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両陛下宮城県の被災地に、避難所に。水仙の雅な本歌取り。 [災害等]

4月27日両陛下が宮城県にいらっしゃった。
ただ、ただ頭が下がる。

昭和8年生まれという記憶なので79歳。

自衛隊機は、旅客機ではなく、軍用機だから
乗り心地なんて考えて作られていない。
急の拵えはしたと思うが
さぞやお疲れのことと思う。

ヘリコプターだって、
騒音と振動が激しく、
何より、臨場感がありすぎて、
私は怖くて乗りたくない。

平然と避難所を巡られたご様子は驚嘆の一言だ。

迎える村井知事以下の皆様も
緊張と準備で大変だったと思うが、
それ以上の効果があったはず。

南三陸町は、
年配の方がいる御宅は、
結構皇室の写真を
茶の間に額に入れて飾っているところがある。
家内安全、一族繁栄の
象徴というか、お札のように
素朴に飾っているようだ。

そこへ、両陛下がきて、
膝まづいてお話しをしたのだから、
本当に心の底から
感激したことと思う。

膝まづいたり、立ち上がったりするだけで
かなりお疲れになったはずだ。

また、マスクもしていない。
ヘリコプターは相当激しく
粉じんを巻き上げていた。

仙台の避難所だったと思うが、
津波で家も何も流されたご婦人が、
それでもその庭に水仙が咲いていたといって、
皇后陛下にその水仙の花束を献上した姿が
テレビで映し出された。

神戸大震災の際、
皇后陛下が、水仙の花束を
がれきの町に供えたことが
あったそうだ。

なんか、平安時代の
有名な本歌とりの歌が生まれた
現場を見たような、
雅な気持ちになった。

ご対応も、
感銘を受けるものだった。

両陛下は、
福島、岩手も巡られるそうだ。

どうか、ご無理だけは
くれぐれもご無理だけは避けていただきたい。

ご年齢を考えると
体力的に極めて過酷な行程であったと思う。


大人だって、「震災ごっこ」が必要なのではないか。言葉の力? [災害等]

避難所などで震災ごっこが流行っているということを
以前書きました。

専門家によると、
自分でコントロールできなかった大震災を
遊びで行動にすることによって、
コントロールできるものととらえ直す
そういう作用があるとのことで、
やらせておいた方がよいそうです。
なるほどそうなのかと
学んだ次第です。

じゃあ、大人の震災ごっこは必要ないのでしょうか。

昨日、地震予報っていうか、
テレビであの音楽が鳴り出しました。
幸い、仙台では目立った地震は来なかったのですが、
番組が中断され、アナウンサーが、
落ちて来る物に注意をしてください。
安全な場所に移動してください
とアナウンスしました。

家族で一番慌てたのは私でした。
震度3とか4程度の地震が来ても、
一番安全なのは家の中だといって、
大して慌てたりはしません。

しかしあの音楽とアナウンスは、
4.7とか、3.11の
あの上の歯と下の歯がガツンガツンいうような
衝撃の感覚がよみがえってしまいました。

逃げ出した後とか
余震の恐怖とかそういうことではなく、
震度6の衝撃そのものの恐怖です。

そうして、初めて、
自分自身の恐怖の記憶が
しっかりはびこっていることに
気がつきました。

現実の地震ならあの時と比べれば
大したことはありませんが、
予報になってしまうと
あの時が再現されると思ってしまうのでしょう。

大人も震災ごっこが、
もしかしたら必要なのかもしれません。

揺れていなくても、
揺れたよねと、地震の錯覚を訴える人たちも
耳にするようになりました。

腰骨の下というか、
仙骨の上の方というか
ルーズな座り方をすると、
なんか脈みたいに、脈かしら
どんどんと感じて
地震の時の揺れとそっくりな感覚があり、
それが錯覚の源となっている場合もありますが、
(私の場合)
少し、精神的に疲労が蓄積している人も
多いように思います。

でも、まさか、大人が震災ごっこをするわけにもいかないので、
何かそれに変わるものが必要なのではないでしょうか。
考えすぎでしょうか。

一つは、
恐怖を言葉にするということなのではないかと
考えています。

誰かに聞いてもらう。

それを家族でやるのが自然なのか、
ロールプレイングみたいに、
丸っきり関係の無いグループをつくり、
話してバイバイというのがよいかわかりませんが、
そういうことは、どうなんでしょう。

言葉にして、
客観的に評価できることによって、
現実以上、実際の体験以上の
恐怖の作られた記憶から脱却できる
ということはあるように思うのです。

もしかしたら、
記憶の中で、
現実に起きたデメリットではなく、
もしかしたらこうなったかもしれない、
もっと悪いことになったかもしれないという恐怖を
現実のものとして体験したような、
記憶のすり替えが起きているような気がするのです。

言葉にすることによって、
プラスマイナス両面見つめることによって、
始めて心の衡平を取り戻すということも
あるんじゃないかとは思うのですが。

どんなもんなんでしょうか。

4月24日の河北新報から学んだ、日本人、東北人のこころ、そして反転攻勢の時期が来たこと [災害等]

4月24日、河北新報の記事が充実しています。
読み応え有るというか。

一面は山元町の避難所にミッキーマウスたちが来た
ということが写真入りで紹介されています。
今度、ディズニーランドに行って、
あんときはありがとうと言いに行きますからね。
子供たちは嬉しかったでしょう。
私も嬉しい。

今さらではなく、これからですから。
本当にいいタイミングでいらっしゃったと思います。

楽天とベガルタが逆転勝ちしたとのいのも、
素直にうれしい。

精神科のお医者さんの具体的なアドバイスもあるのですが、
興味を引いたのは4面の二つの記事。

一つは、中国における、日本の被災地の報じ方です。
この件では中国でも報道規制がないようなので、
見たまんま報じているとのこと(おいおいそれじゃあ・・・)

被災地であるのに、
パニックにならず、整然と買い物の列に並んでいて、
埋葬の時も大声を出さずと
そういうことを見て、
反日感情が消えたのだそうです。
記者は抗日分子だったけど、
政府間はともかく、
「人民同士が敵対することは永遠にないだろう」
とまで言っているというのです。

報道機関ということでガソリン優遇されたり、
ということも驚いていたようです。

なんか、こっちから見ると、
悪いところしか気がつかないけれど、
こうやって外から教えてもらうと、
いろいろあっても、
総合的にみると、どうやら誇らしい民族
ということになるようです。

確かに私も、1千円2千円の買い物の為に
4時間並んだんだわ、みぞれの日に。
みんな文句はあったのです。
もっと効率よくできないのかと怒ってもいたのです。
ぶつくさ言いながらも、
我慢していたというのが本当です。

その時、誰かが、必ず大声を出すのですが、
理性的に、整然と文句を言って、
拍手を受けていました。

私の嫌味も、結構爆笑をもらいました。

わたくし風にというか、このブログ風に言うと
日本人というか(妻の説によれば東北人)は、
折り合いをつける遺伝子が支配的な人が多いのでしょうね。

その中に、折り合いをつける遺伝子が少ない人がいて、
大きな声を出す。
その声をそうだそうだと聞きながら、
それで満足する折り合い遺伝子優位の人々
という図式のようです。

なんか、折り合いの付け方というのでしょうか、
結局一つの秩序を形成するために、
役立っていたような気がします。

それにしても、こういう姿を見て、
日本人の見方が変わったって、
今までどう見られていたのでしょう。

便乗値上げをしないということも評価されていますが、
便乗値上げをしないと馬鹿だと言った
某経営者が日本人の代表例と見ていたのでしょう。

もう一つの4面の記事は、梅原猛の復興への提言の
コメントです。
その中で、
「明治維新の廃仏毀釈が仏を殺し、神々も殺した。
天皇、国家を神とする一神教に八百万の神を従わせた。
修身教育は、神々や仏を敬う日本人の心を
喪失させたと思う。」
とおっしゃっています。

生意気なことを言わせてもらえば、

我が意を得たり!

最終面22面は、
児童108人のうち65人が死亡し
9人の行方不明
教職員も10名死亡
という石巻の大川小学校の記事でした。

宮城県民の多くが記憶している小学校の名前と
なってしまいました。

震災直後から何回も報じられていましたが、今回は、
かなり理性的に、それだけ一生懸命検討し、
記事に仕上がっていました。
これまで以上に、印象的なものとなっています。

我々みんなが、
今回の大震災と、
正面から向き合い始めて、
評価をし始めたと強く感じました。

河北新報、読みごたえがあります。
同じ値段でよいのでしょうか。
(便乗値上げは許さんが)
効率よく、休みをとっていただくことを
お祈り申し上げます。

まだまだ、復興を超えた繁栄まで
長丁場ですから。

どんどん名前を売ってください。売名行為という心使い攻撃に負けないで! [災害等]

売名行為ということで、アイドルが非難されているそうです。
システムはよくわかりませんが、人気投票の期間中に
地震のことを気遣った言葉を書いたことが非難されているようです。

先ず、少なくとも私は、リアルでは目に触れていませんが、
それを読んで悪い気はしませんでした。
おそらく、アイドルと選挙というシステムに
問題があるとすればあるのでしょう。

売名行為と非難した人たちの心情は、
アイドルのツイッター記事を読んで
選挙目当ての言葉だから心にもないことだ
心にもない言葉によって
被災地で苦しんでいる人たちが不愉快になっているだろう
という思いやり、善意からきているのだろうと思われます。

オヤジから言わせてもらえば、
あんまりお気遣いなく。
そう目くじら立てるほどのものではありませんよ。

そもそも、心にもない言葉という受け止めでもありません。

最近ACの宣伝が出てくるとチャンネル変えるので
正確ではないのですが、
心は見えないのですが心使いは見えるわけで、
心が無くても、心使いがあればいいわけです。
そうじゃなければ、あんなにがんばろうがんばろうと
被災地の外から、結構がんばっている人に対して、
もうやめてくれというダダ流しを無神経に続けられないと思います。
(でも大和田獏の息子さんはいい感じ。
彼じゃなければテレビ破壊していた人は多いと思う)

話がずれました。二重三重にずれました。

要は、偽善とか売名行為とか言って、
被災地に援助する人に心理的プレッシャーを
掛けることはしないでほしいということをお願いしたいのです。

杉遼太郎さん夫妻が、
大量の物資をもって被災地にいらっしゃったそうです。
マスコミが売名行為という話もあるがとインタビューしたそうです。
これなどは、犯罪的だと思います。
私が見ていたらインタビュアーの名前を公表して
強く抗議をするところです。

仙台公演があったらジジババ連れて見に行きます。
名前を大人買いしますわ。

石原軍団も石巻で一週間炊き出しをしてくれました、
渡さんとか、神田さんとか
体調が悪い中、さらに悪化しなかったと心配です。
通えなかったので、テントで10日間雑魚寝だったそうです。

そこに上戸彩さんが来て、笑顔をふるまったそうです。
写真見ました。
一生懸命笑顔を見せていました。
さすがプロです。
笑える状況なんかではないですからね。
みんなは嬉しかったでしょう。
私がこんなに嬉しかったくらいですから、

石原軍団や上戸さんがテレビに出たら
見るようにします。

貴闘力も格好よかった。

私的には内田裕也
あの年で、ハンドマイクでロックンロールは
メディアが違いますが、
私の理想です。
ああいう70歳になりたい。
素直にカッコよかった。
あたたかなラーメンも本当においしそうだった。

どんどん名前を売ってください。
後で、買いますから。
一生買い続けますから。

私の幼稚園の後輩(しつこいですね)の
荒川静香さんが被災地訪れた時も思ったのですが
顔を見せるだけで、
被災のことが一瞬忘れるのです。
笑顔を思い出すことができるのです。

こんなすごいことってありますか。
あの状況では、奇跡としか言いようがない。
それが、来るだけでできるんだから、
有名人はすごい。



「震災ごっこ」をする子供たちに良質の気晴らしを!チェロ丸山泰雄、ピアノ中川賢一偉い! [災害等]

避難所で震災ごっこという遊びが行われているそうです。
警報がなって、非難する遊びだそうです。
大人はそれを止めていけないそうです。

どうやら、お話しをうかがうと、
頭の中にある恐怖の記憶を
遊びということで形にすることで、
代謝しているようなのです。

避難所じゃなくても
ゴールデンウィークといっても
遊園地も怖い、ドライブも道が悪すぎる
母親の放射能の恐怖は伝染するということで、
子供たちは押しつぶされそうです。

大人向けのファッション誌などは山積みになっていますが、
子供向け連載雑誌は、
出版社は流通させる努力もせずに、
1号飛ばして、次の号になるようです。
気のきいた小学生は、
子供向けのような出版社のホームページを見て
悔しい思いをしています。
(子供を大事にしないなら成人館とでも名前を変えればいいのに。)

そんな中、同窓会のメールで、
チェロの丸山泰雄さん、ピアノの中川賢一さんが、
被災の大きかった地域の小学校を回って、
演奏会を行っているという知らせを目にしました。

二人とも高校の後輩ですが、
その道では日本の第一人者です。
弁護士の何かの第一人者になっていない私から見ると
偉すぎる後輩です。
(荒川静香氏は、若草幼稚園の後輩です。)

そんな第一人者達が、
子供の為に出向いて行っているというのですから
偉すぎです。

実際に私も二人の演奏を聴いてファンになっているので、
正直子供たちがうらやましい側面もあります。
こんな時だからこそ、良質の芸術を聞かせてあげたい!

私も、アエルで法律相談を担当していた昼休み、
仙台フィルのトリオ(チェロ、オーボエ、ピアノ)の
ミニコンサートを聞きました。

チェロのソロで、サンサースの白鳥を聞いたのですが、
顔の筋肉の緊張が解けて行ったことがわかりました。

子供に自粛は似合いません。
その音楽を聴いているときだけ、
その映画を見ているときだけでも、
被災のことを忘れられるだけでも、
有り余る価値があるように思います。

そういうところを理解して、
生き残った貴重なホールである
弁護士会館を子供に提供してもらえないだろうか
と思っている次第です。

大人だって同じだと本当は思うのですが・・・

ガス開栓支援隊の皆様ありがとうございました。 [災害等]

連日のガス開栓作業が一段落ついたということで、
各地からいらっしゃった支援隊の皆様の
解散式が行われたとのことです。

日曜休日もなく、余震に苦しめられながら、
何でこんなことをしなければならないのだろうと
思われたことも多かったと思います。

支援隊の方々は、宿泊施設から
大型バスに乗り込んで、市内にいらっしゃっていました。
大阪ガス、静岡ガスなどの名前がバスに書いてあり、
それを目にすると、
われわれ仙台市民は、
ああ、ガスが使えるようになるまでもうすぐだという
希望を持つことができました。
これが一番うれしかったです。

自宅では家内が対応しましたが、
事務所では、私がいたときにいらっしゃいました。
なんと、驚いたことに
「長い間ご不便をおかけして申し訳ありませんでした。」
ともったいなくも、おっしゃりました。
もう、最敬礼で、御礼を申し上げました。
あなたにそんなことを言われたら、
どうしてよいかわかりません。

テレビで、静岡の支援隊員の方が、
お礼を言われることが励みで、支えだったということを
おっしゃって涙ぐんでいらっしゃいました。
本当に大変な作業だったのでしょう。

復興して落ち着いたら、
どうか、支援隊員の方々とご家族を
宮城に呼んでおもてなししてほしいと思います。

余震やまない仙台で、
さぞやご家族の方々もご心配だったと思います。

本当にありがとうございました。

福島の人たち、南相馬の人たち、  言葉が見つからない。 考えがまとまらない。 [災害等]

正直に言うと、
まだ、福島のことを心配する精神的余裕はありません。
しかし、あまりにもひどすぎる話なので、
少しご報告まで。

先ず、原発の関係で関東に避難した子供が、
転校先の小学校で差別されたり、
いじめにあっているようです。

教卓の前に特別席が設けられ、
隣が空席になっていたそうですが、
どうしても信じられません。

先生が関与していることになりますね。

思いやりや心使い以前の問題ですし、
あまりにも非科学的な話です。

南相馬市は、第一原発から半径30キロ圏内
だそうです。
復興も進まず、
郵便ポストにも投函できないし、
自宅には配送されないそうです。

自宅にも戻れず、避難所暮らしだそうですが、
落ち着き先の無い人たちが、
避難所に戻ってくるそうです。

遺体収容も、ようやく始まったという状態らしいです。

考えてみれば、
避難勧告なんて、
上から目線のことをやっている場合でしょうか。

せめて、
避難所ごと
もう少し離れた場所にうつして、
申し訳ありませんが、こちらに移動願います
ということになるのではないかと
思うのですが、違いますでしょうか。

仮設住宅ではなく、
学校や病院もある
仮説町を作らなければならないのではないかと
南相馬のレポートを読んで、
そう思いました。

4月14日、七ヶ宿、蔵王、白石、仙台、町役場市役所の様子。地震被害も深刻。 [災害等]

4月14日、いくつかの仕事があり、
朝から県南部の1市2町を回りました。

白石市、七ヶ宿町、蔵王町です。

温かな初夏を思わせるような日で、
車の中は暑いくらいでした。

仙台宮城インターチェンジから、
仙台方面に向かう道路は、大渋滞していました。
仙山線が使えないので、
マイカー通勤している人が多いのでしょう。

高速道路は、ほぼ快適に走行できましたが、
やはり、自動車は多い。

道路は、応急措置をしているあとがあり、
誰かが、寝ないで直していたのだなあと
感じ入ってしまいました。

白石インターの手前で、
追い越し車線の工事をしていて、
朝着た時も、少し渋滞が起こっていましたが、
ひる頃は、5キロ以上の大渋滞になっていました。

七ヶ宿町、蔵王町とも、
のんびり話をしながら、
日弁連の中小企業支援のひまわりホットダイヤルの話を
しましょうと思っていたのですが、
臨戦態勢という雰囲気が漂い、
それがこちらにも伝染してしまい、
また、お手間をとらせてはまずいという気持ちになり、
そそくさと趣旨を説明し、
ポスターとビラをおかせてもらい、
早々に立ち去りました。

どこの役場でも、震災対策本部を設置しており、
これが、玄関や本部の部屋に模造紙に書かれて
貼り出されています。
職員の方々も、作業服を着ていらっしゃって、
緊張感が漂っています。

商工会はフレンドリーなのですが、
やはり、おそらく震災の影響に対する処理の問題で、
電話や面談で役員の方々は相談中のようでした。

何せはじめてのことなので、
相談する方もされる方も
大変なようでした。

道路の状態は悪く、
七ヶ宿町から蔵王町への山道は
交通規制がかかり、通行できないところもありました。

集落の道路も、あちこち痛んでおり、
あちらこちらで、測量がおこわなわれ、
被害調査がされているようでした。

直しても直して、余震で新たな故障が
生じているのかもしれません。

役場の前には、放射能の測定値なんかも貼り出されていましたが、
仙台に比べると、倍くらいの測定値となっているようです。
仙台から南へ40キロくらいでしょうか。
0.2マイクロシーベルト毎時+αという感じで
地域によっては震災前でも日常の数字ですけれど。

白石の市役所は、玄関前に張り紙が多数張られ、
2町役場に比べると、かなり物々しい。
こちらは、勝手知ったる役所なのですが、
奥まった商工課にたどり着くまで、
ろう下に並べられた箱をよけながら行かなければならない
という、震災後という状態でした。
玄関を入った一番目立つ所で、
生活資金相談所が開設されていて、
目立つので、親切のようでもあり、
ちょっと相談しにくいようでもありますが、
とにかくみんな一生懸命であることはよくわかりました。

白石の優れた酒屋さんによったのですが、
冷蔵庫のドアというドアが開き、
酒瓶が落ちてきて割れたということで、
酒の匂いが漂っていました。

しかし、それ以外は品ぞろえも戻っています。
今日はおかみさんがレジをご担当でしたが、
地震の時の様子を、昨日のことのように教えてくださいました。

今日から店を開けたのかと思って聞いてみると、
地震翌日から、店の片づけ方々仕事をしていたようでした。
ん?3月11のことか、4月7日のことか、
今にして思うとよくわからない。

これらの市と町は、海には面しておらず、
津波の直接被害は無いのですが、
二度の地震の影響はかなり大きく、
常ならざる状態であることは間違いありません。
みんな、多かれ少なかれ無理をしている様子が
感じられました。

とって返して仙台にもどり、
事務所で大急ぎで処理することを処理して、
息継ぎなしで、市役所の仕事に向かったのですが、
私の事務所から市役所は、
仙台の繁華街を縦断するのですが、
使えなくなっているビルが、結構目につきました。
青葉通り、一番町通り、
ふと暗いなあと思って見上げると、
どこの部屋も電気がついていない。
玄関にシャッターが下りている。
わずかにのぞいた階段は、
うち壁が崩落していていかにもは入れない。
道路のあちこちで、立ち入り禁止をしめす
ポールが立てられていて、
よくよく見ると悲惨な状態です。
よく行っていた店も使用不能です。

仙台市役所も紙が色々貼り出されており、
所在確認を求める張り紙が多く貼られていました。

職員の方々も作業服の方が多く、
無精ひげを生やされている方もいて、
4月14日になっても、
ろくに家に帰っていないような人も
何人かいらっしゃいました。

表面を眺めただけの一日のレポートですが、
津波被害や今なお悲惨な避難所がクローズアップされ、
それは、どんなにクローズアップされても足りないのですが、
フレームアウトしてしまう被害もあるのではないかと、

地震の被害も確実に根深く存在しており、
今がんばっている人たちに、
いずれ深刻な影響が生じるかもしれないと
感じ始めた一日でした。

「地震」、「津波」、「原発」、「放射能」等での検索はウイルスの危険あり、サイトの確認を慎重に! [災害等]

最近、文字化けメールが見られるようになり、
少し心配だったのですが、
どうやら、震災に乗じて、ウイルスを流している人が
いるようです。

震災に便乗したFacebook経由の不正プログラム(2011.3.23)
http://blog.trendmicro.co.jp/archives/4020

「地震」、「津波」、「原発」、「放射能」、「最近の地震」などで「検索」すると
ウイルスを仕込んだ[URL]が上位に並んでいることが確認されているそうです

ここでの報告は、英語の環境のようですが、
くれぐれも、不確かなサイトにアクセスしないことですね。
とまあ、私のこのブログも、
上記のようなキーワードで検索されていらっしゃった方も多いので、
なんともはやというところです。

それにしても、政府は、
ブロバイダ運営会社等に、
震災で流言飛語が飛び交っているので、
自主的な記事の削除を要請したそうですが、
そうすると、
このウイルス騒動が、
政府公認サイトのみへの誘導に
結果としてつながってしまうような気もするのです。

実際、斉藤和義氏の
「みんなうそだったんだぜ」のユーチューブが
何度も削除されているそうで、
なんか本気なんだなと
ちょっとうすらさいむい気持ちになっています。

しかし、あの歌、
情報としては、全く大したことは言ってないわけです。
それにもかかわらず削除されるということは、
歌の影響力っていうのがモノを言っているんでしょうか。

大したもんだぁ。

私のブログは、削除されるほどではないんでしょうね。

そんなもんだぁ、しょせんね^^:

がんばろうという言葉について考える。誰が誰にいうか。スポーツ選手の素晴らしさと [災害等]

昨夜は、福島は、数分間隔で、
震度3の地震が連続して起きたようです。

仙台も3月11日は、
おそらく同じような様子、あるいは
もっと震度が大きな地震が、
同じように起きました。

ただ、停電のため、
逐一情報が入らなかったので、
よくわかりませんでした。

マンションの集会室に私もしばらくいましたし、
自動車の中で夜を明かした人も
たくさんいました。

心よりお見舞い申し上げます。

さて、がんばりましょうという言葉が、
テレビなどでよく流れてきます。

外国から電話で一人じゃないとか言われても
って気がしますし、
とにかくACのCMは、
地震や原発事故を思い出して、
暗い気持ちになるので、
我が家ではチャンネルを変えてしまいます。
みたくないのです。

他の医療関係の先生のブログなどでは、
子供たちも頑張っている、
これ以上がんばれないから、がんばれっていうな
というご意見もありました。

それも大変よくわかります。
うつの症状の出ている方には、
がんばれという言葉は禁句でしょう。

だけど、ちょっと違うことに気がつきました。

まず、スポーツ選手や芸能人の方々が
避難所に訪問し、激励するニュースを見ます。
星野楽天や荒川静香さん、サッカー選手なんかも
報道されていました。

被災者の方々も、
一気に笑顔になるし、
気持ちが折れそうになっていたけど、
嬉しかった、がんばろうと思いなおしたと
インタビューに答えています。

見てるこっちも嬉しくなり、
スポーツ選手や、芸能人はすごいなあと
率直に思います。

私も依頼者の安否確認で、
職場が流され、家族の病気も悪化したと
悲惨な様子を聞き、当面の生活状況を確認し、
やっぱり、がんばりましょうと言ってしまいました。

言わないわけにはいかない気になりました。
言ってしまってから、アッと思ったのですが、
電話口では、ほっとしたような気配を感じ、
明るい声でお礼を言われ、
私にもがんばってくださいと言ってもらいました。

私も、嬉しかったのです。

3月11日のあとしばらくは、
街で会う見知らぬ人たちが、
何か言葉が出るたび、
がんばりましょうと言いあっていました。

嬉しくて、何回か涙が出ました。
ケーキ屋の若者、
お弁当の路地売りの奥さん、
ご近所さんたち。

私のがんばろうの直接体験は、
同じ被災者同士ということで、
がんばろうという言葉が、
特別の力があったように思います。

私も頑張るから、あなたも頑張ろうという
誰もがそういう気持ちで、受け止められる
状況があったのだと思います。

今、3月11日から1カ月が経過し、
それぞれの地域によって、
被災の程度が大きく変わってきました。

4月7日の地震は、
被害が偏在して、
なんともない住宅から少し歩いたところで
家屋が倒壊したり、
自転車で走ると、
10分すると風景がまるっきりかわるそうです。

同じ町にいても
同じ被災者というくくりが難しくなって
きたのかもしれません。

それでも、二度の震度6を経験した者同士
というくくりは、まだ機能しているように思います。

がんばれという言葉は、
状況によって、勇気、元気がでます。

状況によっては余計にしんどいけれど、
街の中に、「がんばろう東北」という言葉があることは、
間違ってはいないと思います。
私は、このメッセージを見ると
嬉しいし、復興しているんだなという気持ちになります。
街から「がんばろう」を消そうというのは誤りだと思います。

但し、
自分と質的に被災の程度が違う人に対して、
がんばろうという時は、
少し考えた方がよいかもしれません。

それにしても、スポーツ選手や芸能人の方々は、
すごい。
とにかく、着てもらえば、
生で見れただけで、
元気を与えることができるのですものね。

余計なこと気にしないで、
お顔を見せてください。