ではできない家族の役割なのだと思います。

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第6回 無意識に子どもの取り合いを夫婦でしていませんか。コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント6 [家事]

それまで喧嘩一つしていなかった夫婦が、
子どもが生まれたとたん心に距離が生まれるということはよくあります。

今まで勘定に入れなかった自分たちの両親が
子どもが生まれたとたんにぐっと身近になってしまうという事情もあります。

こんな事情もあってか、
相手よりも自分の方が子どもから好かれたいという気持ちに
うっかりなってしまうことがよくあります。
そうなってしまうと、これまで「私たち」と言っていた言葉が
「あなたとわたし」に変わってしまうわけです。

子どもができたとたん距離ができる場合は、
優しさが不具合を起こしていることが多いです。
優しさは一番弱い者に向かう傾向があります。
赤ん坊を守ろうという意識が優しい人ほど強くなりすぎてしまいます。

赤ん坊をよりよく育てたいという意識が、
パートナーの行動を邪魔なものに見させているわけです。
もっと大切に、優しく扱ってほしいという気持ちになるようです。

相手に対する目に見えない要求度が高まってしまうのですが、
あまりムキになる必要のないところで力こぶを入れていることが多いようです。
これは子育てが終わるころになればよくわかることです。

どこからか仕入れてきた知識、
自分の両親だったり、インターネットだったりが絶対的に正しいと思い込んで、
それをしない相手に不信感を抱く、
子どものために相手を傷つけることのハードルが下がってしまうという現象がおきがちです。

「自分はもっとうまくやれる」、「自分だけが子どもの味方だ」
と錯覚してしまう。
これではいさかいが起こるのは当然のことかもしれません。
子どもが不幸になるだけです。

子育ては、本当は微妙な対立が付きまとっている難しい共同作業なのかもしれません。

一つの解決方法としては、
子育ては一方がメインになり、その人の考えで進めていくという方法です。
他方は、バックアップを主体的に行う。
提案はするとしても決定権はメインにゆだねる。
サブは、子どもをメイン親に懐かせようとメイン親を立てていく。
これを意識的に行う(双方がこれを意識して行動できれば言うことはないのでしょう)。

そうすると結果的には、
子どもから見れば両親が仲良く自分に愛情を注いでいるというように映るのです。
そういうことが理解できるようになるのも、
子育てが終わるころなのかもしれません。

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第5回 家族レジャーの勧め 方法。コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント5 [家事]



離婚事件ともなると、
家族がダメになっているかそうでもないかということが、裁判の対象になります。

家族でレジャーもしていてそこでの写真なんかを証拠で出すと、
子どもがいる裁判官であればそれがどんな大変なことかわかりますから、
全くダメになっていたわけではないのではないか
なんていう歯切れは悪いのですが、そういう判断になるケースが実際あります。

レジャーは大切です。 

私もそうですが、
テーマパークに行くとか、ハイキングに行くとか、
なかなかそういう計画を立てられないキャラの人間って多いのではないでしょうか。

しかし、家を出て、何かを一緒にすることによって、
向き合う関係から、同じ方向を見る関係へとの変化が期待できます。
家にこもりっきりでいると、相手のことばかりが見えてきてしまい、
余計なことを言うとか、逆に言葉が無くなるとか、
気まずい気持ちになりがちです。

自分たち以外の同じ方向をみていると、気持ちが楽になり、一緒に楽しめるようです。
調停で離婚を強硬に主張し続けた人も、
映画とかならいっしょに行けるといって、
子どもを交えて夫婦が一緒に行動をすることができるようになった事例がいくつかあります。

レジャーを計画する方法は案外簡単です。
他人の真似をすればよいのです。

「多くの人が楽しいと言うことは楽しい」
ということは真理だと感じています。

SNSなんかで、写真付きで楽しそうなレジャー風景の記事をみますが、
同年代の人の記事は参考になります。
あるいは、インターネットでグルメサイトを見ても良いわけです。

そして、「こういうところあるけれど行く?」と投げかければ、
「楽しそうだけど、日差しがきついところは苦しい。」
とかいう反応が来るわけです。
そうしたら屋内の施設を探せばよいというヒントになります。

断られても無駄にはなりません。

みんなが行くところに自分達も行くというだけで楽しいし、
楽しみ方はそれぞれということもあります。

実際は期待外れというところもあるでしょうけれど、
肝心なことは息抜きをすることです。
一緒に行動することで楽しいならそれでよいわけです。

そういう時は
「料理は期待外れだったけど、一緒にドライブできて楽しかった。」
と自然に言いましょう。
ますます一緒にいることが楽しくなります。

幸せってそういうことなんじゃないかなあと感じている今日この頃です。

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第4回 「男子厨房に入らず。」のもう一つの教え。頼んだことは最後までまかせるということ。コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント4 [家事]



「男子厨房に入らず」とは、
調理は(動物や魚の死骸を処理するから)女性にだけさせるという
封建制度の権化だとされていると思うのですが、
もっと大切な意味があると私は受け止めています。

確かに女性が調理をすることが昔は一般的だったのかもしれません。
電気の無い時代は調理には時間がかかりましたし、
その時間誰かが収入を得るための労働をしなければなりません。
国民の大多数は農業を営んで力仕事をしていましたから、
力仕事は男性、調理は女性という分業は筋肉量の違いから合理的だったと思います。
女性が調理を任されていたわけです。

それにもかかわらず、
男性が厨房に入って調理をしているところを見て、
あるいは調理終了後の片付けの状態を見て、あれやこれや口出しをしていたら、
調理している方はたまったものではありません。
「ああうるさい!」と言えればまだよいですが、
それも言えないならばどんどんストレスが溜まっていくことでしょう。

他人に何か用事をお願いしたら、
やり方を含めてその人にすべてを任せるべきです。
それが自分たちのためにやってくれた人に対する敬意の表し方なのだ
ということを教えている言葉なのだと思うのです。

だから、「男子厨房に入らず」という言葉とセットなのは、
「男子たるもの出された料理に文句を言わない。」ということなのだと思います。
ただ、「ごちそうさまでした」と感謝の言葉だけを言えば円満になるわけです。

せめて、「塩味が足りない。」と文句を言うよりも、
「もう少ししょっぱい方がもっとおいしくなるかもしれないね。」
と表現を工夫するくらいの配慮は必要だということなのでしょう。

それを小さな子どもが親にするように文句を言っていては、
大人の資格なしと日本の知恵は教えているのだと思うのです。

もしかすると、この言葉はもう一つのことを教えてくれていると思います。
それは、どうしても他人のすることには、
不十分な点ばかりが目についてしまうものが人間だということです。
また、それが正しいとは限りません。

自分の言っていることがひとりよがりではないか
という発想にはなかなか立てません。
良い結果を生まないかもしれないのに、ほぼ確実に相手を不愉快にさせます。
やはり、他人に任せたことは、あえて見ないこと、
感謝を先ず表明するということが最善なのでしょう。

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第3回 感謝の言葉という魔法 コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント3 [家事]

自働車教習に通っていたとき、教官から、
他人に迷惑をかける運転とは何かの説明を受けたことがあります。
自分の運転のために、他のドライバーがブレーキを踏んだり、
ハンドルを切ったり、クラクションを鳴らすなど
何らかの行為を余儀なくさせる運転のことだと教わりました。
私にはとても分かりやすく、感銘を覚えたことを記憶しています。

他人に何らかの行為をさせるということは、本当は重大なことです。
逆に自分や自分たちのために何かをしてくれるということは、
とてもありがたい話なのかもしれません。

小さい子どもなら別です。
親が何でもやってくれますから、
いちいち感謝するなんてことはなくてもOKです。
でも大人は違うわけです。
本来自分のことは自分でやらなければならないのですから
それをやってもらえば、自然と感謝する気持ちになるという方が、
考えれば当たり前なのかもしれません。

「ありがとう」という言葉を口に出すと、
自分の耳から改めて感謝の言葉を聞くことができます。
自分が、誰かに親切にされたということを、
改めて自分の声で自覚することができるわけです。

素通りするよりも、言葉を出すことによって、
改めて小さい幸せを感じるわけです。
これって得することだと思いませんか。
言葉って不思議な力があると思うのです。

相手だって、あなたが言葉を発することによって、
はっきりと感謝されているということを認識することができます。
何も言わないことと比べれば、相手も幸せになれるということはわかりやすいと思います。

感謝の言葉を言われなかったらどうでしょうか。
あなたが職場で嫌な上司や取引先に苦しみながらも給料日に家計にお金を入れたときに、
感謝の言葉もなければ、苦労が報われないとがっかりするということはないでしょうか。

同じように、あなたのことを一生懸命考えて、
あなたのためにやったことに対して、感謝もされず、
かえって些細なことでダメ出しばかりされたら、
報われない、
あなたのために何かすることは楽しいことではない、
ダメ出しを恐れてやらなければならないことになるわけです。
あなたと一緒にいることがどんどん苦痛になっていってしまいます。

わずか1秒くらいの言葉です。
これを習慣づけることで、
自分も幸せになるし、相手もあなたといることが楽しくなる。
出し惜しみしないで、どんどん感謝の魔法を使っていこうではないですか。

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第2回 結婚中に言ってはならないNGワード これを逆算して考えると・・・コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント2 [家事]


離婚事件を担当すると、
相手が離婚を決意するきっかけになった相手の言葉として
多くの事例で出てくる言葉があります。

それは、「離婚する。」「別れる。」「出ていけ。」という言葉です。

もちろん、言う方は、本気で言っているわけではなく、
一時の感情に任せて言っているわけです。
ただ、それまでの出来事が積もり積もって
そういう言葉を止めることができなかったという側面もあるわけです。
それはわかるのですが、
これらの言葉は、想定以上に相手の心が変化をしてしまうようです。

ショックを受けるというよりも、
「はい、終わりだね。」
という心の緊張を切ってしまうような効果という表現が適切なようです。

おそらく、夫婦なんてものは血のつながりはないわけですし、元々他人なので、
一緒にいることが楽しい夏の時代を過ぎてしまうと、
何かしら相手との関係に不安や疑心暗鬼を自然に抱いていくようです。
この不安はなかなか自覚することはできないようです。

しかし、潜在的に、二人の関係が終わってしまうことを怖がるところがあって、
常に微妙な緊張状態にある人が多いようです。
色々喧嘩をしても、離婚とかこれで終わりにはならないでいてほしい
という気持ちを持ち続けているようです。

それにもかかわらず、はっきりと言葉に出して関係終了と言われてしまうと、
緊張の糸が切れて、
もう悩み続けることはやめようという気持ちになるのではないでしょうか。
そんな感じがします。

一回糸が切れたら、再びやり直すことは大変難しくなるようです。

逆に考えると、
この無自覚な別離不安を解消することによって、
夫婦であることが心地よい関係になるのではないかと思います。
「一生そばにいるよ。」とか「ずうっと仲良くしようね。」
というメッセージを発信し続けることが相手を安心させることになるはずです。

はっきりそう言うことが難しいとしても、
別離の原因になるかもしれないと相手が不安に思っている、
相手の弱点、欠点、失敗について、
責めない、批判しない、笑わないで、
受容して、そこは自分が補っていくという態度を心がけることが、
別離不安を解消する具体的な方法だということです。

少なくとも頻繁なダメ出しはしないということが、
家族円満のコツということになるはずだと思います。
あとは、感謝と、こちらが間違ったときの謝罪をこまめにするということでしょうか。

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千字式第1回 性格の不一致、価値観の違いの本当の意味と、家族を安心させるという価値観 コロナ禍を活かした家族メンテナンスのヒント1 [家事]



離婚の一番多い理由は、性格の不一致、価値観の違いだと言われています。
でも、夫婦の性格や価値観が同じだということはあり得ません。
離婚をしたいもっと別な真実の理由があるはずです。

実務における「性格の不一致」を突き詰めてみると、
自分の行動が肯定されない(感謝されたり褒められたりしない。)。
自分の行動の足りないところだけはこまめに指摘してくる。
自分の弱点や失敗をフォローしてくれないで責める。
こういう状態が続いているということみたいです。

例えば風呂場を洗ったとしましょう。
中腰で力を入れて洗いますからかなり疲れます。
でも頑張ってだいぶきれいになったとします。
それでもねぎらいの言葉の一つも言われないで、
汚れが落ち切れていないところを指摘だけされれば頭にくるでしょう。

例えば色々下準備をして料理を作ったとしましょう。
おいしいねとかいう言葉はなく、
塩分がちょっと多いなどという否定的側面だけをコメントされれば
何だったんだあの苦労はという気になりますよね。

相手の人も間違ったことは言っていないのでしょう。
だから言われた方もなんとなく従うわけです。

しかし、だんだん何をやっても批判ばかりされ、
こちらの要求はことごとく跳ね返されてしまうと、
だんだん無力感が強くなってくるようです。

相手を見るだけで、
自分への批判が飛び出すのではないかと緊張が高まるようです。
そして、その緊張が緩むことが無ければ、
相手は自分を攻撃する存在だと無意識に受け止めてしまい、
一緒にいることが苦しくなります。

これが、「一緒の空気を吸いたくない」という気持ちに高まるわけです。

職場やSNSでも、問題点だけを指摘してくる人っていますよね。
それが家庭の中にいたら逃げ場がなくなります。
地獄になるわけです。

この対策は案外簡単です。
わざとらしくても構いません。感謝を言葉に出しましょう。
探し出してでもほめましょう。
馴れてしまうため、相手をほめようとしなければ良いところが見えなくなっているようです。
多少の異論があったとしても
「あなたの言う通りでお願いします。」という言葉を増やしていきましょう。
合理性や正義よりも、
家族が安心することに価値を置くという価値転換を意識しましょう。

あとはやるかやらないかだけの問題です。

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