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実は民法(債権法)の大改正が進行しています。 [民事・消費者]

あまり、世間では取り上げられていないようですが、
法務省で、民法の根本的な改正作業が行われています。

民法は、私人間の経済的、家族的関係を定める根本法ですから、
そのうちの経済的根本法が、大きく変わろうとしているわけです。
もっと、本来取り上げられるべきなのです。

しかし、民法が難しすぎて、
その改正となると、とりあげようとしても、
なかなか取り上げられないというのが実情のようです。

民法が難しいのは、
書いてあることが分かりにくいということもありますが、
書いてある通りの意味ではないというか、
判例によって、
書いてあっても、無いものとして扱われたり、
書いてなくても、書いてある以上のことが
書いてあるものとして扱われたり、
別の場面に転用されたりと、
法律の条文だけ読んでもわからないことが多いからです。

このため、民法を知っているというためには、
条文だけでなく、
判例や学説も知らなければならないことになるわけです。

(書いててややこしいのですから、
これをお読みの方、申し訳ありません。)

だとしたら、
判例が変えたところを条文も改正すればいいじゃないかと
その限りにおいては、そうかもしれません。
本来そうすべきだったのかもしれません。
なぜ、改正されなかったのか。

おそらく、裁判所や弁護士など実務家が、
民法をそういうものだと受け入れてしまっていたからかもしれません。

国民が理解しやすい民法という視点はよわかったようです。

では、今回の改正は歓迎されるものなのか。
これは、まだわからないということが本音でしょう。
判例と条文の食い違いを正すだけならよいのですが、
どうも、それだけではない大きな改正がなされそうなのです。

それから、現在の立法慣行からすれば、
確実に改正する手順を踏んでいるのに、
難しいからと言って、国民に宣伝活動をしていない、
というところも、注目していなければならないところだと思います。

現在改正作業は、法務大臣が招集する法制審議会
というところで、検討作業が進められているところです。
この審議会に、日弁連からも委員を出しています。
この日弁連選出委員をバックアップするチームを
日弁連の中に作って、毎月検討会を行っています。
このバックアップチームは、各地の弁護士も参加しています。
仙台からもチームに参加している人がいて、
この人を仙台でもチームを作ってバックアップしています。

この検討作業が、次から次と膨大な量を検討しなければならず、
自由な論議をしている暇が無いというのが実情です。
不思議なことに、そうやって時間が無い中検討していると、
だんだん提案者の思考パターンとなってきて、
提案者の案に賛成するようになってくるものなのです。
一種の洗脳に近いかもしれません。

そして、国民どころか、
なかなか、弁護士会の会員にも
改正作業の実態を報告することが難しい
という感想が実感なのです。

この改正は、ちょっと怖い。
という感想をどうしてももってしまいます。

どうせ難解な記事になったので、もうひとつ。
怖さの原因です。

これまでの民法(条文、判例、学説を含めて)は、
ドイツ法の影響を強く受けていて、
体系が整備されているというところに特徴があります。

太い幹があって、具体的な条文、判例が、
幹から伸びる枝葉となっています。
だから、しっかり体系を理解していれば、
多少枝葉の形が変わっても、
容易に理解することができ、応用が利く面があります。
私たちの世代までは、概ねこのような法律学を学んできました。

これに対して、現在の改正作業を実質的にリードしている学説は、
どちらかというと、英米法的発想で、
体系よりも、個別ケースの処理を重視しているようで、
裁判の思考手順から見ると、
疑問符が付くようです。
最近の学説の有力傾向らしいです。

昔、英米法というと条文が無く、
判例の集積が法律になるということでしたが、
現在は、条文はあります。
ただ、ドイツ法と違って、
がちっとした体系にこだわらないので、
条文としてはあるけれど、
判例の集積がそのまま条文となっているので、
やはり、ケースの積み重ねという特徴は
残っているのではないかと思われます。
判例に機敏に対応するべきだという
改正論者の意見も、
現代英米法的と言えば、そうなのかもしれません。

そうすると、裁判所、特に司法研修の担当部署は、
法的安定性、即ち、誰が裁判官でも結論が変わらないシステムを
重視するので(この理由づけはうまく言えていません)、
こうした英米法的発想、思考パターンには、
抵抗を感じるようです。

アプローチの違いということかもしれませんが、
現代の多様化、複雑化した取引社会、人間関係からすると、
事例の集積的アプローチはキリが無いようにも
おもわれるのですが、どうなんでしょうか。

危惧とか、恐れとか、不安とか、そういうイメージ的なことを
多用するのは、
現在進められている民法改正が、
量が膨大すぎることとも原因として、
何が行われようとしているか全体像が見えない
というところにあるように思われます。

この問題、何ヶ月後かに、コメントが続けられるでしょうか。

競売開始決定後の個人再生、住宅資金特別条項 [民事・消費者]

個人再生手続ができて、しばらくたちます。
当初、めんどくさい手続きだなあと感じていましたが、
破産手続きも、法律が変わらないのに
裁判所の運用が面倒くさくなり、
個人再生も何件か経験したので、
それほど面倒という気持ちは無くなりました。
裁判所も結構親身にフォローしてくれるし。

個人再生の特徴は、
破産免責のように、すべての支払いを免除してもらうのではなく、
80%くらいを免除してもらい、
残りを3年くらいかけて支払うというものです。

住宅ローンは、原則すべて支払うことができるので、
破産のように住宅を手放すということからは免れるのです。

弁護士の債務整理と違うのは、
裁判所が間に入って、
3年かけて20%払わせるので、
80%は勘弁してくれと、
まあ、強制的に免除させることです。

個人再生手続きに入ると、
既に開始された競売手続きを停止することが
できるわけです。
このため、どうしても住宅を失いたくない人が、
競売手続きを中止するために、
個人再生を申し立てるということがあります。

住宅ローン以外の債務の支払いが
強制的に減額されるので、
その分住宅ローンの支払いに回るので、
支払いもしやすくなります。

支払いが圧縮されて、
これまで通りの支払いが可能となれば、
個人再生はうまく行くでしょう。

しかし、こう絵に描いたようにうまくいかないことも多いわけです。

競売開始決定は、
大体は、住宅ローンの支払いができなくなって、
6ヶ月くらいが経過して、
銀行や公庫から、
信用保証会社や債権回収会社に債権が移り、
その会社がある程度準備期間を設けて準備し、
其れからようやく始まるわけです。

月10万円の住宅ローンなら、
100万円くらいは遅れが出ていて、
これに、遅延損害金(計算が面倒)
競売費用50万円くらいが上積みされ、
それも、3年や5年で支払わなければ
ならなくなることが多いです。

個人再生で支払う20%の月々の支払いのほかに、
住宅ローンがあるわけですが、
この住宅ローンの金額が増えるわけです。

さらに、この住宅ローンの支払い方法で、
債権回収会社や信用保証会社と
同意することができればよいですが、
住宅支援機構の住宅ローンの場合、
競売開始手続きまでいった場合は、
なかなか債権回収会社等は、
支払い方法について同意してもらえないことが多いのです。
(私は相当やり合い、住宅支援機構の目的や
憲法25条まで持ち出して、
議論を吹っ掛けて、ようやく同意してもらいました。)

同意してもらえない場合に備えて、
(また、従来通りの支払い額では無理な場合に備えて)
法律は、強制的に住宅資金特別条項を
つくってしまう方法も用意しているのですが、
債務者の年齢の条件

(支払い終了時の年齢
それまで、25年ローンでよかったのに、
強制的にやるためには15年ローンにしなければならなくなり、
毎月の支払額が逆にとんでもなく増えてしまう。)

等厳しい条件があるうえ、
あまり穏当ではないので、裁判所も
合意型にしてほしい要望があり、
使えない条文になることが多いです。

なかなか難しい場合があります。

この支払い計画案でもめているときには、
すでに競売手続きは停止していますが、
計画案が裁判所に認可されないと、
再生手続き自体が終了してしまうので、
結局競売が再開されてしまいます。

それでは、どのように、計画案を認めてもらうか、
私のように債権者に無理を通す野蛮な弁護士でなければ、
債務者の方が無理をするということになります。
家族一丸となって、支払いにあたる。
一家の稼ぎ頭の給料のほとんどを支払いに充て、
家族の給料で生活する。
こんな、ぎりぎりの、数字だけはあっているみたいな
計画案を出すことが多いようです。

遅くともこの時点で、
弁護士は、問題提起するべきです。
そんなに住宅は大事なのかと、
法律相談で、住宅ローンの亡霊に
とりつかれたような人たちをよく見ます。
そんな住宅ローンを支払うために生まれてきたわけではないでしょう。

子供たちのために住宅を手放したくないという人が多いのですが、
クリスマスや誕生日もやらないで、
住宅ローンを支払い続けることが、
本当に子供たちのためになるか考えてもらうべきです。

無理な計画は、裁判所は認めません。
80%をカットしてもらう手前、
20%は確実に払えるといわなければなりません。

それでも通す場合は、
裁判所に対しても弁護士は議論を吹っ掛けるわけです。
それが依頼者のためになるなら、喜んで喧嘩しますが、
依頼者のためにならないのではないかという
無理な計画もずいぶんあるようです。

競売が止まらなければどうするか、
個人再生手続きがちゅうだんしたならどうするか、
そのことを現実的に、
話し合うことを、できるだけ早く問題提起しなければなりません。
本来ならば、個人再生手続き申し立て前に、
厳しい見通しも、問題提起しなければなりません。

個人再生手続きをしても、
競売が止まらない場合がありますと
きちんと説明するべきことが
第1の弁護士の役割となりますので、
ご理解のほどを。

自己破産に対するイメージが変わった?-「花」を絶叫したくなる時ー [民事・消費者]

今でも、自己破産をするということは、
経済的には立ち直りの手続きだとしても、
やはり、ご本人にとってイメージは悪く、
精神的にはダメージがあることは変わりがないようです。

でも、20年近く前と比べて、
他人から見たイメージは変わったようです。

昔は、世間の人たちからすると、
自己破産というのは、
クレジットの使い方がわからなくて、
ブランド物を買いまくって浪費したり、
ギャンブルや株にのめりこんで、
借金しまくって、その借金をギャンブルで返そうとした人
くらいのイメージで、
特別な人というとらえ方をされていたようです。

まあ、当時から、私が担当する方で、
浪費やギャンブルの人は少なかったので、
違うんだけどなあという気持ちはもっていました。
交通事故や病気、不意の解雇等、
ちょっとしたことで、いつもの収入では足りなくなり、
銀行でお金を貸してもらえないので、
当時40パーセント近い消費者金融でお金を借り、
利息の返済のためにまた借りて
ということが、典型で、
銀行がサラ金でなく、個人に貸してたら
自己破産する人は減るのになあ
と思っていました。

どうも、最近は、世間の様子が違ってきました。
自己破産が、道徳的問題の無い場合があることを
認められてきたように思います。

一つに、自己破産の件数が、爆発したことでしょう。
平成9年ころからだったと思います。
仙台本庁で、平成7年の年間の
自己破産の受付件数を、
平成9年の半年の受付件数が、
追いついてしまったので、驚いた記憶があります。

自己破産を申し立てると、
裁判所ごとに事件番号が付きます。
これは、1月1日から順番についていきますので、
自己破産を申し立てると、
何番目の受付なのかわかるのです。

そして、2年後だったか、
年間3千件の自己破産が申し立てられるようになり、
結構な高止まりが続いているはずです。

全国的にも同様な傾向だったと思います。
(すいません、なんか統計を入手したら、報告します。)
(まあ、気まぐれブログなので・・・^^;)

2つ目には、そのことと関連するのですが、
自分たちの生活も、他人事ではないということが、
社会的現象になっているのではないでしょうか。

最近の自己破産のケースは、
リストラや、低収入の仕事等のため、
銀行が貸しても支払い不能となるだろうという
そんなケースが増えているように思います。

いつ、自分の勤めている会社が倒産するか
ということで、
他人事ではないという人も増えているのではないでしょうか。

自己破産のイメージが変わるのは、
実は、社会的に深刻な状態になっていっている
ということのような気がしてなりません。

破産をするくらい多くのところから借り入れする人たちは、
次の支払日の2,3日前になると、
どうやって返せばよいかということ考えて、
眠れなくなるそうです。
そして、何とか、別のところから借りてきて、
支払い、次の支払いの2,3日前を迎えるのだそうです。

子供たちの寝顔を見ながら、
支払いのことを考え、
何を切り詰めるか考えるのだそうです。

サラ金から送られてくる取引明細には、
借りた日と金額、返した人金額が記載されています。
クリスマスであろうと、正月であろうと
誕生日であろうと、
借り入れや返済は行われています。

取引明細をこちらのパソコンに入力していると
(たいていは職員にやってもらっていますが、
時々初心に帰るために自分でやるのです。)
その人にもいろいろ事情があったにせよ、
胸が押しつぶされるような気持ちになるのです。
返済の息苦しさが少し伝わってきます。

それを、街中を歩いてふと思い出すと、
あの、喜納 昌吉さんの花という歌を
ふいに絶叫したくなるのです。

いろいろ事情があって借金しているのかもしれませんが、
借金するために生まれてきたのじゃないし、
返済を考える生活をするために生まれてきたわけじゃない。

うまくいうことはできませんが、
あの花という歌を叫びたくなるのです。

裁判所から、はがきで民事訴訟裁判送達書はきません。詐欺です。 [民事・消費者]

ターゲットはお年寄りなので、ここで書いたからどうだとも思うのですが。

昨日、とある公的な電話相談を担当したのですが、

裁判所からハガキがきたという相談が立て続けにありました。
よくよく聞くと、裁判所のような名称で、
あなたに不払いがある。ついては、訴訟を起こそうと思うのだけど、
電話をもらえば考える。
それには期限があり、21日までだと書いてある。

それを受け取ったお年寄りは、
なにかの間違いだとは思うのですが、
今日までに電話しろと書いてあるので、
電話してしまうのです。
非通知にしないで。

そうすると、後から、電話で催促されてしまうようです。
なんとなく、それくらいなら払ってすっきりしようと思って払うと、
「別団体」(名称だけ)から、同じような請求が来るようになります。

身に覚えのない請求書が来たら、
県や市の消費生活センター、最寄りの弁護士に確認してください。
ほとんどは、文面見て詐欺だとわかります。
先ず、金融業者や裁判所、法律事務所が、
ハガキで請求書をおくることはありません。
裁判なら、書留郵便で送達されます。
訴訟と裁判は同じことなので、続けて書くことはありません。
等等。

全く、いつまでたってもなくなりません。
この電話番号を通報する窓口を行政は設置してほしい。
ハガキをファックスで送ったら、即刻電話回線を差し押さえる
制度を作ってほしい。
一見して詐欺だとわかるのですから。

一人暮らしの、まじめなお年寄りを、
心配させる許せない連中です。

破産にまつわる誤解、選挙権は無くならない [民事・消費者]

破産というとイメージは悪いのです。それは健全な感覚でしょう。
しかし、中には、妙な誤解をする人もいます。
自己破産は、立ち直りのための制度なので、
ハンディキャップをつけないことが原則です。

先ず、破産をすると選挙権がなくなるということは嘘です。
破産をしても当選した国会議員もいるくらいです。
おそらく、戦前、選挙権がすべての国民になく、
一定の税金を納めていた人だけが持っていた時、
破産をして税金をおさめなくなったため、
選挙権を失ったということだと思います。

次に多いのは、
海外旅行に行けなくなる。
なぜ、そんなこと心配するのか
久しく海外旅行に行っていない私は思うのですが。
居住場所が制限されるということはあることがあります。
これは破産手続きが終わるまでです。
どこ行ったかわからなくなると破産手続きが終わらなくなります。
管財人として、本当に苦労したことがあります。
しかし、通常は、引越しをすることもありますし、
心配することではないと思います。

会社に知られるということも気にされます。
全くないかどうか断言はできませんが、
支払いをしないで、給料債権を差し押さえされるよりは、
会社に借金のあることを知られない確率が高いでしょう
むしろ破産した方が。
これまで、20年近くやっていますが、
破産を開始しため会社に知られたということは聞いていません。
裁判所などから知らせる手続きは行いません。

ローンを組めなくなる。
そりゃあそうですが、これは破産のせいではありません。
例えばお金を借りて返さないことにはなるのですから、
貸す人がいなくなるだけの話です。

銀行口座を使えなくなる。
これも、誤解があるようです。
その銀行に借金がある場合、
銀行との取引約款で、破産申請をしたら(されたら)
期限の利益を失い即時返還のさだめがあるのです。
そのため、預金と相殺されるため、口座が凍結され
出し入れができなくなるということはあるようです。
無関係な銀行であれば、預金口座の利用は可能です。
ただ、この無関係がくせもので、それは長くなるのでいずれ

持ってる財産をすべて処分される。
そんなことはありません。
但し、転売価値のあるもの、不動産、自動車、
解約金が大きい生命保険の解約
ということはありうる話です。
でも、必ずではないところが難しいところで、
この点こそ、弁護士にご相談ください。

職業によっては、資格を失う場合があります。
会社の取締役、宅建主任者、税理士、弁護士。
職業によっては、関係ないです。関係のない人が多いでしょう。
運転免許もなくならないし。

最高裁判所の表現を使えば、
自己破産’免責)は、それがなければ債権者から無限の追及を受け
奈落の底に陥ることを防止し、再建を図るための制度というのです。

憲法の生存権にも関連する制度なので、
ハンディキャップをことさらに設定することはしないのです。

但し、官報に掲載されるということと、
市役所などが発行する身分証明書(破産者ではないことの証明)
が出ないということは、一応不利益です。
ただ、それで、実質的に困ることもないようです。
これで困ったと、聞いたことはありません

人をだますテクニック だまされないために [民事・消費者]

昨日の続きからなのですが、

その前の日(一昨日)、人間関係で嫌なことがあり、
気をつけていたのですが、どうしてもイライラが家まで続き、
妻は何も悪くないのに、
私が、反応悪く、嫌な思いをさせていたのでした。

そんなこともあり、昨日、罪滅ぼしもあって、
おはようございますからはじめ、
声に出して、そうだね、そうだねと、相槌を打つようにしていました。

そうしたら、妻が、
「なんか、今日はいいことがありそう。」というのです。
こんなことで、上機嫌になってもらって、申し訳ない。
いつも、こんな些細なこともしていなかったのかと思うと、
いやみを言われるよりも、よっぽどこたえました・。

離婚事件で、離婚理由がはっきりしていない(暴力とか浮気とかじゃなくて)
ケースの場合、よく奥さん側から言われるのが、
「そうだね」の一言が欲しかったという言葉です。

こういうケースは、仕事が忙しかったりして、
なかなか話をするのも億劫の場合が多いので、
夫の言い分もわかるのです。

でも、最後の力を振り絞って、「そうだね。うんそうだね。そうだ。」
といってあげましょうよ。
お題目だってよいんでしょう。
どっちでもいいなら、そうだねと言おうじゃありませんか。

と、いよいよ本題ですが、
以上の話の説得力がかけらもなくなる話です。
人をだましてお金を出させる場合の、最大のコツは、
相手を肯定して誉めることなのです。

ある版画のようなものを1枚数十万円で買った人の話ですが、
デパートではないデパートみたいなところの会場で、
絵を見ていると、つかつかつかと寄ってきますよね。
その店員が質問してくるわけです。
どのような絵がお好みですかと、
いやいやわかりませんとか、手を上げて立ち去るのが正解ですが、
うっかり、こちらの絵というと、
例えば「どういうところがよいですか。」とか、「こちらの絵はどうでしょうか」
と尋ねてきて、
何かいうと肯定するのです。
「え、よくお分かりになりましたね。」とか、「それはすごいセンスです。」とか
肯定して誉めるわけです。
「なかなか一般の方で、そのようにおっしゃることができる方はいらっしゃいません。」
とにかく気持のよい言葉のオンパレードです。
なんか、その人とずっと話していたい。
そう思わせるのが、商売人のテクニックです。

肯定して誉める。人間関係を作る。
こうして、数十万円でもクレジットを使って1万円以下なら買える
と思わせて、最後は、値上がりを言うわけです。
プレミアムがつきますよと。

しかし、ある美術館の学芸員の人に尋ねたら、
美術品の価格は、定価が無く、買主がどこまでお金を出すかだけれど
版画のようなものは、時がたって値上がりするということは先ずないそうです。
あったとしても、倍になったりはしないとのことです。
そうだとすると、この点について、詐欺が成立する可能性が出てくるわけです。

ともかく、
自分が誉められっぱなしであれば、疑いましょう。
一度、家に戻って家族に相談しましょう。
クレジットであっても、数十万はしゃれになりません。
必ず、家族に相談してから決めましょう。

やはり、現代人は、他人の評価を気にしすぎで、
一般的に、自分の実力が正当に評価されていないと感じているようです。
肯定されることに免疫が無いものと思われます。
誉められすぎにご用心。

自己破産申し立てが、むしろ債権者のためになる場合 [民事・消費者]

まあ、破産しないで払うのは、支払いを約束した人の義務ですね。
支払いをしなければ、債権者に損させること自体は間違いないです。
でも、破産申し立てをしないことが、債権者にもっと迷惑をかけている
ということがあるのです。

問題なのは、
支払いをすることが客観的に不可能なのに、
破産申し立てもしないことです。
ただ単に支払いをしない状態がずるずるとつづくことなんです。

そうすると、例えばあなたがお金を借りた場合、
債権者は、売掛を立て続けなければならず、
債権を償却できません。
あなたに請求をし続けなければならないのです。
請求しても支払われることがないにもかかわらず、
データを残し、通信費をかけて、人件費をかけ続けるのです。

これが破産が開始され免責が決定されると
債権者は、債権の償却手続きを行うことができます。
もう、請求をしなくてよくなるのです。
別の仕事をすることができるのです。
おまけに、貸し倒れということになるので、
税金上も有利な処理ができるようになります。

自己破産をしないでお金を払わない最悪なケースは、
労働債権、賃金の未払いでしょう。
半年以上も賃金を支払わず、
なんとなく、仕事をやっているケースは結構あります。
労働者はやめてしまったら、もらえなくなると思い、
我慢してただ働きをしているんです。

賃金未払いには、国の立替払い制度があるのですが、
会社の支払い能力が無いことが確定されないと
立替払いがなされないことも多いようです。
また、これには期限があるので、
ぐずぐずしていると、もらえない金額が多くなります。
破産をすれば、労働者は
立て替え金をもらいやすくなります。

客観的に、支払いが不可能な場合、
自己破産を申し立てることが、
むしろ、義務であり、社会的モラルだということに
なることがあるわけです。
支払えないならせめて破産をしてもらいたいということが、
実は債権者の切実な希望だという
ケースは、とても多いのです。

和解をする理由 裁判出したのに判決ではないの その2 [民事・消費者]

裁判を出したのに和解をする理由、第2は、
紛争を解決する方法として、判決よりも和解をする方が適している
ということがあります。

一つに紛争をおさめるということでしょうか。
判決が出れば、どちらかは負けですから、
負けた方が納得ゆかなければ、控訴をすることとなります。
地方裁判所から高等裁判所に裁判が移り、
最高裁判所まで裁判が続くことになります。
そこでも納得ゆかないことが多いわけです。

そうすると、判決で決着がついても、
気持ちの決着がつかず、
双方の紛争がおさまらず、
新たな紛争の火種になったりするわけです。

和解は、双方が譲歩し合うので、
双方とも不満は残るのですが、
裁判官が一方的に決める判決とは違い、
自分で和解をすることを決めるわけですから、
不承不承とはいえ、紛争をおさめようとする契機とはなるようです。

第3としては早期解決でしょうか。
判決だと最高裁判所まで行く可能性があります。
解決まで何年かかるし、10年かかることもあるでしょう。
人生において、本当に必要な争いであれば、
それでもやらなければならないのです。
しかし、あんな相手のために、あなたの人生を無駄にしてほしくない
ということもあり、ご自分の今後の費やす時間とお金と、精神的負担を考えると
和解で解決をした方がよいのではないですかと
お話ししたくなることもあります。
また、判決をもらえば、もっと金額が多くなっても、
それまでに、相手が倒産してしまえば、
倒産しなくても、差し押さえる財産がなければ、
今、お金をもらっておいた方がよいという場合もたくさんあります。

様々な現実に目を向けると、和解をする理由が出てくるわけです。

和解をする理由 裁判出したのに判決ではないの その1 [民事・消費者]

労働事件に限らず、民事事件でも、
裁判所に訴えても、ほとんどが和解をすることによって、
裁判が終わりになっています。

意外に思われる方も多いかもしれません。

これは理由があります。

第1に、裁判所は、真実を発見し、正しい結論を出すとは限らない
というところにあります。
これは、裁判官批判というわけではありません。
裁判というものは、すべての事情に基づいて真実を認定するのではなく、
裁判所に出てきた証拠から、真実を決めるからです。
証拠がなければ、勝てない。というやつです。
逆に、裁判官は、直接証拠がなくても、
出てきた証拠から、合理的に考えて、
真実を導き出そうと努力されていることが実際です。
(しかし、割り切りすぎている感がある場合もなくはないけど)

例えば、
あなたが、借りていたお金を返したとします。
領収書はもらっていません。
貸主は、返してもらっていないと裁判を出しました。
あなたが返したことを、どうやって裏付けますか?

悪徳貸金業者が、あなたに50万円貸しました。
借用書の住所と氏名押印欄に記載を求められたので、記載しました。
裁判で訴えられたとき、
金額55万円でした。
どうやって、真実に借りた金額が50万円と証明しますか?

あなたは、上司の命令で、月間40時間残業しました
しかし、タイムカードは定時に押してから、残業していました。
どうやって、残業時間を主張しますか。

こういうことが実際の裁判では、よくあることなのです。

弁護士の第一の役割は、
直接の証拠がなくても、手持ち証拠から外堀を固めていって、
真実に肉薄していく論理を構築していくことにあるでしょう。
そうやって、裁判官の気持ちを動かしてゆくのです。
しかし、裁判で勝つためには、金額に結びつけなくてはならないので、
最終的には、決め手に欠くということも
残念ながら多いのです。

相手も同様なのです。

直接証拠はない。
しかしなんとなく、自分の言っていることが、
信じてもらえていないようだ。
負けるかもしれない。

民事裁判は、というか裁判は、判決となると
常に、どちらかが負けるという特徴があります。
負けてしまえば、裁判の努力が徒労に終わり、
金銭的負担、時間的負担、精神的負担が
どっと押し寄せてくるわけです。

和解は、当初の目標からすると不本意なことではありますが、
裁判所にすべての真実が出てくるわけではないので、
和解という、保険をかけると言いましょうか。
争った効果を確かなものにするということでしょうか。

請求する方は、0は避けたい。
請求される方は、全額払うことは避けたい。

そのようなメリットが和解にはあるということが
実際のところかもしれません。

この話題は、いずれまた。


身に覚えのない訴訟予告請求 [民事・消費者]

結構身近な人は、あまり法律相談に来ないものですが、
それでも、結構相談されるのが、訴訟予告請求という郵便物が来ることです。

あたかも東京地方裁判所からきたような郵便物で、
あなたは支払いが滞っている、何日以内に、この電話番号に電話して連絡をよこしなさい
そうでなければ、裁判して、財産を差し押さえます。
というものです。

その郵便物を見せてもらいましたが、
弁護士が見れば、一笑にふせるほど、でたらめな内容なのです。

しかし、これが70才過ぎの方にくると、本物だと思ってしまうのです。
裁判なんて、全く経験のない、本当に善良の人たちなので、
やむをえないかもしれないなあと思ってしまします。
そうだからこそ、本当に、ひどい話です。

こういうのは、相手にしないか、警察に届けてもらうしかありません。
絶対に電話をしてはだめです。
詐欺は、話をしたら、お金を取られると思ったほうが無難ですから、
マニュアルが整備されているのです。

身に覚えがない場合はもちろん、多少身に覚えがあっても、
知り合いの弁護士がいない場合は、5000円と交通費はかかりますが、
弁護士会で法律相談を受けて、安心してもらいたいと思います。

どっから住所や名前を調べてくるんだか、本当に

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